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ビヨンセはなぜ『ハーフタイムショー』で社会的メッセージ性の強い新曲を歌ったのか?

2016年02月10日 11:21  リアルサウンド

リアルサウンド

「TIDAL」HPより

 日本時間の2月8日8時30分、プロアメリカンフットボールリーグ(NFL)の優勝決定戦『第50回スーパーボウル』が開幕した。今回の試合は約1億6,700万人が視聴し、テレビ史上最多記録を更新したという。なかでも試合の休憩時間中に行われる『ハーフタイムショー』は見せ場のひとつで、例年豪華アーティストが出演。今年はコールドプレイ、ブルーノ・マーズ、ビヨンセらによるパフォーマンスが繰り広げられた。エンターテインメント大国・アメリカで、この『ハーフタイムショー』がもたらす意義とはどのようなものなのだろうか。音楽ジャーナリストの柴那典氏に話を聞いた。


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 まず、2月という時期がアメリカのエンターテインメントにおいて一大シーズンであること、『スーパーボウル』への国民の関心の高さについて柴氏は以下のように説明する。


「NFLの優勝を決める大試合『スーパーボウル』、その翌週に音楽の祭典『グラミー賞』、またその翌週に『アカデミー賞』と、立て続けにスポーツ、音楽、映画の祭典が行われ、2月はアメリカのエンターテインメント総決算の月と言えるでしょう。各メディアで伝えられているとおり『スーパーボウル』は、視聴率40%を超える人気コンテンツ。『ハーフタイムショー』の成り立ちには諸説ありますが、試合の休憩時間(ハーフタイム)に視聴者が一斉にトイレに行くせいで水道に負担がかかるのを解消するため、人気アーティストを呼んだ豪華なショーにしたという一説もあります。もともとはスポーツの祭典でしたが、国民の関心が高い『ハーフタイムショー』のステージに立てることが、ミュージシャンにとっても栄誉なこととなり、今ではアメリカの伝統的ステージのひとつとなっています」


 50回目をむかえた試合での『ハーフタイムショー』となった今回は、出演者・演出ともに、アメリカ最大の音楽エンターテインメントとしての姿勢を見せていたと柴氏は続ける。


「コールドプレイは代表曲『Viva la Vida(美しき生命)』のような、ここ数年で彼らが追求してきた高揚感のあるエンターテインメント・ロックの集大成を披露し、お祭りムードを盛り上げました。ただ正直言うと、新鮮味は感じられなかったのは事実です。ブルーノ・マーズは、マーク・ロンソン feat.ブルーノ・マーズ名義の楽曲『アップタウン・ファンク』を披露。観客の盛り上がりも含め、改めてこの曲が2015年のアメリカを代表する曲だったと感じました。そして、極めつけはビヨンセ。出演前日に公開したばかりの新曲『フォーメーション』を素晴らしいクオリティで披露。『アップタウン・ファンク』とのマッシュアップで、ブルーノ・マーズとひとつのショーのような演出で見せていました。これは、ともに二度目の出演というスペシャル感に応えた演出だったと言えます。またビヨンセは、『ハーフタイムショー』が今のような路線になるきっかけとなった93年のマイケル・ジャクソンをイメージした衣装で登場。スクリーンでできたステージの床にこれまでの映像が映し出されるなど、50年の歴史に敬意を表した演出も印象的でしたね」


 また今回、社会的メッセージを含んだ楽曲を披露したビヨンセが、特に大きな注目を集めている。これまでも『ハーフタイムショー』では、マイケル・ジャクソンやU2などがパフォーマンスを通して平和を訴えるメッセージを発信してきた。ビヨンセのパフォーマンスは、その伝統もリスペクトしたものではないか、と柴氏は付け加える。


「ビヨンセの社会性は重要なポイントです。差別問題に関して強烈な主張を持つ楽曲を披露したという点で、今回の出演は衝撃でした。新曲の中で彼女はアメリカ南部に生まれたアフリカン・アメリカンとしての自分のルーツを歌い上げています。マイケルをイメージさせる衣装で『私はジャクソン5と同じ鼻の穴のかたちだ』と歌うということにも強いメッセージを感じました。また、女性差別に関するリリックや、成功したアフリカン・アメリカンの典型的な振る舞いに踏み込んだリリックも見受けられます。ビヨンセは、様々な社会問題を代弁できる象徴としての役割を今後も果たしていくのではないでしょうか」


 翌週に控える『グラミー賞』でも近年、マドンナが同性婚を認めるパフォーマンスや、ファレル・ウィリアムスが「HAPPY」で「ブラックライヴズマター(黒人の命も大事なんだ)」運動を訴えるパフォーマンスを行っている。国民の関心が高まる場において、社会問題に触れていくというミュージシャンの活動が、娯楽だけにとどまらないアメリカらしいエンターテインメントのあり方を形成しているのかもしれない。(久蔵千恵)