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視覚効果から見る『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』 4DXなどの新規格には向いているか?

2016年01月14日 07:21  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2015 Lucasfilm Ltd. & TM. All Rights Reserved

 ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』Star Warsシリーズ(77~83、99~05年)の十年ぶりの最新作であるJ・J・エイブラムス監督の『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』Star Wars: The Force Awakens(15年、以下、『フォースの覚醒』)が話題を集めています。


 いうまでもなく、この四〇年近くにわたって世界中を熱狂させてきたスペース・サーガは、70年代以降の現代ハリウッドの映像表現や興行形態の革新に絶大な影響を与え続けてきました。ですが、ゼロ年代半ばの「プリクエル・トリロジー」(新三部作)終結以降、映画をめぐる受容環境はさらに、大きく様変わりしました。具体的にいえば、ゼロ年代末からのデジタル(DCP)上映の浸透が可能にした、3D上映、IMAX(高精細上映)シアター、4DX(体感型)シアターなど、次世代体感型上映システムの台頭です。こうした総じて「映画のアトラクション化」と呼べる流れがもたらす意味については、以前にも、このサイトの別稿で論じたことがあります(参考:映画の“アトラクション化”はどう展開してきたか? 渡邉大輔が映画史から分析)。


 このコラムでは、編集部からの依頼に沿って、おもにそうした映像の視覚効果に焦点をあわせて本作のレビューを行いたいと思います。ちなみにわたしは、この新作は昨年末の公開直後に通常の2D版を鑑賞していたのですが、今回の依頼を受けて、あらためて4DX3D版を観てきました。これはその比較を踏まえての感想です。


■エイブラムスはデジタル時代のハリウッドが生んだ究極の「二次創作/オタク作家」


 それではまず、なるべく視覚的な演出に絞って、今回の『フォースの覚醒』についての全体的な評価から述べましょう。


 じつはわたしは、『スター・ウォーズ』シリーズ全体と今後の動向については、『フォースの覚醒』の鑑賞前に、『ユリイカ』1月号掲載の拙論「世界、オブジェクト、生命化」ならびに同号の批評家・石岡良治さんとの対談「「ポスト〇五年=YouTube」の映画をめぐって」ですでにざっくばらんに私見を記しています。今回の『フォースの覚醒』の内容は、多くの論者の見解ともおおむね共通しているのですが、そこでのわたしの予想とさほど変わるところはありませんでした。


 結論からいうならば、本作はまず第一に、いかにも監督を務めたJ・J・エイブラムスらしい、そつのない仕上がりになっていたということと、また第二に――これも石岡さんとの対談で話したことですが――もとよりかつてジョージ・ルーカスが作った『スター・ウォーズ』シリーズ自体がエイブラムスの作風ときわめて近い要素をもっていたことで、今後もエイブラムスが全体の統括を担うことがアナウンスされている今回の新三部作は総体的に成功している(する)といえるのではないかと思います。


 どういうことか、まず前者の点からいうと、しばしば「カメレオン監督」「「個性のなさ」という個性」などとも形容されるように、エイブラムスという作家の大きな特徴として、過去のさまざまなメジャータイトルの新作を、それぞれの世界観や演出を巧妙かつ忠実にトレースして往年のファンたちの期待に完璧に応えてみせるという点が挙げられるでしょう。たとえば、監督やプロデュース、脚本などを手広く手掛けた『ミッション:インポッシブル』Mission: Impossibleシリーズ(06年~)や『スター・トレック』Star Trekシリーズ(09年~)などがそうです。いずれの作品も、それぞれの膨大な固定ファンをほぼ満足させる融通無碍な演出で大ヒットを記録しました。


