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SMAPは音楽で“社会のしがらみ”を越えるか? ジャニーズが貫徹すべき“芸能の本義”

2016年01月21日 17:01  リアルサウンド

リアルサウンド

大谷能生、速水健朗、矢野利裕『ジャニ研!』(原書房)

 SMAPの報道を見たとき、すぐに思ったのは、「SMAP、解散しないで欲しい」ということだった。しかし、1月18日の『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)で、メンバーの謝罪とそれにともなう存続の意志を見ても、素直に喜ぶことはできなかった。大好きな「しようよ」を聴いて、心を整理していた。これは、僕がSMAPのSMAP性とでも言うべきものに魅了されているからこその気持ちである。森脱退の20年後が、まさにこういうかたちとは。


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 そもそもSMAPとはどういう存在か。一言で言うなら、ジャニーズにクラブ・カルチャーを持ち込んだ存在である。ハウス・ミュージックをはじめ、SMAPはジャニーズにダンス・ミュージックを鮮烈なかたちでもたらした。重要なことは、ここでクラブ・カルチャーと言うとき、対比されているのはディスコ・カルチャーだということだ。ジャニーズの本流は、ディスコ・カルチャーにある。ジャニー喜多川の美学は、きらびやかにドレス・アップされたディスコ・カルチャーに詰まっている。「仮面舞踏会」のごとく着飾った衣装に、流麗かつ激しいダンス。華やかなステージを彩ってくれる、すぐれたパフォーマーこそがジャニーズ・アイドルの本流だった。しかしSMAPは、その本流から外れていた。必然、デビュー直後は苦労した。そんな苦労を支えていたのが、くだんの飯島マネージャーというわけである。その意味で、確執の芽はデビュー当初からすでにあった。


 いや、事務所については、ここでは問題にしない。大事なことは、そんなSMAPがクラブ・カルチャーを体現していた、ということだ。日本のポピュラー音楽史的に言えば、ドレス・コードが決まっていて派手に着飾るディスコ・カルチャーを撃ったのは、1980年代後半から90年前後におけるクラブの台頭である。旧来的な振り付けをともなったディスコの空間は、ヒップホップやハウスといった音楽とともに、もっと自由で解放的になりつつあった。なかばお決まりだった選曲も、DJ独自のセンスと思想が反映されるようになった。それはのちに、渋谷系やレア・グルーヴといったムーヴメントに結実する。1990年代なかば、SMAPが人気を獲得をしていく時代は、このようなクラブ・カルチャーの隆盛に支えられていたのだ。


 普段着でふらっと立ち寄ることができるクラブという場所。いかにも大仰に振舞うことがダサいとするような、自然体のままでいられる遊び場。まるで、SMAPの魅力そのものではないか。つまり、ディスコ・カルチャー的なジャニーズの本流から外れたSMAPは、それゆえにクラブ・カルチャー的な魅力を獲得したのだ。そして、1990年代とは、まさにクラブ・カルチャーの時代だった。クラブ・カルチャーと言っても、V6のような六本木の大バコではない。六本木は、まだ旧来的な芸能のにおいが残っている。ここで言っているクラブ・カルチャーとは、都会的で洗練された渋谷レコ村的なものである。はっきりと、フリー・ソウルと言ってもいいかもしれない。


 DJで選曲家の橋本徹が監修をしたことで有名な『Free Soul』というコンピレーションのシリーズは、1990年代、フリー・ソウルというムーヴメントを巻き起こした。クラブ・ミュージックやDJカルチャーの隆盛によって、これまであまり振り返られなかった古き良き名曲たちの独特なフィーリングを、「フリー・ソウル」と名づけることによって蘇らせたのだ。「しようよ」や「俺たちに明日はある」といった1990年代のSMAPの名曲たちは、明らかにフリー・ソウルと歩みをともにしている。実際、「がんばりましょう」などは、フリー・ソウルとして再発見された1970年代のソウル・グループ・Nyteflyteの曲のメロディーを、渋谷系的なセンスで借用しており、そのことは、コンピレーションCD『Free Soul -avenue-』においても指摘されていた。フィーリング的にも、方法論的にも、SMAPは、洗練されたクラブ・カルチャーの同時代としてあったのである。


