ジェンソン・バトンは、過去にF1で経験してきた苦難が、マクラーレン・ホンダの苦境を乗り切る強さを与えてくれたと考えている。
ホンダがパワーユニットのサプライヤーとしてF1に復帰した2015年は、マクラーレン・ホンダのメンバー全員にとって苦難を耐え忍ぶシーズンとなった。繰り返される信頼性の問題、明らかなパワー不足の結果、マクラーレンはチーム史上で最底辺のコンストラクターズランキング9位という惨憺たる成績に終わっている。
だが、2009年の王者バトンにとって、苦しい日々を送るのは初めてのことではない。ベネトンに乗った2001年は、わずか2点しか獲得できず。ホンダのドライバーとして迎えた2007年と2008年も、それぞれ6点と3点にとどまった。
「キャリアのどの段階でF1に来るかは人によって違うし、最初に加わるチームも競争力があったりなかったりとさまざまだ。僕の場合は、あまり競争力のないチームだった」とバトンは言う。
「僕にとって、より大きな意味があったのは初勝利を迎えるまでの過程だ。到達するために必死で努力し、苦労と厳しい戦いを経験する。そうして勝ち取ったものは、本当に特別なものに思える。2006年にホンダで初勝利(ハンガリーGP)をあげたとき、僕はあれほど大勢の大人たちが涙を流しているのを初めて見たよ。チームの全員が泣いていたんだ」
「苦戦するのは、つらいことだ。誰でも避けたいものだが、そうした経験からドライバーとして、人としてのありかたを学ぶことも時には必要だと思う。実際それは僕のキャリアにとても良い影響を及ぼした。僕は以前よりも、ずっと強い人間になれた」
ホンダがBARのエンジンサプライヤーとしてF1に復帰し、のちにワークスチームとなったいわゆるF1活動の第三期(2003年から2008年まで)も、やはり困難な時期だったとバトンは認めている。だが、36歳になった元チャンピオンは、耐え難いシーズンを経たホンダが、より強くなって浮上すると感じているようだ。
「このスポーツに参加して戦っていくのは、決して楽ではないことをチームの全員が実感させられた。とにかく競争が激しい。そして、常に世間の注目を浴びていて、こっそり逃げ出すことなどできない。トラブルに陥ると、みんなが話題にしたがり、恥をかかせようとする。それは本当につらいものだ。ひどく不名誉なことにもなりうるから、日本の文化で育った人々には特に厳しい経験だろう」
「昨年は本当に困難なシーズンだった。それでもホンダは前向きに、全力で仕事をしていた。今年は大きく変わるだろうし、僕らもチームとしてクルマのメカニカルと空力の面で大きく変わるはずだ」
「とにかく、あらゆる部分で進歩する必要がある。まさに僕らもそれを目指しているんだ」