 あるいは、ほかにも『クローバーフィールド/HAKAISHA』Cloverfield(08年)や『SUPER8/スーパーエイト』Super 8(11年)といった映画作品は、それぞれ日本の怪獣映画(とフェイクドキュメンタリー)、あるいは70年代スピルバーグ作品……といったポピュラーな「世界観」をじつに巧みに擬態して、自作に昇華してみせている。つまり、いまふうにいえば、エイブラムスとはデジタル時代のハリウッドが生んだ、究極の「二次創作/オタク作家」なのです。……そんなエイブラムスだからこそ、今回の『スター・ウォーズ』の新作も、かつてのルーカス版を思わせるみごとなリブートに仕上げるだろうと予測していたら、実際にそんなルックの作品になっていたのです(ただ、これには脚本を担当したのが、旧三部作のローレンス・カスダンだったことも大きく関係しているでしょう)。


 しかも、知られるようにエイブラムスはいかにも21世紀的な映像クリエイターらしく、映画製作以外にも大ヒットテレビドラマの演出などを幅広く手掛けています。いわばかつての古典的なハリウッド映画の輪郭が完全に崩れはじめている現在にあって、映画的な定型にあえてこだわらない作品作りを積極的に推し進めているのが、エイブラムスなのです。これもまた、3Dや4DXなど、かつてない視覚体験が浸透しつつあるいまの映像環境の状況と非常にかかわりが深いところがある。


 ただ、それを踏まえると、そもそも『スター・ウォーズ』というシリーズ、ひいてはそれを率いたルーカスという不世出のクリエイター自体がそうした姿勢の先駆者だったともいえます。たとえば、有名な話でいえば、『スター・ウォーズ』はもともと、ルーカスが少年時代から好きだった連続活劇『フラッシュ・ゴードン』(36~40年)の映画化企画が発端のひとつとなっており、ルーカス自身、映画よりもむしろテレビドラマからの強い影響を認めています(これも断るまでもない有名すぎる小ネタですが、『スター・ウォーズ』の冒頭の、物語概要が手前から奥へと進む印象的なロールは『フラッシュ・ゴードン』のパロディ)。


 実際、本シリーズはその第一作から、本編自体がまるで「シリーズ総集編の一部」みたいな趣向で、ペラペラしたワイプを駆使しながらガンガン話が進んでゆく。あるいは、第一作の悪役ダース・ベイダーが、「アイム・ユア・ファザー!」と、唐突に主人公の父親であることを告白して終わる『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』Star Wars Episode V The Empire Strikes Back(80年)の圧倒的な「尻切れトンボ感」なども、もはや映画というよりは連続テレビドラマの感覚に近い。率直にいって、このシリーズを、「映画」として積極的に評価しているひとは少ないでしょう(少なくとも、自分を含めてわたしはあまりそういうひとに会ったことがありません……)。


 まあ、このあたりの詳細については、旧三部作製作当時のカウンターカルチャーの精神史的背景やら、何よりも「インダストリアル・ライト&マジック」設立にいたるデジタル情報技術革新とのかかわりやら、論じているといろいろ長くなるので、省略します。最近でも関連書籍はいろいろと出ていますから、そちらを参照してください。いずれにせよ、以上のようなさまざまな文脈から考えても、映像表現や視覚的な演出の特徴から見て、今回の『フォースの覚醒』は、とりあえずは3Dや4DXといったデジタル以降の映像環境に見合っており、しかもルーカスの旧シリーズを正統的に継承するに相応しい良作になっていると評価できると思います。


■上下奥行きを軸にしたシークエンスのもたらす効果はいささか物足りない


 ――とはいえ、だからこそというべきか、そうしたエイブラムスの視覚効果の演出について、じつはいくばくかの不満もないわけではありません。その最たるポイントが、やはり4DXや3D鑑賞体験特有の、「縦」(奥行き)を強調する視覚効果の乏しさであったといえます。


 そもそも縦の構図や奥行きの表現は映画それ自体のカタルシスの重要な要素ではあります。が、今日の体感型の上映システムと相俟って展開されるブロックバスター大作においては、それがより本質的な意味をもちうるでしょう。その点でいうと、『フォースの覚醒』は上昇(上下)や奥行き(前後)の映像演出がいささか消化不良気味であったというほかありません。


