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脇阪寿一、スーパーGT500クラスから退きチーム監督に就任

2016年02月04日 13:01  AUTOSPORT web

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今年はスーパーGT500のドライバーから退き、チームルマンの監督に就任することを明らかにした脇阪寿一
トヨタ自動車は4日、お台場のメガウェブで2016年のモータースポーツ活動発表会を行い、この場で脇阪寿一がスーパーGT500クラスのドライバーから退く旨を宣言。今季はチームルマンの監督に就任することを明らかにした。

 トヨタの16年モータースポーツ活動発表会のなかで、もっとも大きな衝撃が走った瞬間だった。今季のスーパーGT500クラスドライバーラインアップのなかに寿一の名前はなく、その後登壇した寿一が、自らチームルマン監督就任を発表。1998年に全日本GT選手権(JGTC/現スーパーGT)へデビューし、01年からトヨタのトップドライバーとして走り続けた寿一がGT500の第一線から退くことを明らかにした。

 発表会で登壇した寿一は「私、脇阪寿一はスーパーGT500クラスから退く決意を致しました」と口火を切ると、ファンや関係者への感謝の言葉に続けて、次のように自身の去就を語った。

「今年は、新たに古巣チームルマンの監督として、大嶋(和也)選手、(アンドレア)カルダレッリ選手のタイトル獲得をバックアップしていきたいと思います。トヨタには素晴らしいドライバーがたくさんいます。そうしたドライバーたちを盛り上げていきたい」

「脇阪寿一“第2章”のスタートです。精一杯、頑張っていきたいと思います」

 寿一は1998年にTAKATA童夢無限NSXでJGTCに初参戦。その後、2000年までホンダのエース車両である18号車をドライブした。そして、2001年、寿一はトヨタへ移籍。以降はトヨタ/レクサス陣営のトップドライバーのひとりとしてシリーズを戦った。特に03年の第3戦スポーツランドSUGOではファイナルラップの最終コーナーで逆転し、劇的な勝利を収めたシーンは、今後も長く語られる名バトルだったと言っても過言ではない。13年以降は勝利から遠のいていたものの、昨シーズン移籍したWedsSport ADVAN RC Fではチームの全戦ポイント獲得に貢献している。

 通算では、これまで137戦に出場し優勝11回を含む通算35回の表彰台を獲得。また、02年、06年、09年と3度GT500クラスのシリーズタイトルを獲得している。これは本山哲や立川祐路と並ぶ日本人ドライバー最多タイ記録となっている。