2016年01月20日 18:41 リアルサウンド
スガ シカオが、いよいよ6年ぶりのニューアルバム『THE LAST』をリリースした。
集大成にして最高傑作と言えるアルバムを作ることを長らく目標としてきた彼。2011年に事務所とレーベルを離れて独立したのも、それを目指すためにとった選択肢であった。そして、彼にとっての「再メジャーデビュー作」となったアルバムは、小林武史を共同プロデューサーに迎えた、文字通りの勝負作。そこにあったのは、エグ味たっぷりのグルーヴと言葉が詰め込まれた、かなり挑戦的な内容の一枚だった。
果たしてどういうことなのか? かなり独創的なレコーディングの模様から、自らの本質、今の時代におけるミュージシャンのあり方まで、たっぷりと語ってもらった。(柴 那典)
・「今まで絶対に開けなかった箱とかもバンバン開いた」
ーー今の時代って、スガ シカオというミュージシャンには追い風が吹いている音楽シーンの状況だと思うんです。というのも、マーク・ロンソンのように「ファンク」というキーワードを掲げたポップソングが世の中を席巻しているわけで。
スガ シカオ(以下、スガ):ああ、そうですね。ダフト・パンク以降というか。
ーーでも、今作はそういう時流にはあえて乗っていないと思うんですよね。むしろスガ シカオでしかありえないものを作ってきている。こういうアルバムに至るまでにはいろんな選択肢があったと思うんですけど、どういうところからこの今作に至る道が見えてきたんでしょうか。
スガ:それが、10周年を迎えた2007年の頃から、実は道を見失っていて(笑)。アルバムで言うと『PARADE』の後なんですけれど。
ーーそれはかなり前からですね。
スガ:それまでは自分のルーツのマニアックな音楽とポップなものをどう融合させるかを頑張ってやってきたんですけど、『PARADE』が結構売れたので、一回そこで区切っちゃったんですよね。で、「この先、俺は何をしたらいいんだろうね」ってマネージャーと二人でずっと迷ってたんですよ。そこからファンクをルーツにしたものを作ってみようということで『FUNKAHOLiC』と『FUNKASTiC』を作ったりしたんですけど、その時には道を完全に見失っていたんです。
――どういう迷いだったんでしょう?
スガ:とにかく、いろんな道があるんですよ。ポップもある、弾き語りもある、ファンクもある、どぎついのもある、みたいな。いろんな曲もできるし、選択肢がすごくありすぎて、どの扉を開ければいいのかわからない。なので、とりあえず全部開けてみようみたいな、そういう選択しかできなくなってたんですね。とりあえず全部入れよう、みたいな。
ーー幕の内弁当みたいな?
スガ:そう。幕の内弁当みたいなアルバムを作って「これでいいんだよね?」みたいな感じで。でも誰かにビシっと「こういうのやった方がいいよ」と言われたほうがいいなとは思っていて。そういうリーダーを10年前くらいからずっと探していたんですね。
ーーたしかに「デビュー20周年までに集大成となりうるアルバムを作る」と言いながら、その一方で幕の内弁当みたいなアルバムを作ってきたわけだから「自分の集大成ってなんだろう?」ってことになりますよね。
スガ:そう、まったくわからなくなっちゃってて。「集大成を作る」って言ったはいいけど「俺の集大成ってなんだ?」みたいな。だから、2011年に事務所とレーベルを辞めてインディーズになった時に、まず音楽的リーダーを探そうと思って、小林武史さんに声をかけたんです。で、『ACOUSTIC SOUL』というアルバムでヘルプに入ってもらって。「ここの歌詞はスガくんのファンにしかわからないから直した方がいい」とか「このアレンジはもっとこうした方がいい」とか。そうすると見違えるくらい曲がよくなるんですよ。このやり方だったら一緒にできるかもしれないと思って、フルアルバムを一緒にお願いすることにしたんです。それまで配信とかシングルばっかりを作ってたんですけど、いよいよ「集大成で最高傑作を作りたいんです」っていう命題ごと小林さんに投げた。それが2015年のことですね。
ーーで、最初に50曲くらいデモを作ったんですよね。それはいわば、自分のできる音楽的なチャレンジとか、得意技とか、そういうものを全部詰め込んだものだった?