 ジャニーズに、この洗練されたクラブ・カルチャーの風を吹かせた功績は、とてつもなく大きい。その影響は、同時代で言えばV6の大ヒットアルバム『NATURE RHYTHM』の楽曲にも流れ込んでいるし、もちろん、嵐をはじめとするのちの世代にも脈々と継がれている。SMAPがジャニーズに持ち込んだものは、高い技術でポージングをするような振る舞いではなく、もっと自然でルーズな振る舞いである。それはディスコ的な華やかさではなく、クラブ的な色気だ。この親しみやすい魅力が、ジャニーズ勢にバラエティへの道をも示した。  歌って踊ることとまったく同じ水準で、バラエティ番組で芸人的に振舞っていた。歌からコメディまでこなす喜劇人――すなわち、正真正銘の芸能‐人だったというわけだ。SMAP以降、ジャニーズにおける芸能のありかたは、飛躍的に拡張され、アップデートされた。


 芸能の本義は、常人とは異なる身体性を用いて、日常とは異なる空間を演出することだ。僕たちは、だからこそ、歌や踊りや笑いに触れることで、ほんのつかのま、社会のしがらみから解放される。かつて、ブロードウェイ・ミュージカルに魅了され、美空ひばりの舞台に感銘を受けたジャニー喜多川は、そのことをいちばん知っていたのではなかったのか。ジャニーズ事務所は、そういう日常から解放されるようなステージングを、なにより目指していたはずではなかったのか。だったら、ほかならぬ芸能‐人を、ああいうかたちで、社会のしがらみの最前線に立たせてくれるなよ。過剰に囲い込むようなファンクラブのシステムなど、これまで、ジャニーズのすべてに対して好意的だったわけではない。しかし、芸能‐人としての身体を提示し、日常と異なる空間を演出する、という一点については信頼をしていた。というか、その一点において、僕はジャニーズと向き合っていた。しかし、どうだろう。謝罪をしていたときのSMAPの、あの社会に疲れ切っていた顔。あんな表情を続けるくらいなら、芸能‐人としての身体が失われるくらいなら、SMAPである必要もジャニーズ事務所である必要も、まったくない。たとえ解散したとしても、司会としての中居のほうが、俳優としての木村のほうが、その意味では、よほどSMAP的なはずである。


 ジャニーズ事務所は、かりにも自らが育んだ芸能‐人の、その芸能‐性を、派閥だか利害関係だか知らないが、つまらない社会的なしがらみで失わせるべきではない。一連の騒動の舞台裏については知るよしもないが、いずれにしても、芸能人の芸能‐性を失わせるような事態こそ、ジャニー喜多川がもっとも忌むべきことではなかったか。数々の舞台をプロデュースしてきたジャニー喜多川に言いたい。あんな表情で謝罪をするような舞台演芸が、あってたまるか。みんな、日常からの解放どころか、日常のいやなしがらみを思い出してしまったではないか。だから、SMAPは旧態依然とした芸能事務所のシステムに負けた、という論調があるが、違うと思う。ジャニーズ事務所が、本当に当初の志を失っていなかったならば、少なくともあのような謝罪のかたちはなかったはずなのだ。面白がっていた視聴者もいるようだが、実際におこなわれていたのは、ドメスティックで、ハイ・コンテクストで、排他的な、内輪ノリである。あんな最低な舞台演芸は見たことがない。


 もし希望があるとすれば、それでも芸能は社会を越えてくる、ということだ。あらゆる社会的な困難にあるときこそ、歌と踊りと笑いが必要とされる。芸能は最後の最後、社会を越えてくると信じている。それがジャニーズと向き合っていた理由でもあるので、なおさらだ。こんなことがあったからこそ、すでにSMAPの音楽を聴きたくなっている。この欲望自体に、社会に負けない芸能の強みがあらわれている。だから、あんな謝罪では、まったく納得がいかない。だって、自らが歌っていたではないか。


微笑みに分かった顔しないでさ/いつだって気持ち素直に伝えよう/正直にとにかく何でも隠さずに/話をしようよ(「しようよ」)


 社会のしがらみに巻き込まれたSMAPが、「正直」に話ができないことくらい分かっている。しかし、芸能‐人にとっての「正直」さとは、あの、歌って踊る身体に他ならない。だから、社会のしがらみとはまったく別の水準で、芸能‐人としての「正直」さこそを早く見せて欲しい。(矢野利裕)