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SKY-HIが明かす、エンターテインメントの強度を追求する理由「階段をおりたところに真のポップミュージックはない!」

2016年02月01日 17:21  リアルサウンド

リアルサウンド

SKY-HI

 自身の生き様や死生観を最高級のポップミュージックでありエンターテインメントに仕立てあげる――SKY-HIのニューアルバム『カタルシス』は、彼のそういった“執念”がドラマティックに結実した作品である。緻密なストーリーテリングを意識しながら楽曲をクリエイトし、DJ WATARAI、Mr.Drunk(Mummy-D)、KREVA、蔦谷好位置、夢幻SQUAD、SONPUBなど、豪華かつ多様なプロデューサーを迎え紡がれた全13曲。AAAのメンバーとしてスターダムにのし上がる一方で、ときにフリースタイルバトルにも出向きラッパーとしてのスキルを現場で磨き、ソロデビュー以降は音楽家としての視点や楽曲制作のクオリティを高め続けている。SKY-HIはインタビュー中に念を押すように何度も言った。「このアルバムのライバルは、映画やマンガなんです」と。SKY-HIが本作を生み出さなければいけなかった理由の源泉は、音楽表現に身を投じる者として満たされない渇望と譲れない矜持にある。そのせめぎ合いが、SKY-HIをとめどなく向上させる。(三宅正一)


・テーマ性のあるアルバムを作りたかった


ーー先日の「フリースタイルダンジョン」(1月12日OA)でのゲストライブパフォーマンス、見事でした。フリースタイルバトルがメインの番組で、ゲストライブとして曲をしっかり聴かせるという意味でもかなりハードルが高いと思うんですね。


SKY-HI:確かに。ゲストライブの撮り方とか音の環境も徐々に向上していて。俺が出たのはRec-4ですけど、Rec-3くらいからお客さんもライブのテンションになっていたし、番組自体も盛り上がっていて。そういう意味でも空気を作りやすかったです。番組収録が始まるときにゲストが紹介されるんですけど、俺の名前が呼ばれたときに思ったよりお客さんが歓迎してくれて。まあ、エンディングテーマ(「Enter The Dungeon」)を歌っていて歓迎されなかったらアレなんですけど(笑)。


ーー「Enter The Dungeon」もあの番組特有の緊張感にバッチリハマってますね。


SKY-HI:キングギドラの「フリースタイル・ダンジョン」の世界観を踏襲して書こうと思ったんですけど、それと同時に今“ヒップホップ”と口にしたときにいろんな人がいろんなイメージを浮かべる時代になってると思うんですけど、そこでバトルに直結しそうなイメージが浮かぶように意識したところはあります。でも、緊張感を強めすぎて曲に面白味がなくなるのはイヤだったから、ダンジョンというキーワードからRPG感を出したりとか。


ーー終わりの見えないドラクエ感みたいな。


SKY-HI:そうそう。あとは、あの番組にチャレンジャーとして出ているラッパー――それこそ収録で一緒になったTKda黒ぶちとかは、俺が内緒でバトルに出まくってるころによく現場で一緒になってたんですよ。


ーー番組内でも言ってましたよね。


SKY-HI:そう、うっかり言っちゃったんですよ(笑)。今、強いラッパーは、年齢的に俺がフリースタイルしまくってたころに一緒にやってた人たちがほとんどで。なので、世代的に俺が知らないのは「R-指定」以降ですね。そういう意味でもあの番組に出演できて超楽しかったんですけど、正直に言うと、それと同時にラッパーの悲哀みたいなものも感じて。


ーーそれはどういう部分で?


SKY-HI:フリースタイルは水物だし、いくらフリースタイルが上手くなろうと、バトルで強くなろうと、楽曲制作の力は蓄えようのない部分があって。


ーー使う筋肉が違いますよね。バトラーと音楽家の視点の違いというか。先日、KREVA氏ともそういう話にもなったんですけど。


SKY-HI:そう、筋肉が違う。たとえばバンドだったら、メロの構成力とか作詞のセンスとか歌唱力とかいろんなポイントがあるじゃないですか。ラッパーにもキーコントロールとかピッチとか外しちゃいけないポケットとかあえてビートから外れるポイントがいっぱいあるし、それを追求するとキリがないんだけど、現状はそういう細かいポイントはなかなか注目されない。楽曲制作でそういう細かい部分に労力をかけたらいくら時間があっても足りなくて。もちろん、音楽家であるか、フリースタイルバトラーであるか、どちらが正しいということもないんですけど。でも、たとえば「フリースタイルダンジョン」で名前を上げたラッパーが――焚巻みたいに自力のあるラッパーは別だけど――また別のステージに上がろうと思ったらモンスターを倒したあとにこそ次があるというか。


