先日、深夜になんとなくテレビを見ていたら、女性の笑顔が画面に映っていた。彼女の名前は、丸山夏鈴さん。脳腫瘍の再発に次ぐ再発のために、何度も入退院を繰り返しながら、地元福島県で精力的にアイドルとして活動していた女性である。
昨年5月に大勢のファンに惜しまれつつ、21歳の若さで亡くなってしまった。僕が彼女のことを知ったのは、確か亡くなる半年ほど前のことだったと記憶している。そんな夏鈴さんの特集が2月8日の「NNNドキュメント『丸山夏鈴~最期までアイドル~』」(日本テレビ系)で放送されていた。(文:松本ミゾレ)
度重なる手術を乗り越えてきた「病院のアイドル」
夏鈴さんの短い人生は壮絶なものだった。小学校2年生の頃に初めて悪性の脳腫瘍の摘出手術を行い、以降も6度にわたって同様の手術に耐えてきた。まさに病気との辛い闘いの日々だったに違いない。
そんな生活を送っていると、時には嫌になることだってあるだろう。しかし夏鈴さんは、入院中にたまたま見聞きした、モーニング娘。の楽曲に元気付けられたという。病院では振り付きで覚えた楽曲を歌って披露し、医者や看護師に「夏鈴ちゃんは病院のアイドルだね」と言われたそうだ。
入院生活中でのこの日々が、アイドル・丸山夏鈴の原点だったようで、高校生になった頃には、明確にアイドルを目指すようになっていた。取材に応えた高校時代の友人曰く、一番印象的だったのは、2011年3月に発生した東日本大震災だったという。
当時福島県在住の女子高生だった夏鈴さんのことを、「こんなときだからこそ自分が明るくなって、みんなに笑顔を届けようとしていた」と振り返る。また、2012年3月の自身の卒業式では、夏鈴さんは卒業生を代表して答辞を行っている。
この中で彼女は「成功の反対は失敗ではなく、挑戦しないことです」と話しているが、まさにこの前後の期間、夏鈴さんは3度目にあたる脳腫瘍の摘出手術を行っていた。未成年の女の子に課せられた運命としては、あまりに残酷であるが、夏鈴さん自身の覚悟は、この答辞にも表れていることが分かる。
「逆に弱いところも知っていて欲しい。人間だから」
高校を卒業し、4度目の入院となった時期に、夏鈴さんはアイドルオーディションに参加していた。このときのオーディションに関わった講談社の事業戦略部、小林司氏は夏鈴さんの印象について「ある意味、完璧なアイドル。謎の明るさ、得体の知れない明るさ。生き物として明るい」と振り返る。
オーディションではセミファイナリストにまで進出した夏鈴さん。これがきっかけで念願のアイドルとして、芸能界入りを果たすこととなった。デビュー曲の「Eternal Summer」は、夏鈴さんの日々の思いが歌詞に反映されたものとなっている。
「わたしはあなたが思うほどきっと弱くはないことを知っていて欲しい」という一節などは、その思いが最も顕著に表れた部分だろう。
ただ、この思いもやや過剰に周囲に持ち上げられたことで、それなりに辛いこともあったようだ。あるとき取材に対して夏鈴さんは「(ファンから)強いっばっかり言われてるから、逆に弱いところも知っていて欲しい。人間だから」と本音も漏らしている。
折しも夏鈴さんの体に、残酷な異変が起きていた。2015年の2月には、脳腫瘍の一部が肺に転移。そのために肺がんの治療もスタートした。手術困難な部位であるため、予断が許されない状況となっていたのだ。
亡くなる前日にも動画配信、最後まで気丈だった夏鈴さん
本当は不安に押し潰される思いをして、生きていたんだろう。「死にたくない」と泣いているシーンも放送された。病身を押して突き進み、やっと夢の片鱗を掴んだばかりなのに、命の灯火が間もなく消えようとしている。考えようによってはこれほど残酷なことはない。しかし、それでも彼女は最後の最後まで、アイドルとして活動し続けた。
亡くなる2ヶ月ほど前から、彼女は日々の思いを動画として配信していた。病床からファンに向けられた動画は、亡くなる直前まで続いていた。本当に最期が迫っていても「ここでへこたれてはいけないだろうなって思います」と気丈に復活を宣言する夏鈴さん。
奇跡が起きるなら早く起きてほしいと、ファンも周りの人々も、それだけを願う日々だったに違いない。最後の動画が配信されたのは、5月21日。翌5月22日、夏鈴さんは静かに息を引き取った。
彼女が言う「成功の反対は、挑戦しないこと」という言葉は、僕にとっては金言になった。ファンにとっては、彼女の楽曲と歌っている姿は永遠に心の中で生き続けるように、僕の中で夏鈴さんは、この金言の生みの親として生き続ける。
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