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『いつ恋』音はなぜドラマ名を口に?  脚本家・坂元裕二が描く「リアリズム」と「ドラマの嘘」

2016年02月22日 07:21  リアルサウンド

リアルサウンド

『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』公式サイト

 第一章完結となる『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(以下『いつ恋』)の第五話では、3つの物語が同時進行している。


 一つは曽田練(高良健吾)の東京で暮らす地方出身者としての物語だ。祖父の健二(田中泯)が怪我をしたと知って、一日だけ仕事を休んで故郷に帰れないかと葛藤する練だが、仕事の激務と「東京で何もできていない」という想いから、中々、思い立てない。


参考:東京はもう“夢のある街”じゃない? 『いつ恋』登場人物たちのリアリティ


 もう一つは練を中心とした恋愛群像劇だ。練の恋人・日向木穂子(高畑充希)、練に片思いをしている杉原音(有村架純)、同じ介護施設で働いている音のことが好きな伊吹朝陽(西島隆弘)、練と同郷の幼なじみで練のことが好きな市川小夏(森川葵)、小夏の恋をかなえてあげたい中條晴太(坂口健太郎)。


 ふとした偶然から、静恵おばあちゃん(八千草薫)の家に、練たち6人がそろう。はじめは楽しく食卓を囲んでいた練たちだが、晴太が「社内で不倫してたんですよね?」と木穂子に言ったことで、場の空気は気まずくなる。音は話を変えようとするのだが、小夏は、練と木穂子と音の三角関係を暴露する。好きだったら好きと言ったら? と音に言った後で、「好きよ」と何度も繰り返す小夏。音を責める形でしか、練への好意を口にできない小夏の哀しさが、ここでは際立っている。


 そして、練たちの物語の背後では、2011年3月11日に起きた東日本大震災に向けてのカウントダウンがはじまっていた。震災が近づいていることを『いつ恋』では、ギリギリまでぼかした形で暗示していく。まずは介護施設で音がカレンダーをめくり、二月から三月になったことを示す。次に、音が木穂子に「確定申告って済みました?」と尋ねる(確定申告の期間は2月中頃から3月中頃)。そして、会津に帰省した練に「芸能人の坂上二郎が亡くなった」という世間話が聞こえてくる。坂上二郎が亡くなったのは2011年3月10日。震災が起こる一日前だ。


 震災が近づいていることをサスペンス的な盛り上がりとして演出していくが、練たちが震災に直面する瞬間を本作は見せない。そして、時間は一気に2016年1月に飛んでしまう。


「ずっと。ずっとね、思ってたんです」
「私、いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまうって」
「私。私たち今、掛け替えのない時間の中にいる」
「二度と戻らない時間の中にいるって」
「それぐらいまぶしかった」
「こんなこと、もうないから、後から思い出して、まぶしくてまぶしくて。泣いてしまうんだろうなぁって」


  練のことを思って、音が静恵おばあちゃんに言う台詞だが、ドラマのタイトルを解説的に話す場面というのは、見せ方を間違うと不自然極まりないシーンとなってしまう危うい場面だ。練たち6人が集まるシーンも、見方によってはご都合主義だと言える。


 この場面は物語のテーマに関わる重要な場面なので、あえて作り手は描いたのだろう。実際どちらの場面も成功しているが、こういうシーンを見ると「自分は今、テレビドラマを見ているんだな」と何だかうれしくなる。このような「ドラマの嘘」を持ち込むことを、近年の坂元裕二は恐れない。


 おそらく、多くの人は坂元のことをリアリズムの作家だと思っているだろう。特に『最高の離婚』(フジテレビ系)と『Woman』(日本テレビ系)では坂元が持つリアリズムの手法が極限まで極まっていたと言える。


 しかし、それ以降の『モザイクジャパン』(WOWOW)と『問題のあるレストラン』(フジテレビ系)において、坂元裕二は今まで築き上げてきたリアリズムを下敷きにして、「ドラマの嘘」でしか描けない物語を紡ごうとしている。


 『いつ恋』の介護施設の描写に対し「日本介護福祉士会」から、施設内の過酷な描写について「配慮を求める」という意見書が寄せられた。坂元裕二のドラマにおける辛辣な描写は基本的には現実にあったニュース等を下敷きにしたもので似たような事例があることは少し調べれば誰でもわかることだ。しかし、たとえ事実でも、悲惨な事例だけ抜き出して並べれば、露悪的に戯画化されたものとなってしまう。『モザイクジャパン』以降の作品の評価が別れるのは、この露悪的な戯画化と、時にご都合主義と言われかねないような物語上の飛躍が多いからだろう。『いつ恋』もそれは同様で、「リアリズム」と「ドラマの嘘」の危ういバランスが、本作にスリリングな緊張感を与えている。
 
 再び登場した練はスーツに身を包み、晴太といっしょに危ない仕事をしているようだ。人身事故で電車が止まったことに「チッ」と舌打ちした後で、タクシーに乗る姿は、かつての練とは真逆の姿だ。練の変貌は、空白の五年間がいかに地獄であったのかを、容易に想像させる。


 3.11の渦中を本作が描かなかったのは、『いつ恋』が、震災という大状況を描くドラマではなく、練たち個人に寄り添ったドラマだからだろう。だが同時に、震災以前と以降を切断することで、音にとって練と出会えた「二度と戻らない時間」が、そのまま震災以前と重ねられている。


 第一章として描かれた第五話までが、タイトルのような「かけがえのない時間」の美しさを描いていたのだとしたら、2016年現在の物語はどのようなものへと変わっていくのだろうか。物語はまだまだ折り返し地点だ。(成馬零一)