ーー別次元のダンジョンが待っている。


SKY-HI:そう。次は対社会というダンジョンや音源制作というダンジョンが待ち構えていて。どこの階段を選んであがるのかという違いもあるし。そこに正解はないんだけど、「Enter The Dungeon」の〈戦って勝ってみせたって終わりなんて見えやしないダンジョン〉というラインはそういう思いも込めて書いたんです。もちろん、番組的にも「R-指定」に勝っても最後にラスボスとして般若さんが出てくるという意味合いもあるんですけど。


ーーその話を踏まえても、SKY-HI氏がこの『カタルシス』というアルバムを作り上げた意義は大きいですよね。


SKY-HI:そうですね。ちゃんとテーマ性のあるアルバムを作りたかったという思いが一番デカかったですね。できた曲をただ並べただけのアルバムには絶対したくなくて。それこそヒップホップに特化した話だったら、ミックステープの文化もあるし、ノリでバーッと作った曲が30曲くらいあって、それを何ヶ月単位でリリースすることもできるんだけど、それとはある種真逆にあるアルバムというか。


ーー長くじっくり聴いてもらうことを想定して作ったという意味でも。


SKY-HI:そうですね。作品性の高いアルバムを作りこみたかったし、このアルバムのライバルは映画でありマンガであり、そういった娯楽だと思ってるんです。フルアルバムの価格って、CDだったらだいたい3000円で、iTunesで2500円くらいじゃないですか。映画だったら2回分と考えると、けっこうな金額を払っていただくわけで。そのお金と時間と労力を考えたときに、『スターウォーズ』を観ないで、SKY-HIのアルバムを買ってよかったと思ってもらえるようなものにしなかったら、リリースする意味はないなと思ったんです。それくらい作品性の高いアルバムを作ろうと最初から思ってました。


・自分のファンがどのアーティストのファンよりも幸せじゃないとダメだ


ーー今さらこういう話をするのは無粋だと思うんですけど、AAAのメンバーとしての日高光啓のパブリックイメージを、ラッパーであり音楽家としてのSKY-HIはどんどん刷新して、プロップスを得てきたと思うんですね。


SKY-HI:俺にとってそこにあるダブルの偏見というのはものすごいストレスで。『カタルシス』の1曲目の「フリージア~prologue~」で〈皮膚の色や目の色 色眼鏡に映ったまま 決めつけるのは止めてよ窮屈だから〉というラインは、最後の曲「フリージア~Epilogue~」にかかる最初の伏線でもあって。若者ってすぐ「もう死にてえ」みたいなことを言うじゃないですか。


ーー今は特にカジュアルに「死にたい」とか「死ね」って言葉を吐く子が多い印象がある。


SKY-HI:ですよね。俺もそんな言葉を軽く口にしたら親にすげえ怒られるんですよね。でも、本気で死にたいと思ってる人に「世界的な視野で見たら恵まれてるほうだ」とか言って、つらさの度合いを天秤にかけることなんて横暴だとも思うんです。本人のつらさを第三者が比較することなんてできないと思うから。最近、俺自身もプライベートで信頼してる人に裏切られて、本気で死にたいという思いが頭を過ぎったことがあったんです。でも、だからこそ、「生きていることがつらい、死にたい」という思いを、「生きていてよかった」に変換できるストーリーとしての音楽を生み出したいと思った。それが『カタルシス』の大きなテーマで。そのテーマに沿って、〈皮膚の色や目の色 色眼鏡に映ったまま 決めつけるのは止めてよ窮屈だから〉ってラインも書いたんですけど、そこで自分自身がいかに偏見に曝される日々を送っていて、鬱憤が溜まっているのかも自覚したんですよね。


ーー死生観と向き合ったら、自然と自分の立ち位置や状況が浮き彫りになるラインが出た。


SKY-HI:そう。いわゆるヒップホップヘッズが、俺がAAAのメンバーというだけでSKY-HIの曲を聴かないという偏見があるとします。逆に 「AAAの日高のファンです、でもSKY-HIはラッパーなんでしょ? じゃあ聴かない」という偏見もある。さらに「日高ってすごいよね。AAAなのにがんばっていて」という偏見もある。ツイッターでプチ炎上することも多いんですよ。今日も「出自上、人に曲を作ってもらってるお人形さんアイドルだと思われることを払拭したい」とツイートしたら、プチ炎上して(苦笑)。俺はアイドルに対してネガティブな思いなんて全然なくて。でも、これだけのアルバムを作って歌詞も曲も自分で書いてないと思われる状況はやっぱり心外なんですよね。そうすると「じゃあAAAはお人形さんアイドルなんですか?」ってリプライがくる。