スガ:そう。もう、スーパー幕の内弁当ですよ(笑)。50種類おかずの入っているスーパー幕の内弁当をまず作って、小林さんにドンっと投げた。あとは、今僕が格好いいと思っている音楽も集めて渡して。で、「どうしたらいいと思います?」って言ったんです。そうしたら、小林さんが「こういうアルバムはどう?」って提案をしてきたんですね。
ーー小林さんはヒットメイカーですし、大衆がどういうものを望むのか、嗅覚でも論理でも捉えていらっしゃる方ですよね。その小林さんが50曲から選んだのが『THE LAST』というアルバムである。これって、すごいことですよね。つまり一番エグいものが一番売れるんだ、っていうのがポイントになっている。
スガ:そうですね。僕がセルフプロデュースでやってたら、この選曲は絶対にないですよ。100%ない。もっと幕の内弁当になっていたと思う。けど、最初に「今回はもうJ-POPはいらないから」って言われたんです。「とんがっているものだけで勝負しよう」って。「そんなの俺の集大成じゃないんだけど」とか思ったんですけど(笑)。一緒にスタジオに入って作っていく中でも、どんどんエグい方にいくし、ポップな曲はないしで、不安でしたね。
――不安はあったんですね。
スガ:そりゃありましたよ。なんで不安かと言うと、やっぱりこれまではマニアックな曲調にすると、シングルでもセールスの数字が出なかったから。そうすると、誰かが責任をとらないといけない。っていうことになる。その恐怖感があって、ストッパーがかかるんですよ。でも小林さんは「ダメな結果だったら俺が責任とるからさ」みたいに言ってくれて。そこから火がついちゃったんですよね。「じゃあもう、やるだけやったるわ」みたいな。今まで絶対に開けなかった箱とかもバンバン開いて、で、結果としてこのアルバムになったという。
・「「これ大丈夫かな」ってずっと思っていた(笑)」
ーーそこでどういう勢いがついたんでしょう?
スガ:僕がずっと思ってることなんですけど、ここ十数年、どの曲を聴いても、音楽がみんな一つの額縁に入っちゃってる感じがするんですよ。DTMになってから特にそうだと思うんだけど、海外も含めて、その額縁から出る音楽が一個もない。そこにハマっちゃうのが自分としてはすごく嫌で。「どうにかしてこの額縁から出られないものだろうか」というのを考えていた。小林さんとも「じゃあ額縁を超えているのってどんな曲なの?」みたいな話をして。理屈ばっかり言っていたんだけど、「あなたひとりだけ 幸せになることは 許されないのよ」という曲のアレンジができたときに、実際に「あ、額縁を出た!」みたいな瞬間があったんです。それがやれた実感があったんですね。そこから火がついたんですよ。つまりは額縁の出方がわかった、という。
――額縁の出方がわかった、というと?
スガ:要するに、今出ている音楽のソフトとか機材って、全部、形を矯正するものばっかりなんですよ。だから、何かちょっとハミ出すとひゅっと強制されちゃう。
ーーなるほど。テンポのズレを直すとか、歌の音程のズレを直すとか。
スガ:あとはレベルメーターが赤に行かないように直すとか。今出ている音楽周辺機器、楽器、その全てが修正、強制の方向にしか向いていないんですよ。で、そこをまず取っ払えばいいんだってことがわかったんです。最初から修正しないものをベーシックに作る。そういう周辺機器と逆のことをするようにしたんです。そこがターニングポイントになったんだと思う。だから聴いて「うわ、これハミ出してんな!」みたいにウキウキするし、それがどんどん中毒みたいになっていく。そこが火がつくターニングポイントになったんですよね。いろんな方法でそれを発見していくんですけど。
ーー実際、今回のアルバムって上手く言葉にしづらいんですけど、聴いていると「うにょうにょしてる」とか「ぐねぐねしてる」っていう感触があるんですよね。
スガ:そこを今のテクノロジーに通すとビッと揃うんですよ。でも一切そこを通していないので、うにょうにょしたままなんです。というのも、今の時代って、たとえばBPM98という一つのテンポに対して、どこにノったら一番気持ちいいかっていうのを全部計算してくれる機器があるんです。誰でも一番気持ちいいところを選べて、ノレるようになったんですね。でも、だからこそその逆を行こうと思った。合ってないものの上で合ってない歌を歌うのがいいじゃないかっていう発想で「あなたひとりだけ~」を作ったんですよ。
――合ってない歌を歌う?
