2016年02月04日 05:01 リアルサウンド
映画、テレビドラマ、アニメーション、アニメーション映画などの「劇が存在する映像作品」で流れる背景音楽、いわゆる「劇伴」は、映像作品が実写である場合とアニメーションである場合とで、劇伴の性質自体が異なってくるケースが多くみられる。前回の記事で、「実写とアニメーションの劇伴における音楽表現の違い」について、入り口の部分のみ言及したが(参考:あえて映像とは異なる音楽を流すことも? 『新世紀エヴァンゲリオン』などの「劇伴」手法を解説)、今回は、アニメーションの劇伴における音楽表現の特徴に焦点を当てて具体例と共に考察していきたい。
・映像表現の違いが劇伴に与える影響
実写作品では、役者の表情や動き一つが「表現」になるため、極論として音声が全く無くても観ることはできてしまう。しかし、アニメーションにおいては、劇伴作家にあえて説明的な音楽をつけるような指示が多い。これは効果音にもいえることで、やはりアニメーションになればなるほど、大げさな効果音を要求される。アニメーションは「映像そのものから得ることができる情報が実写に比べると少ない」ため、実写よりも劇伴や効果音の数が非常に多く必要となるのだ。これらの要因をふまえると、実写では登場人物の感情や心理状態を音楽によって説明する必要が少なく、「飛躍したイメージの音楽」や「感情移入を妨げるタイプの音楽」をつけることも比較的容易である一方、アニメーションでは「説明的な音楽」を求められる傾向にあるということがわかる。
・映像表現を補佐する「説明的な音楽」
では、アニメーション映像を補完するために使用される「説明的な音楽」とは、具体的にどのようなものだろうか。
たとえば、人気アニメ『犬夜叉』における「朝」のシーンでは「時間帯を表す」劇伴が比較的頻繁に使われている。時間帯を表す音楽は状況を説明している音楽の一種であり、アニメーションだけでは時間帯が分かりにくい場面で劇伴がそれを説明する。厳密にいえば、「鳥のさえずり」は朝だけにきかれるものではないが、聴衆が朝という時間帯を感じやすい要素であるため、楽曲の中に「鳥の声を模した音」を使用することは作曲面でのアイディアとして有効である(実写では鳥のさえずりのSEのみで済ませるケースも多い)。同アニメの各種サントラ盤の中には、時間帯を表す劇伴として「村の一日」や「朝の風景」などといったタイトルの楽曲が収録されているが、これらの楽曲ではフルートをはじめとする木管楽器が登場する。木管楽器の音は古くから鳥の声と結びつけられており、クラシックの作曲家も木管楽器をメインとした上で鳥の名前をタイトルに入れた作品を数多く残しているのだ。
説明的な音楽の他の例としては、「バトルシーン」についているバトル音楽などが挙げられる。「格闘」の音楽や「逃走」の音楽であったり、バトル音楽にも様々なタイプがある。「バトルシーン」における作曲面でのテクニックとしては、短い単位での繰り返しを多用したり、アップテンポにして緊迫感を出すなどといったごく基本的な手法から、ジャズのハーモナイズなどでもよく使用される「クラスター」と言われる2度音程ヴォイシングや「明確なピッチの無いパーカッション」などを使用してリズムやピッチを不協和に濁すことで、それぞれのバトルシーンにマッチする雰囲気をつくりだす等、そのアイディアには限りがない。
繰り返すが、説明的な音楽は、前述した「アニメーションは映像そのものから得ることができる情報が実写に比べると少ない」という理由から、やはりアニメーションで多く要求されるケースが多い。
・劇伴が映像の動きに従属するように付けられているケース
劇伴が、「溜め録り」の手法による収録ではないプロジェクトの映像作品では、時に、劇伴が映像の動きに従属するようにかなり細かく変化させて付けられているケースがある。
代表的な例として、ワーナー・ブラザーズ製作のアニメーション・シリーズである、「ルーニー・テューンズ」の多くの作品は、シーンのちょっとした変化に合わせて音楽もめまぐるしく変化するように書かれている。そのために「音楽が細切れになっている」のであるが、作品の世界観と非常にマッチしている。しかし、もし実写作品で同じことをやってしまったら、コントになってしまうだろう。このシリーズはディスク製品化されているので、ぜひ一度見てみて頂きたい。
日本のアニメーション作品の具体例として、アニメーション「それいけ!アンパンマン」の劇伴と映像の動きは、上述の例ほど大げさではないが全体的にフィットしている傾向にある。
たとえば、少し躓くシーンでいきなり音楽にアクセントがついたり、驚くシーンではいきなり派手な効果音が入ったり、キャラクターが忍び足で歩く場面では音楽もこもった表現に変化するなどといった表現がみられる。また、「ばいきんまん」の顔が映し出される場面では、それまで流れていた劇伴が終止しているかどうかに関わらず、音楽的な色合いが変わるといったケースも多い。同番組では、音楽が頻繁にチェンジされ、1曲が長く使われているケースがシリーズを通して割と少ないのだ。
この手法がとられる理由としては、前述した「アニメーションは映像そのものから得ることができる情報が実写に比べると少ない」という理由による部分は大きいが、映像表現を劇伴で補佐する意図としてだけでなく、劇伴が映像の動きに従属するようにつけられることによる、一種の「コメディ的な要素」が表現されているとも考えられるのではないだろうか。
・テレビ放映のアニメーション作品
テレビ放映の映像作品だと、家事をしながら視聴したり、家庭環境の影響でわずかな音量で視聴したり、さらには、子供が同じ部屋で騒いでいる状況の中で視聴するなどといった可能性も考えられる。劇伴を含めた「音全般」は、これらの状況を考慮に入れたものを作ることが必要とされており、その点を踏まえて聴くと、視聴者が映像作品を観る環境の違いが「音全般」の製作段階に影響を与えていることがわかるだろう。
映画は、DVDやブルーレイでない限り、視聴する場所が映画館という「静かな環境」であるが、テレビ放映の子供向けアニメーションは、比較的リビングなどの空間で視聴され「静かな空間で集中して観る」という状況にならないことが多い。この理由によって、テレビ放映の映像作品は「大げさな劇伴や効果音が多く要求される」傾向あると考えられる。「アニメーションの劇伴における音楽表現の特徴」とは直接は関係が無いように思うかもしれないが、アニメーションの中でも特にテレビ放映のものは「音楽や効果音が多く必要とされたり、説明的な音楽が求められるといった傾向がより強い」という状況を考察する上で重要な視点となる。
今回は、アニメーションの劇伴における音楽表現の特徴について幅広い視点から考察した。 劇伴の作曲家は常に「映像音楽において新しいことを」と考えている傾向があり、新たな試みをした作品が市場にも数多く出回っている。映像音楽において今まで使用されていない楽器を取り入れてみたり、以前からも多少例は見られたが、最近だとアニメ『Free!』などのように。ラップを含めた人声を劇伴に取り入れる作品も増えてきている。
2000年以降、アニメーションの静止画に対して連続した劇伴をつけるなどといった、動きの面での「映像と音楽との対位法」を用いた作品も更に多く見られるようになってきており、時代の移り変わりと共に、アニメーションの映像表現はもちろん、劇伴自体も変化してきている。
前述した内容は、あくまで傾向であり例外も数多くあるが、アニメーション作品を観るときに少しでも思い出して頂けたら、映像作品を違った角度から楽しんで頂けるはずだ。(高野裕也)