ーーなかなか本心を汲みとってもらえない。


SKY-HI:そうですね。もちろん、ナーバスになってるAAAファンの気持ちもすごくわかるんです。俺はAAAというグループも、このグループを作った松浦(勝人)社長のこともすごくリスペクトしてるし、感謝もしてる。本当は野球の4番でエースではあるんだけど、サッカーも上手にできるからサイドバックを任されてるという感覚なんです。


ーーグループのサイドバックを務めてる矜持もあるし。


SKY-HI:もちろんです。すべてをひっくるめて、俺がいろんな角度からの偏見と向き合ってまっすぐにいられる方法はひとつしかなくて。それは、 SKY-HIの作品にたどり着いてくれた人、聴いてくれた人の判断を毎回正解にするということ。偏見と100%真摯に向き合ったうえで、ヒップホップがどうとか、AAAがどうとか、ラップがどうとか、歌がどうとかではなく、自分が作った曲と自分が書いた言葉をその人たちに与える――あえて与えるという言葉を使いますけど、そうやってその人たちの人生に直接タッチするしかない。その数が1人でも10人でも100人でも1000人でもそれをやり続けることでし か、俺は満たされないんです。


ーーそれはかなりタフなことですよね。ある種の執念がないとできない。


SKY-HI:執念ですね。俺に「これくらいでいいや」は絶対にないので。それは執念としか言いようがない。俺は自分のファンがどのアーティストのファンよりも幸せじゃないとダメだと思っていて。それくらい、俺の自意識では世界一偏見の目で見られているという勝手な被害妄想があるんです(笑)。その分、自分が歌うたいでいられる証明をくれる人に対してひとつも裏切りたくないんですよね。そこに俺の執念があって。逆になんでそこまで思えるのかといえば、俺が俺自身の熱烈なファンだからなんですよ。


ーー反骨精神と自己愛が渦巻いている。


SKY-HI:そうですね。自分に対してすごく可能性を感じてるし、だからこそもっとがんばってほしいと思うし、自分が生み出すメッセージが世界中に広がってほしいと思ってる。今はまだ広がるべきところまで全然届いてないという自意識があるので。歌うたいである自分のファンとして「SKY-HIはなんで こんなに評価されてないんだ!?」って思ってる。


・ポジティブだけど、やっぱり根底はものすごく渇望してる


ーー徐々にいろんな方向からの偏見を解消できてる実感もあると思うけど、話を聞いてるととてつもなく高い目標設定の入口にもたどり着いていない感じなのかなと。


SKY-HI:そうですね。得ているものがある分、いかに得てないものがあるのかも痛切に感じるし。ネガティブな意味ではなく、強く渇望している。『カタルシス』の2曲目、「Ms.Liberty」では自由について歌ってるけど、自由になりたいと思ってる時点で自由じゃないから。自由って追いかければ追いかけるほど遠のいていくと思うんですけど、同時に追いかけてるその瞬間はきっと高揚感に満ちあふれてるから。だから、この曲もハッピーなサウンドで届かない自由を追いかけたかった。そういう意味でもつらい日々だけではないし、ポジティブだけど、やっぱり根底はものすごく渇望してるし、孤独感を覚えてるんですよね。


ーーだから、これもネガティブな意味ではなくSKY-HI氏はどこまで行っても満たされないんだと思う。


SKY-HI:そう思います。ホントに世界中の70億人に自分の音楽が届きましたという証明書がないかぎりはずっと渇望は続くと思いますね。でも、そこは覚悟もしていて。闇雲にバトルに出てるときって、自分の努力が報われる先がわかってなかったんですよね。ひょっとしたら間違った努力をしてるかもしれないし、とにかく努力をブンブン振り回してる感じで。でも、そうするとだんだん霧が晴れてきて、この方向の努力が正しいことがわかってきた。さらにそっちに向かって歩いていくと、高みにあがる階段があるんですね。それと同時に、階段をあがれば上がるほど、霧が晴れれば晴れるほど頂点がいかに高いかもわかって。


