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世良公則 ナメられないようにレコードを聴きまくっていた

2016年02月01日 05:30  週刊女性PRIME

週刊女性PRIME

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昨年、ドラマ『下町ロケット』(TBS系)で腹黒い心臓外科医の貴船教授を怪演していた世良公則。すごみのあるセリフが話題となったが、本業はご存じロックシンガーだ。 「去年出したシングル『いつものうた』は、つるの剛士クンとのデュエット曲です。作詞作曲は奥田民生クンで、広島ゆかりの40代、50代、60代がコラボしたんですよ」 昨年12月に還暦を迎えた。アニバーサリーイヤーということで、8月に野村義男とのユニット『音屋吉右衛門』名義のライブアルバム『オトコノウタ』、9月に『いつものうた』、10月に初のオフィシャルベストアルバム『Premium BEST Songs&Live』と3か月連続のリリース。創作意欲はまったく衰えを見せない。 「'12年はデビュー35周年ということで、『BACK BONE』というカバーアルバムを出しました。井上陽水さん、THE BLUE HEARTS、モンゴル800、斉藤和義クンなどの曲をカバーしたんです。 斉藤クンの『ずっと好きだった』は僕の曲『宿無し』が原点になっていると言ってくれていて、今度は僕が彼の曲をカバーしたわけです。音楽って世代を超えた縁があるんだな、と感じましたよ」 『世良公則&ツイスト』として『あんたのバラード』でデビューしたのは'77年のこと。『宿無し』『銃爪』とたて続けにヒットを飛ばし、'78年に発表したアルバムはオリコン1位を記録。 日本のロックバンドとしてチャート1位になったのはこれが初めてだった。いわゆるロックをメジャー化したパイオニアだ。 「“テレビに出たらロックじゃない、メジャーな世界に背を向けているからロックなんだ”と言われていた時代でした。スタンドマイクを持ったパフォーマンスがウケましたが、もともとロッド・スチュワートとかジェームス・ブラウンがやっているのを見ていたんです。 日本でいちばん初めに、テレビカメラの前で派手にやったのが僕だっただけですよ。マイクスタンドの使い方で個性が出ると思っていたから、よし、投げてやろうとか考えていました。そのころはマイクにコードがついていたから、コードを引っ張ったり、投げたり受け止めたりね」 まだ誰もが洋楽を聴いていたわけではなく、大人気だった歌番組『ザ・ベストテン』(TBS系)の世良を見て初めてロックに触れた人も多い。男の子たちはこぞってアクションをマネしていた。 「ロックの世界でバンドとしてミュージシャンとして認めてほしくて、空いている時間はとにかくギターを触って、レコードを聴きまくってという生活でした。 インタビュー取材のとき“本当のロックを知らねえくせに”と言われるのがイヤだったから、答えられない質問がないように毎週何十枚もレコードを買って聴いていました。 あのころは、女性ファンがつくとミーハーだとか言われたんです。なぜか日本では“10代に支持されると本物じゃない”という風潮があったんですよ」 アイドル雑誌の表紙を飾るほどの人気となり、それまで男だけのものだったロックバンドに女性ファンが生まれた。'81年にツイストが解散後、世良はソロ活動を開始。 「'82年かな、小林克也さんの『ザ・ナンバーワンバンド』に桑田佳祐、織田哲郎と一緒に参加してギターを弾いていたことも。今思うと、ものすごく豪華なメンバー。昔は考え方が自由だったんだよね。最近はどこかビジネスライクで、“みんなでやろうぜ”と言ってもなかなか難しい」