スガ:あの曲って、テンポがBPM98だとしたらベースはBPM140くらいなんですね。そもそもリズムが合ってないんです。だから、聴いていても、ずーっとズレている。だけど、何百小節かに一回だけ、合ってないんだけどめちゃくちゃ格好いいトラックが出るんですよ。それをひたすら待つんです。何百小節ずーっと聴いて「ここだ!」っていうのをバーンと切り取って、そこをベーシックに曲を作っていく。そういうやり方を発見した。でもそのためには他の楽器も全部ズラさないといけない。というのも、何かが合っていると、無意識にそこに合わせちゃうので。歌もズレてなきゃだめだし、ギターもズレてなきゃダメだし、音程もズレてなきゃダメだし…っていう風に作っていくと、最終的に気持ちいいものになるんですよ。それがアルバムの随所にある。ぐにゃぐにゃした印象っていうのはそこなんです。タイム感があってないもの同士が共存している。
ーー「青春のホルマリン漬け」とかもそうですか?
スガ:そうそう。あれも、BPMを5~6くらいズラして演奏しているんです。生楽器だから大変だったんですけど、その演奏をずっと聴いていって「ここ!」ってところを切り取って。真ん中はもっと大幅にトラック同士のテンポをずらしていって、音程もズラして、カオスにするという。
ーー不思議なのが、これまでのスガさんはそういうマニアックなことをやっちゃうと売れなくなるからってブレーキをかけていたわけですよね。でも、今回は小林武史さんがむしろアクセルを踏んでいる。しかも「今回は実験的なアルバムにしたい」みたいなオファーじゃなくて「最高傑作で集大成にしたい」だったわけで。しかもそれをちゃんと売れるものにしよう、と考えていた。ということは、ハミ出したものこそが逆に大衆性を持ちうるという確信や狙いがあった、ということですよね。
スガ:そうですね。かなり早い段階からそれは言われていたので、とにかくトンがったところと、スキャンダラスな、事件性のようなものでアルバムを作ろうっていうのは早い時期から言われていたから。小林さんの中では何か確信があったんじゃないかと思うんですよね。
ーースガさんはどうでした? そういう自分の中での事件性、ハミ出した部分っていうのが商品性や大衆性を持ちうるって。
スガ:いや、ないですよ。途中まではどんどんディープになっていくんで、「これ大丈夫かな、こんなアルバム」ってずっと思っていた(笑)。商品性どころか、誰得なの!?っていう不安はずっと残っていましたね。
・「俺は自ら崖っ淵に行った」
ーー制作ノートの中で「決め手になる」と語っていた曲がありますよね。これはどの曲ですか?