ーーそして、この『カタルシス』では大衆と向き合って、自分の音楽を届けることに全力を傾けてる。


SKY-HI:今の自分が勝負する対象ははっきりしていて。敵わないのはわかってるけど、それはゲスの極み乙女。だし、ONE OK ROCKだし、SEKAI NO OWARIだし、ゆずであって。たとえば、ゆずのジャンルがJ-POPなのかフォークなのかみたいな議論はされないじゃないですか。ゲス乙女やセカオワもそういう議論はされないでしょう。SKY-HIとしてそこと渡り合わないといけないと思ってるんです。そういう意識が強いから、取材でもヒップホップやAAAを引き合いに出されることのフラストレーションはすごくある。まだSKY-HIのみで語ってもらえないのかって。俺の自己評価では、このアルバムを聴いたらSKY-HIのみで語ってもらえるというくらいの作品性とクオリティを誇っている自信があるので。


ーーでも、このアルバムを聴いたらラッパーとしてのSKY-HIに注目せざるを得ないですけどね。


SKY-HI:ああ、どうなんでしょうね? 『カタルシス』ってどれくらいラップアルバムなんでしょうね?


ーー俺は多様な音楽性をたたえたポップなヒップホップアルバムだと思います。


SKY-HI:なるほど、「スマイルドロップ」とか「アイリスライト」も1曲通して歌ってるけど、感覚としてはバースでラップして、フックで歌うということを全編通してやってるのかもしれないですね。ただ、ずっとラップしてるナンバーがあるのも、ずっと歌ってるナンバーがあるのも全部1シーンにすぎないというか。映画的であるアルバムとしての『カタルシス』は、どのジャンルに位置づけられるかわからないけど、どのジャンルのフィルターを通しても無条件に楽しめるものになってるという強い自負があります。


ーーその自負はこちらもすごく感じてます。


SKY-HI:しっかりエンターテインしたうえでメッセージを渡せるアルバムだと思う。コンセプトアルバムとしての構成とかアルバム全体にダブルミーニング、トリプルミーニングを波及させる方法論はヒップホップから一番強い影響を受けてるのは確かですね。そのうえでオンリーワンなアルバムを作れたという自信があって。ヒップホップ的でもあると思うけど、考え方によってはロック的でもあり、ポップ的なアルバムだと思う。


ーー何よりSKY-HI氏のラッパーとしてのスキルの高さが際立っているから、こちらがヒップホップを聴く耳になるというのもあると思いますけどね。いい、悪いの話ではなく、SEKAI NO OWARIやゲスの極み乙女。がラップをしていてもヒップホップを聴く耳にはならないから。


SKY-HI:なるほど、俺、ラップ上手いからなー! そうか、ラップが上手いし、2枚目だからな(笑)。


ーーいやいや、もちろんラップのスキルが高いことに越したことないわけで。スキルの高いラップを誇示しながら、SKY-HI氏だからこそ表現できるポップネスを満たしてると思うし。


SKY-HI:そうですね。クオリティは絶対に落としたくないという感覚はナチュラルにあるから。最初に言ったとおり作品性も歌詞もフロウのアプローチも 発声も歌の強度も突き詰めるべきところはたくさんあるし、それを突き詰めなきゃいけないと思う。だって、単純にクオリティの低い音楽よりクオリティの高い音楽のほうが聴きたいじゃないですか。


ーーもちろん。間違いないですね。リスナーの目線に合わせてサービスとしての音楽を作るなら、ポップミュージックのアート性は消失すると思うから。


SKY-HI:そうですね。それは階段をおりるってやつですよね。


ーーSKY-HI氏はこのアルバムでリスナーの目線を上げようとしていると思うんですね。


SKY-HI:うん、そうですね。僕も階段をおりたところに真のポップミュージックはないと思います。階段を行ききった先じゃないとポップとしての輝きは絶対に得られないと思う。結果的に売れた曲に簡単なコード進行やわかりやすいメロディ、シンプルな歌詞が多いのは、行ききったからだと思うんですよ。ポップミュージックの表現を研ぎ澄ませた結果、シンプルになったというだけで。それを踏まえないで過去の音楽家が生んだ財産を拝借するだけではポップミュージックの輝きは得られないと思う。


ーーこのアルバムでSKY-HI氏が目指すべき立ち位置が明確になったと思うんですよね。それは、全能のエンターテイナーとしての立ち位置で。


SKY-HI:そうですね。強烈に伝えたいメッセージがあるからこそ、エンターテインしなきゃいけなくて。それこそ『カタルシス』に“語る死す”というダブルミーニングを込めたのも俺に強烈に伝えたいメッセージがあるからで。ただ、そういうメッセージをひたすら重たいトラックで放っていくと、映画と勝負するエンターテインメントとしての強度が下がると思ったから。音楽的な振れ幅が広くて、強烈に伝えたいメッセージをエンターテインする、俺にしか作れないアルバム。それが『カタルシス』だと思ってます。
(取材・文=三宅正一)