2016年01月26日 10:31 弁護士ドットコム
タレントのなべおさみさんが長年の芸能生活で見聞きしたことをまとめた書籍「昭和の怪物~裏も表も芸能界~」(講談社)が出版された。石原裕次郎さんや高倉健さんをはじめ、著名な芸能人の裏話が満載のこの本の中で異彩を放つのは、1974年(昭和49年)7月の日航機ハイジャック事件に遭遇したときの体験談だ。日本社会を震撼させた事件の現場で何を見て、何を考え、どう行動したのか。なべさんに約40年前の体験をふりかえってもらった。(取材・構成/具志堅浩二)
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「当初は、何も恐怖感を感じませんでした。だって、今までに遭ったことがないんだから。乗り合わせた皆さんも同じでしょう」と、なべさんは振り返る。
ハイジャックが発生したのは、1974年7月15日の夜。大阪・伊丹空港を飛び立ち、東京・羽田空港に向かっていた日本航空124便の機内。なべさんは、大阪でテレビ番組の収録を終えて東京に戻るため、この便に搭乗していた。
有名芸能人だからなのか、若い客室乗務員や他の乗客に頼まれて、コックピットの近くまで様子を探りにいったところ、中からは、赤軍派の幹部らしき人物の釈放を要求する犯人の声が聞こえてきたという。さらに、回答が長引けば乗客を殺す、とも。なべさんは、犯人が出てきたら立ち向かおうと決意する。
124便は羽田空港に着陸。犯人と日航の対策本部とのあいだで交渉が行われたが、日付が変わった7月16日の午前1時すぎに離陸し、午前2時前に名古屋空港へ着陸した。なべさんは、機長からのアナウンスによって、北朝鮮に向かう予定であることを知ったという。
名古屋空港では、犯人の要求によって給油作業が行われていた。その間も、犯人側と日航側の交渉は続いていたが、給油の進捗の遅さに犯人は焦れていた。
なべさんは、コックピット内から興奮した雰囲気が伝わってきたことから、外では124便を離陸させない準備ができたのではないか判断したという。「離陸できない、となると、犯人は焦燥感から爆弾を爆破させるかもしれません」。
なべさんたち乗客は、まず少数の人を先行して降ろして、機動隊に中の様子を伝えることに。機内のカーテンなどを活用して、後部ドアから降りるためのロープを作った。
先に2人を脱出させたが犯人は気づかない様子だったので、今度は脱出シュートをセット。乗客は次々と滑り降りていき、なべさんも脱出に成功した。事件のほうは、機動隊員が機内に突入して犯人を逮捕、発生してから約8時間半で解決した。
書籍には、他にも事件に関するさまざまなエピソードが記されている。実際にハイジャック事件に遭遇した人間だからこそ語ることができる迫真の内容だ。
(弁護士ドットコムニュース)