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牡蠣の町に訪れた「グローバリズム」想田和弘の新作ドキュメンタリーが描く「リアル」

2016年02月24日 15:31  弁護士ドットコム

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「11/9(土)中国来る」。手書きで無造作に書かれたメモの紙が、作業所の壁に貼られていた。ここは、瀬戸内海に面した養殖牡蠣の加工場。壁のメモは、牡蠣の出荷の繁忙期に「中国」から助っ人の労働者がやってくることを意味していた。人手不足に苦しむ過疎の町に訪れたグローバリズムの現実。国際的な評価も高い映画作家・想田和弘の新作ドキュメンタリー『牡蠣工場(かきこうば)』が描き出すのは、どのような「リアル」だろうか。(取材・構成/小野ヒデコ)


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●瀬戸内の小さな町も「世界」とつながっている


「うちの中国人、ひとり帰っちゃった」



広島、宮城に次ぐ牡蠣の産地として知られる岡山県。その一角にある小さな町、瀬戸内市牛窓(うしまど)の漁業者が、カメラの前で愚痴をこぼす。外国人労働者の「技能実習制度」で雇った中国人が就労後わずか5日で帰国する事態になってしまったことを報告しにきたのだ。



瀬戸内海の自然に恵まれた牛窓には、牡蠣の作業所がかつて20軒近くあったが、現在は1桁にまで減少している。その一因として、後継者や働き手の不足がある。労働力を外国人に頼らざるを得ないなか、牡蠣の出荷シーズンに貴重な労働者が離脱してしまったダメージは大きい。



「研修料金はもういいとして、渡航運賃は返してもらわないと・・・」



地元の同業者の嘆きを聞いて、これから新たに中国人労働者を受け入れようとしている漁師は驚きの色を隠せない。中国からやってくるのは、2人の30代男性だ。彼らのために、冷暖房・シャワー付きの住まいを設置するなど、事前準備に金銭と時間を注いできた。その苦労が無駄になっては困るという思いが胸にあったのだろう。



このドキュメンタリーの撮影は2013年11月に行われた。同じ年の春、広島県内の牡蠣の加工場では、中国人労働者が経営者ら8人を殺傷するという悲しい事件が起きた。この事件の背景にも、言葉の壁やコミュニケーション不足があったと言われている。



映画には、牛窓の作業所で働く中国人の実習生が何人か登場するが、みな、日本語をほとんど話せない。対する日本人の漁業者も、中国語が話せるわけではない。スクリーンには、言葉によるコミュニケーションが困難な者同士が、一つの職場で働かざるをえない難しさが映し出される。



想田監督は「牛窓はグローバルとは無縁の地域のように見える一方で、このような形で世界と触れているという事実に驚いた」と、撮影時を振り返る。




●ドキュメンタリーが描く人間の「やわらかい部分」


映画では、牡蠣作業所の所長が、中国人実習生の来所を目前にして「もう撮らないでほしい」と言うシーンがある。後ろを向いたままの発言だが、その背中からは年老いた所長の漠然とした不安が伝わってくる。



「初めて中国人を受け入れることに加え、カメラという不確定要素がある。不安になられることは自然でした。そういう意味では、所長の“やわらかい部分”なのかもしれません」



“やわらかい部分”というのは、想田監督の独特の表現で、その人の内面の、繊細で傷つきやすい部分という意味である。ドキュメンタリー映画の被写体の多くは、一般人だ。自分の姿が、映画によって多くの人の目にさらされるということに不安を覚えるのは、自然な反応だろう。ここがフィクションとノンフィクションの最大の相違点となる。



「人間の“やわらかい部分”にカメラを向けることには、責任が伴います。その責任とどう向き合っていくか。それがドキュメンタリーの作家にとっては、とても大事な課題だと思います」



想田監督が精神科診療所の世界にカメラを向けた『精神』では、被写体となった患者たちが映画公開の影響を恐れ、不安を募らせたこともあった。結果的には彼らが恐れたことは起こらなかったが、結果がわからないまま決断することの重圧感は計りしれない。



「ときにはその重圧感に圧倒されそうになります。その中で、いかに見ごたえのあるドキュメンタリーを作っていくか。それが、ドキュメンタリーの永遠のテーマだと思います」



ドキュメンタリー映画『牡蠣工場』は2月20日から、東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムで劇場公開が始まった。全国の映画館で順次公開されていく。



(弁護士ドットコムニュース)