スガ:「真夜中の虹」ですね。
ーーこの曲は、今語ってもらったようなハミ出してしまう部分と誰もが共有できる部分を、絶妙なバランスで持っている曲だと思います。
スガ:だからリード曲になったと思いますね。この曲は、もとのアイディアになっていたのが、リチャード・ティーの昔のソロアルバムの中で、ティーとスティーヴ・ガッドが2人で「Take The A Train」をやってる曲なんですよ。たぶん遊びだったと思うんですけど、まあ、テンポもめちゃめちゃだし、途中でバトルになるし、そのハミ出し感たるやひどいんです(笑)。稀代の天才プレイヤーって言われた2人が、テンポを外して突っ込みまくってバトルしてる。そのスリリングさがすごくて。こういうトラックでポップな歌を歌えたら格好いいだろうなって思って、それが最初にあった自分のイメージだったんです。だからなるべく小林さんに鍵盤を弾いてもらった時も、できるだけハミ出す前提で、突っ込んで弾いてもらっている。作った時には「これだな!」って手応えはありました。
ーーアルバムの冒頭には「ふるえる手」が、ラストには「アストライド」が収録されています。これは対になっていて、これがあることでアルバムが締まる感じがあるんですが。これはどこから?
スガ:実は、小林さんには「既発のシングルとか配信はゼロにしよう」って言われてたんですよ。でも、どうしても「アストライド」は今歌いたい曲だから入れさせてほしいって言って。そしたら「最後に「アストライド」を置いて、入り口は”アストライドゼロ”を作ったらどう?」って言われたんです。なぜ「アストライド」を作ったか、その日のことを書いてみたらどう?って。で、それ、面白いなと思って。「アストライド」の中に出てくる言葉って、俺の記憶の中のどこにあったんだろうっていうのを探った時に、「ふるえる手」のところにぶつかったんです。そういえば、このくらいの時だったなって。そこから歌詞を作っていきました。
ーー「ふるえる手」はデビュー前の20代の頃を歌った曲ですよね。その頃のスガさんと今とで変わらないものってどういうところにありますか?
スガ:どうだろう、難しい質問ですね……。でも、いつも思うんだけど、今も昔も相変わらず目が悪いんですよ。だから、その頃の記憶もそうだし、最近のこともそうだけど、あんまり景色で覚えていないんですよね。明確な情景描写で覚えていなくて、匂いとか比喩とか、そういうもので視力を補おうとしている。だから歌詞の世界がこうなるんですよ。これは漫画家の羽海野チカさんに言われたんですけど、「スガさんの歌詞は、見てない。いつも星が出てくるけど、星を見ていることがほとんどない」って言うんです。「それは目が悪いからだ」って言われて、そういえば俺の歌詞って全部そうだなって思って。昔から目が悪いから、あんまり視覚に頼れないんですよね。
ーーだから嗅覚と触覚が強くなる。
スガ:そう。いろんな他の感性を使ってなんとかそれを表現しようとしている。昔からそれは変わっていないと思います。だから「ふるえる手」でも、普通だったら父親の表情を書くべきなんだろうけど、自分にはぼんやりとしか見えてないんですよ。どんな顔してたかとか、全然覚えていないんですね。目の前にある手しか見えていない。その手しか覚えていなくて、それを頼りに書く。だからこんなになるんですよね。
ーーなるほど。ほかの曲もそうですよね。
スガ:「青春のホルマリン漬け」もそう。実際に目に見えているものはある程度しか出てこない。〈カビ臭いシーツ〉みたいな匂いとか、女の言った言葉とか、で、そこをなんとか表現しようとしている。それはやっぱり目が悪いからなんですよね。
ーー「オバケエントツ」は小さい頃に暮らしていた街が舞台になっています。
スガ:これも、僕が生まれた頃には「オバケエントツ」はもうないので、見ていないんですよ。だから煙を吸い込んでいる感じを書いている。見えているものの情報が少ないんですよね。
ーーそういう、ご自分の感性、感覚と、ファンク・ミュージックというルーツは繋がっていたり、結びついていたりするんですか?
