2016年02月17日 10:42 弁護士ドットコム
高齢者から現金をだまし取ったとして福島県の男性が詐欺罪で起訴された事件で、松江地裁は1月中旬、被告人の男性に無罪判決を言い渡した。この裁判では、無罪という結論とともに、公判の途中で検察が被告人の「自白調書」を撤回したことが注目を集めた。
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報道によると、被告人の男性は2015年4月、共犯とされた知人に頼まれて松江市の女性から1550万円を受け取る役をした疑いがもたれていた。男性は捜査段階で容疑を認めたが、公判で否認に転じた。「取り調べで否認すると裁判官の心証が悪くなると警察官に言われたから」という理由で容疑を認めていたのだという。
男性は、そうした取り調べ状況の問題点を記した「被疑者ノート」をつけていたが、勾留施設の職員が誤って廃棄してしまった。そのため、弁護側は「防御権を侵害された」と訴え、捜査段階の供述調書を証拠採用しないよう、公判で求めていた。その後、検察側が捜査段階の供述調書を撤回するという異例の展開となった。
ここで問題になった「被疑者ノート」とは、いったいどんなもので、どんな意味があるのか。今回、検察はなぜ、供述調書を撤回したのだろうか。無罪判決の背景に潜む問題点について、元検事の荒木樹弁護士に聞いた。
「『被疑者ノート』というのは、取り調べの可視化に向けた日弁連の活動の一環で、各地の弁護士会に配布しているものです。日弁連のホームページで雛形(http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/legal_aid/on-duty_lawyer/data/higishanote_000.pdf)をダウンロードすることができます。
被疑者ノートには、取り調べの内容や、取り調べのとき捜査官がどんな言動をしていたかなどをメモします。被疑者が不当な取り調べを受けることがないようにすることが目的です」
荒木弁護士はこのように述べる。具体的には、どんな意味があるのだろうか。
「まず、弁護人の弁護士が被疑者にノートを差し入れること自体が、捜査官に不当な取り調べをさせないための『けん制』になります。
また、万が一、事実ではない供述を強いられたような場合でも、そのことを被疑者ノートに記載しておけば、後日、裁判の中で供述の信用性や任意性を争う有力な証拠となります。
この他にも、弁護人が取り調べ状況を理解しやすくなったり、被疑者の励ましになったりするなどの効果も期待できます」
その「被疑者ノート」が廃棄されたことは、どんな意味を持つのだろうか。
「そのことを明らかにするためには、なぜ検察官が被疑者の供述調書を証拠から撤回したのか、ということを考える必要があります。
刑事訴訟法では、裁判の証拠として取り扱われるための様々な要件が定められています。その一つが『自白調書』、つまり、今回のように自分の罪の内容を認める供述調書の取り扱いです。
自白は強力な証拠ですが、それゆえに、捜査機関による強引な取り調べで、被疑者・被告人の人権が侵害されたり、虚偽の自白が誘発されるおそれもあります。
そのため、刑事訴訟法は、『強制、拷問または脅迫による自白、不当に長く抑留または拘禁された後の自白その他任意にされたものでない疑のある自白は、これを証拠とすることができない』(319条1項)と定めています。犯行を自白した内容が記された供述調書も、同様に取り扱われます。
簡単に言えば、被疑者・被告人が自分の意思で自発的に供述したといえなければ、自白は証拠にすることはできないというわけです」
自白に任意性があったかどうかは、裁判ではどうやって判断されるのだろうか。
「自白調書の任意性の立証責任は、検察官の側にあります。弁護人側は『任意性に疑いがある』状況まで立証すれば足りるのです。
自白の任意性が裁判で問題となった場合、検察官としては、当時の取り調べの状況などについて、様々な方法で立証することになり、場合によっては、取り調べた検察官自身を証人として証言させることもあります」
今回のケースについては、どう考えればいいだろうか。
「『被疑者ノート』は被告人側が自主的に作成したもので、取り調べの問題点が書いてあったということですから、自白に任意性がなかったことを裏付ける証拠となった可能性があるでしょう。
それなのに、ミスとはいえ、捜査機関が被疑者ノートを破棄したことは、被告人側が重要と考えている証拠の1つを消滅させてしまったことになります。
自白は任意ではなかったと被告人が主張し、かつ、そのことを証明するための証拠(被疑者ノート)を捜査側の事情で消滅させてしまったという事実から、『任意にされた自白ではない疑いがある』と言われても仕方がないでしょう。
そのような事情からすると、検察官が、限られた証拠から『自白の任意性」を立証することが難しいと判断し、自白調書の取り調べを撤回したのだろうと思われます。
検察官の本来の立場は、『法の適正な適用を請求する』(検察庁法4条)ことが目的ですので、法律上証拠とすることができない証拠であれば、その証拠調べを撤回することは、当然の責務であるとも言えます」
(弁護士ドットコムニュース)
【取材協力弁護士】
荒木 樹(あらき・たつる)弁護士
釧路弁護士会所属。1999年検事任官、東京地検、札幌地検等の勤務を経て、2010年退官。出身地である北海道帯広市で荒木法律事務所を開設し、民事・刑事を問わず、地元の事件を中心に取扱っている。
事務所名:荒木法律事務所
事務所URL:http://obihiro-law.jimdo.com