2016年01月27日 16:01 リアルサウンド
一昨年の暮れに連続ドラマとして『信長協奏曲』が放映されていたときの一番の衝撃は、すでに30歳を過ぎていた小栗旬がまだ高校生の役を演じているということであった。思い返してみれば、『GTO』で彼を最初に見た時から、十数年経っているのに、それほど印象が変わっていないのである。
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10代20代の若手俳優が乱立する現在では、いくら織田信長にすり替わる役を演じるからといっても、高校生の役を演じられる役者は他にいなかったのかと感じてしまうが、これまで映画で織田信長という人物を演じてきた役者を見てみると、マキノ雅弘の『織田信長』では片岡千恵蔵、森一生の『若き日の信長』では市川雷蔵、三隅研次の『尻啖え孫市』では勝新太郎と、日本映画史の伝説とも言える面々が並ぶ。そうなると、変わり種の作品とはいえ、若手の新進役者に委ねるには荷が重すぎるのだろう。
本作の映画化が発表されたのはドラマの最終回のときのことで、それまでは少なくともフジテレビの看板である月曜9時枠のドラマで主演を張れることと、まったく違うキャラクターを一人二役で務められること。この二点がキャスティングの条件であったと仮定すれば、小栗旬以上の適役はいなかったのであろう。大ヒットした主演映画『クローズZERO』の源治役や、『踊る大捜査線 THE MOVIE3』でのインテリ警視の鳥飼役など、それまで彼が築いてきた人の良さそうなイメージを覆すようなキャラクターさえも問題なく演じてきたわけだし、『あずみ』や『TAJOMARU』などの時代劇映画の実績もある。何よりも蜷川幸雄に認められるだけの演技力を有している彼ならば、ひとつの作品の中で陰と陽を演じ分けることぐらい容易いことなのかもしれない。
現に、高校生という設定には違和感の残るものではあったが、それはあくまでも物語の序盤に限ったことで、ほとんどのシーンでは「信長の代わりを務める現代から来た無知な若者」という役柄を、問題なく演じきっていたように見える。歴史オンチで朗らかなそのキャラクターと一緒に、日本史の重要な事柄をなぞっていくという、日本史入門的な面白さがドラマにはあったのだ。もちろん、途中から明智光秀として登場するもう一人の小栗旬が体現する、嫉妬と苦悩に満ちた役という、正反対なキャラクターとのコントラストも、かなり軽いテイストのドラマに物語としての重みをプラスする上で、重要な役割を果たしていた。
映画化に当たって大きく変わったことは2点あり、まずドラマ版では合戦のシーンは極めて淡白で、あくまでもその前後の人間ドラマに物語の焦点が置かれていたが、映画版では合戦のシーンが多くなり、目を背けたくなるような暴力性も付け加えられた。そのため、天下泰平を目指すために戦を行うということの矛盾があまりにも大きくなっていた印象もあり、この点に関しては評価が分かれるだろう。もう一点は、画面を横長のシネマスコープにしたこと。これは合戦のシーンにスペクタクルを求めた結果だと思われるが、どのシーンを観ても、フレームの両端が余ってしまっていて、それに見合った構図が選択されていなかった印象だ。
テレビドラマが映画化された作品の中でも、『真夏の方程式』や『テラスハウス クロージングドア』などは、テレビと映画の見せ方や観客の見方の違いを意識して作られ、傑作と呼べる仕上がりになっていた。また、『踊る大捜査線』や『アンフェア』などは、テレビでは実現できなかったような大スケールの物語に切り替えられ、映画版の醍醐味が味わえた。
一方、今回の『信長協奏曲』の場合は、ドラマの延長線上というより、ドラマ内で完結させずに最終回の位置付けとして、映画化を選択したといえよう。先述した作品に比べると、映画化のメリットを活かしきれていない印象も否めないが、主演の小栗旬、そして羽柴秀吉を演じる山田孝之ら、キャストの好演に助けられて、125分という比較的長めの尺を退屈に過ごすようなことはない。このようなタイプだと、『SP THE MOTION PICTURE 野望篇/革命篇』のように、興行的にも内容的にも成功している例がある。元々映画のような作りを意識して作られていたドラマであったとはいえ、同作を契機にV6の岡田准一がアクション俳優としてのポジションを確立し、映画俳優としての確固たる地位を築いたことは大きい。
今回の映画化は、小栗旬ら役者陣の実力を見せる作品としては十分に機能しているし、ドラマを観続けてきた視聴者に「最終回を映画館で観る」というイベントを提供するという点でも意義はあっただろう。せっかく大ヒットを狙えるだけの知名度を持つ安全圏のコンテンツなのだから、もう少し映画ならではの魅力を味わいたかったところだが、あくまでテレビドラマの最終回として楽しむのが、本作の鑑賞の仕方としてはベストなのかもしれない。(久保田和馬)