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自分と異なる他者を受け入れることはできるのか 『ディーパンの闘い』が描く難民問題と家族愛

2016年02月12日 16:51  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2015-WHY NOT PRODUCTIONS - PAGE 114 - FRANCE 2 CINEMA - PHOTO: PAUL ARNAUD

 数々の話題作を抑え、カンヌ国際映画祭でパルムドール(最高賞)を受賞した、ジャック・オディアール監督の最新作である。BBCドキュメンタリーを題材に、人種、宗教、移民問題にスポットを当て、あのコーエン兄弟に「最高!」と言わしめた作品である。フィルム・ノワールの持つ暗さの中にも、優しい紗をまとわせたような温かみを感じる。そして人間の底力を全面に宿し、どのような状況下に置かれようと、生きることに執着する濃く熱い血が、自分にも流れているだろうかと自問自答させられる。


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 これはスリランカから難民として、フランスへと渡った偽装家族が、生きていくために奮闘する話だ。スリランカは紅茶の生産地として有名である一方で、内戦が続いている国でもある。内戦で妻と娘を亡くした元兵士ディーパン、女ヤリニ、母を亡くした娘イラヤル。それぞれに何の接点もない赤の他人が、国から逃れるために偽装家族となる。そして三人は、個々の視点からは異質と見えるそれぞれを、自らの中に受け入れ、一つの交点を探りながら、円を描くように少しずつ、本当の家族の形を成していく。


 難民問題には、以前から関心があった。難民として命からがら他国へ渡り、言葉も通じず、環境も違う土地で、おそらく十分な教育も受けずに育って来ただろう人たちが、どのようにゼロベースから自分の居場所を確保、形成し、生きていくのだろうかと。


 私自身留学もし、海外で生活して、他国での言葉や習慣の違いに戸惑うこともあったが、元々基礎教育があり、他国の状況を知って渡る私たちと、彼らとはわけが違う。彼らはまずあるのは命だけという状況から、生活を始めなければならない。しかも皆同じ人間とは言え、人種、政治、宗教、言葉、環境が大きく違う状況下で、である。そしてその状況の中で、他者を受け入れることは可能かという難問を、この映画は投げかけてくる。実際、私も他国で日本人として、民間人になぜかスパイと勘違いされたことや、異質な目で見られるようなこともあった。国が違うだけで、こんなにも考え方が違うものかと驚愕した瞬間だった。私が経験したのは小さなことだが、様々な問題がお互いを苦しめる。


 ディーパンたちが移住したフランスは、古くから様々な国の人々を受け入れてきた。ただ、その多くの移民が暮らす中で、それぞれが複雑に絡み合い、誰もがそこに居場所を見出そうと、また存在意義を見つけようともがきながら、一縷の光を模索して生きている。その関係性は、家族であり、仲間であり、敵であり、またそこには哀しみ、痛み、苦しみ、憎しみ、喜び、優しさ、愛おしさ、全ての感情が行き交う。実に混沌とした世界だ。


 そんな中、その一縷の光を目指し、暗いトンネルを潜り抜けられたのは、ディーパンの強固な人間力によるものだろう。戦いや暴力を封印したディーパンに襲いかかる試練。偽物を本物の家族にする為、彼は奮闘する。自らの苦悩や葛藤と闘いつつも、力強く骨太な精神を持つ男。ただ彼の魅力はそれだけではない。シーンの端々に、愛おしいほどの優しさ、寛大な愛を感じるのだ。そしてそれがまた、強さに繋がっている。


 このむさ苦しい風貌をしたディーパンという男が、どうしてこんなに魅力的に映るのか。それは演じている本人が、ディーパンと同じような境遇を辿っているからでもあろう。少年兵として戦い、逃亡先のタイで四年間を過ごし、フランスに亡命。その後、スーパーマーケットの従業員、ハウスキーパーなど、様々な職を転々とし、作家となった。演技は未経験である。これがディーパンを演じたアントニーターサン・ジェスターサンの経歴だ。そして彼を含め、家族となっている三人は映画初出演と言うが、その堂々たる自然な演技にも驚かされる。三人の姿は時が追うごとに 、本当に心を通わせた家族のように見えてくる。共に試練を乗り越えてきたからこそ、生まれた絆なのだろう。


 オディアール監督は「完全に未知なる外国人俳優たちと映画を撮り、時間を共に過ごすことで脚本が変化し、彼らの内部と彼らの関係性が進化した」と語っている。撮影を通し、言葉や人種を越えた相互理解が生んだ、最高の化学反応とも言えるだろう。私も本当は、人間が生きていく上で、言葉や人種は関係ないはずだと思っている。戦士と民間人、互いを理解しえない関係であったはずのディーパンとヤリニ。エンドロールに流れる、ディーパンの髪を優しくなでる、ヤリニの手を切り取っただけの映像が、この映画のすべてを物語っているような気がした。(大塚 シノブ)