スガ:いや、全然結びついてないです。そもそも日本語でファンク・ミュージックをやるっていうこと自体に無理があるので、そこはもう自分では全く切り離して考えているし。やっぱりファンクって、繰り返しの音楽だし、普通の精神状態で聴いたらただ退屈なもんだと思うんですよ。でも当時はみんなハッパやってたりドラッグやってる人もいたからこそ開花したわけで。でも僕らは別にドラッグやるわけじゃないから、それをそのままやったところでやっぱり退屈だよねってことになっちゃう。だからファンクをそのままやろうとも思っていないし、そこは一つのルーツとして持っているだけで、あんまりこだわっているわけでもないんですよね。
ーー確かにこのインタビューでも最初に語った通り、スガさんがJ-POPの世界にファンクを根付かせたいという信念をずっと持ち続けているアーティストだったとしたら、このアルバムに辿り着かないですよね。
スガ:この道を選んでないですよね。それは10周年で終わったんですよ、僕の中で。ファンクとポップ・ミュージックとの融合みたいなものは『PARADE』の時に終わっていた。その次の目的が実はなかったっていう感じなんですよね。
ーーでも、改めてその次の目的を探す探求を経て、自分の目的ってなんだったんだろうと思います?
スガ:うーん、なんでしょうね。別にそんな、目的ってほどのものはないですけどね。でもやっぱり今回のアルバムに関しては、いつも言ってるんですけど、音楽を聴く人にとっても、やる自分にとっても、ドキドキしたいんですよね。一貫してそう。しかも、そういう音楽のドキドキ感って、今の時代、どんどんなくなってきているような気がするんですよ。いろんな原因があるんだろうけど、そこは何事にも代えられないものだから、自分としてはそこだけは譲れない。そういう気持ちは今でもあります。目標があるとしたら、そういう感じだと思います。
ーーこれはアルバムの中身だけじゃなく、スガさんが独立してからのここ6年の活動も、音楽にドキドキするってどういうことなのかを一つ一つ問い直していったような期間だったと思うんです。改めて、このアルバムが出るタイミングで振り返って、どういう6年間だったという感じがしますか?
スガ:そうだなあ、たとえばメッセージソングを書いたとしても、そこに生々しさとか説得力みたいなものがなかったら全然ダメだと思うんですよ。自分に説得力がなかったら、メッセージがメッセージじゃなくなっちゃう。辞める直前の頃は、それがジレンマだったんです。毎回毎回、本当に血肉を削って曲を書いて、詩を書いてるのに、リリースしたらなんとなくテレビに出て、ラジオに出て、雑誌をやって、という感じになってしまう。「スガシカオ、新譜出たんだ。へぇ、いいじゃん。じゃあ次」みたいに受け止められているだろうなと思っていたし。そこに何かを込めたとしても、みんなにそれがリアルなメッセージとして届いていないんだろうなって思ってたんですね。思い過ごしなのかもしれないけど。とにかくそこをリセットしたかったんです。
――なるほど。
スガ:前にどこかのコラムで柴さんが「スガシカオは自分をリセットしたかったんだろう、過去も全てゼロに戻して、そこから始めたかったんだろう」って書いていたと思うんだけど、まさにその通りで。その自分のキャリアとか、これまでやってきたこととかを全部捨てて、崖っ淵に立たない限りにはメッセージが伝わらないと思ったんですよ。例えば「アストライド」を歌っても「いや、そりゃお前は成功者だからいいだろうけどよ」って思われちゃうだろうなって。だけど全部捨てて、本当にもう引退するかもしれない、テレビも雑誌もラジオも出なくなって、地下活動に入ってインディーズになって一人でやってるらしい、もう終わりだね、みたいなところまでいってでも伝えなきゃいけないメッセージがあるんだってことを思ったんです。メッセージって簡単なもんじゃないし、自分の手首を切らないと認めてくれないだろうなって。だから俺は自ら崖っ淵に行ったんですよ。
――実際、その頃から一緒に歳を重ねているファンだけでなく、若い世代にもスガシカオさんの音楽が届くようになっていったと思います。
スガ:そうしたらそこで生々しく説得力のあるメッセージを歌っても、みんなちゃんとメッセージとして受け取ってくれるし、「アストライド」みたいな曲でも、会場で聴いて泣いている人もいる。やっぱり全部を捨てたからこそ聴いてもらえる曲なんだろうなって、すごく思ったし。ちゃんとメッセージをリアルに説得力のある形で聴いてほしいためだったんですよね。当時僕はインタビューも何もしていなかったんで、そこをズバリ見抜かれたのは柴さんだけだったんですけどね。やべえな、インタビューであとから話そうと思ったこと全部言われたな、みたいな(笑)。
ーーそれが仕事なので嬉しい限りです(笑)。でも、間違いなく6年前の選択は決死の賭けであったわけですね。
スガ:実際、イチかバチかでやめたつもりだったんで。そのまま浮上できないなら、それはそれで仕方ないなと思っていて、だからあんまり過去に未練もなかった。だからあまり躊躇せずにそこには飛び込めたんですよね。
ーー実際にレーベルと事務所を離れた時にはどんな感じでしたか?
