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巨匠ジャック・リヴェットが遺したものーーいまも受け継がれるヌーヴェルヴァーグの精神

2016年02月01日 21:21  リアルサウンド

リアルサウンド

『ジェーン・バーキンのサーカス・ストーリー』

 2016年1月29日。フランスを代表する映画監督ジャック・リヴェットがパリで死去した。享年87才。『カイエ・デュ・シネマ』誌の三代目編集長を務め、カンヌ映画祭でグランプリを獲得した『美しき諍い女』(91)の監督としてようやく日本でもその名が知られるようになった。1950年代末の仏映画界に革新的なムーヴメントを巻き起こしたヌーヴェルヴァーグの中心メンバーの一人として知られたリヴェットだったが、日本では比較的知名度が低い監督だった。238分という長尺の作品中、ほぼ全編にわたって全裸に近い姿で出演したエマニュエル・ベアールの美しさが話題を呼び、日本でも一大センセーションを巻き起こした『美しき諍い女』の大ヒットによって、回顧上映なども組まれることとなり、ようやくそのリヴェット作品の全貌が明らかになった。


参考:ジョン・ヒューズ作品はなぜ今も愛され続ける? 80年代を代表する青春映画監督が残したもの


 フランスが生んだリュミエール兄弟によって革新的な発展を遂げた映画産業に、新たな革命を巻き起こしたのがヌーヴェルヴァーグという『カイエ・デュ・シネマ』誌に集った若き批評家たちによる「作家主義」の“波”だった。ジャン・コクトーやルノワールが完成させてきたドラマ性を重視せず、ロケ撮影、同時録音、演出による“実験映画”的な趣を重視した作風がその特色で、ジャック・リヴェット、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、エリック・ロメール、クロード・シャブロルといった、それまで映画の撮影現場にあまり直接係ってこなかった映画評論家たちが、ペンをカメラに持ち替えて作り始めた作品群、それがヌーヴェルヴァーグである。


 そのヌーヴェルヴァーグの第1回作品と言われている35mm短編映画『王手飛車取り』(56)を監督したのが、リヴェットだった。カイエ派のシャブロルやトリュフォー、ゴタールそしてロメールまでもが協力して完成させた記念すべき作品をきっかけに、メンバーは次々に短編作品を発表。そしてシャブロルが監督した初の長編作品『美しきセルジュ』(58)の成功をきっかけに、ヌーヴェルヴァーグの代表作が次々に発表されていく。中でも革新的な編集技法を駆使し、いまだに根強く愛されているヌーヴェルヴァーグ作品として知られるゴタールの『勝手にしやがれ』(59)を発表した1958年はヌーヴェルヴァーグ元年と呼ばれている。


 日本でも松竹ヌーヴェルヴァーグとして大島渚が『青春残酷物語』(60)を発表し、フランス国内だけに留まらず全世界の若きフィルムメイカー達を先導した。1962年にカンヌ映画祭で起きてしまったゴダールとトリュフォーの決裂をもって、ヌーヴェルヴァーグは終焉を迎えたが、その精神は途絶えることなく、ゴダールが現役でいまだに作品を発表し続けていることは周知の事実である。


 そんなヌーヴェルヴァーグ史を語るうえで重要人物の一人だったジャック・リヴェットの作品が、『美しき諍い女』以外あまり日本で一般公開されてこなかったのは、ヌーヴェルヴァーグ全盛期に製作された作品が短編が多かった事があげられる。そしてそれ以降の作品のほとんどが長尺というのも、一般公開への道を閉ざした原因の一つだ。ヌーヴェルヴァーグ作品に対する耐性の無い観客にとっては、一種の苦行といっても過言ではない。1960年に発表した処女長編『パリはわれらのもの』(61)に続くアンナ・カリーナ主演作『修道女』(66)は、一時期反宗教的という理由で上映禁止措置をとられ、1969年に発表した『狂気の愛』(69)では上映時間が4時間12分、1971年に発表した『アクト・ワン』(71)は、12時間40分という映画史に類をみない長尺の作品に仕上げ、長らく日本では劇場未公開であったが2008年の回顧上映でついにスクリーンで上映された。『美しき諍い女』のヒットを受け、80年代のリヴェット作品が劇場で公開されるようになったのは、90年代に日本の映画界に巻き起こった空前のミニシアター・ブームの恩恵である。


 90年代にはサンドニール・ボネールを起用した全2部作の完全版『ジャンヌ・ダルク/Ⅰ戦闘Ⅱ牢獄』(94)では堂々5時間38分という超大作を発表。その飽くなきヌーヴェルヴァーグ精神は衰えることなく、『恋ごころ』(01)がカンヌ映画祭、『ランジェ公爵夫人』(07)がベルリン国際映画祭、そして遺作となった『ジェーン・バーキンのサーカス・ストーリー』(09)がベネツィア国際映画祭に出品されている。15年ぶりに父に呼び戻されて帰ってきたサーカス団の娘ケイト(ジェーン・バーキン)と、旅の途中で出会ったヴィットリオ(セルジオ・カステリット)。彼女にひかれたヴィットリオはサーカス団を訪れ、彼らの生活になじんでゆく。やがて彼女が何故サーカス団を去った理由を知ることになる……リヴェット最後の作品は、84分という上映時間の小さなラブストーリーだった。


 80才を超えても積極的に映画製作を行っていたリヴェットの死によって、ヌーヴェルヴァーグに関わった映画作家は今も作品を発表し続けているゴダール、そしてアニエス・ヴァルダ、アレクサンドル・アストリュック、等一握りの作家だけになってしまったが、その精神はゴダール信者のタランティーノや、トリュフォー信者のキャメロン・クロウなどハリウッドの第一線で活躍するフィルムメイカー達の心に深く根付いている。(鶴巻忠弘)