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ジャニー氏、SMAPを「ヤング・ドリフターズにする」

2016年02月05日 06:10  週刊女性PRIME

週刊女性PRIME

 《分裂》《解散》《クーデター》……。連日メディアに躍った文字。ご存じ、国民的アイドルグループ・SMAPによる一連の騒動だ。  彼らは最初からスターだったわけではない。下積みから這い上がってきた。今でこそ日本の芸能界を代表するアイドルだが、そもそも彼らはどんな人物だったのか。そこで、デビュー前後から彼らを直接見てきた関係者たちに取材した。  鳴かず飛ばずだったSMAPがトップアイドルに躍り出たのは、やはりIマネジャーの力が大きい。アイドルの王道だった光GENJIとは一線を画し、ドラマや歌番組だけではなく、バラエティー番組やお笑いのコントにまで活躍の場を広げたのは彼女の手腕だ。  デビューから3年がたち、シングルが初のオリコン1位を獲得したころ、Iマネジャーは仕事相手に向かって、SMAPというグループについて、こんな説明をしていた。 「ジャニー(喜多川社長)が私に言ったことで、すごく覚えているのは“この子たちをヤング・ドリフターズにする”ということ。クレイジーキャッツにしろ、ドリフターズにしろ、ひとりひとりがバラバラでドラマやバラエティーをやっていて、それでも集まるとバンドをやって、それでいてカッコよく、面白いことをやっているみたいな」  各方面に頭を下げ、仕事を取ってきたIマネジャー。彼女の尽力があり、メンバーそれぞれが多方面の仕事をしていく中、いちばん最初に人気が出たのが稲垣吾郎だった。人気のきっかけは、1989年に放送されたNHKの朝ドラ『青春家族』。 「ジャニー社長も最初に目をかけたのが吾郎ちゃんでした。その後、木村クンがブレイクしたので、吾郎ちゃんの人気は落ち着きましたが。ただ本人は今も昔も変わっていない。淡々としていてマイペースで、ナルシスト。髪型をすごく気にして、楽屋でも鏡の前でずっと前髪をイジっているような子でした」(ヘアメーク)  当時、稲垣をよく取材していた記者が言う。 「私は吾郎ちゃんが好きでしたね。カッコいいだけじゃなくて教養もあって。囲み取材のとき、私が“キェシロフスキみたいですね”と言ったら周りは誰もわからなかったけど、吾郎ちゃんは“ああ、俺も好き”って。ポーランドの映画監督なんですけど、映画にもすごく詳しかった」