スガ:やっぱり、こんなに俺個人の力ってないんだって思い知らされましたよね。もうちょっと反響あるだろうと思ってたけど、ライブ1本打つのにも全然チケットが出ないし、ラジオとかのブッキングもできないし。それだけいろんな人の力で自分が成り立っていたんだなっていうのを思い知らされましたね。
ーー今回はアルバムのプロモーションとか広めていく手段も、かなりラジカルな手段をとっていると思うんです。そのあたりはどうでしょう?
スガ:僕はずっと前から、活動の基盤をずっとインターネットの世界に置きたかったんですね。SNSだったりメールマガジンだったり、そこでファンとの距離を完結できるところに行きたかったんですよ。で、ネットの世界は革新的なことをすぐ出来るし、アイディア一発ですぐ広めてくれるし、宣伝費がないからできませんとも言われない。なかなかそれができなかったんですけど、辞めたら今度はそこしかなくなっちゃって。だから今でも根幹はそこにあるんです。プロモーションでもなんでも、根幹はネットの世界にあって、そこでファンの人たちと繋がっていて、新しいファンもそこから広がってくる。それをもっと広げるためにテレビだったりラジオに出る。そこは以前と変えられたと思っています。
ーー先日は「生ライブ試聴会」というのもありましたよね。ここ十数年の音楽業界的な常識からするとものすごく異例だけれども、実際にやってみたらすごく刺激的だし、スペシャルな体験でした。
スガ:ただね、効率的に利益を生もうと思うとその形じゃないほうがいいんですよ。アルバムが出たあとにツアーをやる方がいい。でも、僕が2011年に辞めた時に「今自分に持てる最大の武器はなんだろう」って考えた時、利益を追求しなくていいことだって思ったんですね。赤字が出たって自分で背負えばいいだけだし、それよりもドキドキすることを先に選ぼうと思った。それは今に至るまで変わってないですね。やっぱり、アルバムのプロモーションをしてからツアーをやるほうが客入りもいいし、規模も大きくとれるんです。でも、それよりももっとみんなにドキドキしてもらうことを選ぼう、ということをできる立場なので、迷わずそれを選べる。だって、聴いたこともない曲を後ろに歌詞が出て、生演奏で歌われたら、そらドキドキしますよね。
ーーそうそう。背景に映像で歌詞が出るっていうのも、ポイントだったと思うんです。というのも、今の時代、ファンがアーティストの新曲と出会うタイミングって、YouTubeがどんどん多くなってきていると思っていて。しかもリリックビデオも多い。そう考えると、あの「生ライブ試聴会」は、最上級のリリックビデオだったと思うんです。
スガ:たしかに。一番リッチなYouTubeかもしれないよね(笑)。僕もそう思います。
ーー音楽の作り方も、その届け方も、全てにおいてドキドキできるものの選択肢をとったということですよね。そういうところが、このアルバムが集大成であるという意味合いにちゃんと結びついたんじゃないかと思います。
スガ:そうですね。余分な雑念がなくいろんなことを選べる立場になれたからこそ、このアルバムになった。うん、集大成だと思います。(取材・文=柴 那典)