 そして、じつはこの点は、先ほど書いたように、奇しくももともとルーカス的感性と親和性があり、しかも今回、その作風をこのうえなく忠実に再現してみせたエイブラムスという監督の演出そのものに理由があるのです。これもしばしば指摘されていることですが、作家論的な視点から見た場合、J・J・エイブラムスというクリエイターは、その映像演出において何よりも画面左右にスクロールする「横」の運動の魅力にもっとも才能を発揮してきた人物でした。たとえば、監督作『スター・トレック イントゥ・ダークネス』Star Trek Into Darkness(13年)のクライマックスのチェイスシーンなどが典型的でしょう。むろん、本作でも魅力的な「縦のシーン」がないわけではない。映画冒頭、本作最大のマスコットドロイドであるBB‐8の初登場シーンで、BB‐8が画面手前からポー・ダメロン(オスカー・アイザック)のいる村のテントまで転がり去ってゆく映像などは、導入としてこれ以上ないほど、わくわくさせられました。


 しかし今回もまた、作中のなかでわたしたちの動体視力と映画的感性をもっとも活性化させたのは、おそらくはそれとは対照的な、横移動のシークエンスだったろうと思います(キャメラを担当するのはエイブラムス作品の常連、ダン・ミンデルです)。たとえば、本作のヒロインであるレイ(デイジー・リドリー)の初登場シーンで、彼女がスピーダーを駆って砂漠の惑星ジャクーの広大な大地を横切る姿を超ロングショットで捉えたショット。あるいは、物語中盤、ハン・ソロ(ハリソン・フォード)の知己である伝説の女海賊マズ・カナタのいる惑星タコダナの古城へと向かった一行が、その後、カイロ・レン(アダム・ドライバー)率いる「ファースト・オーダー」の襲撃を受けるシークエンス。タコダナの森のなかでレンのフォースに敗れ、気を失ったまま、レンに連れ去られようとしているレイを目撃した主人公フィン(ジョン・ボイエガ)が、「レイ!」と叫びながら、噴煙の立ちのぼる古城の瓦礫のなかを全力で走る姿をこれもまた、躍動感溢れる横移動撮影で描く演出。これらの魅力的な一連の横移動のシークエンスに比較すると、やはり上下奥行きを軸にしたシークエンスのもたらす効果はいささか物足りない。


 さらにたとえば、ミレニアム・ファルコンの内部に侵入した巨大クリーチャー、ラスターの襲撃シーンにしてもカットを割らずに、船内通路をもう少し息の長いショットで描いていてもよかったのではないか。または、クライマックスのレイを救うためにスターキラー基地へ潜入したフィンたちのシークエンスにしても、全体にいまいち緊迫感に欠けていたのは、おそらく同様の理由があるでしょう。こうした一連の演出は、『フォースの覚醒』全体のアクション描写の立体感や緊張感をいくばくか削いでいるように思いました。


 さらに同じことは宇宙船のスペクタクル表現の視覚効果にもいえます。本作のなかでももっとも素晴らしいシークエンスは、やはり映画前半、タイ・ファイターとストームトルーパーの襲撃から逃げるために廃品同然のミレニアム・ファルコンに乗りこんで飛び立つレイとフィンの空中アクション。2機のタイ・ファイターからの追撃ブームをかわしながら、レイは墜落して半分砂漠に埋もれているスター・デストロイヤーの右の排熱口の内部に侵入していきます。この狭い空洞や側溝のなかを複数の宇宙船が縫うようにチェイスする場面などは、かつての旧三部作でもしばしば見られた演出を髣髴とさせるものであり、この排熱口のなかのチェイスシーンをもっと奥行きを強調して処理すれば、より視覚効果としてグレードアップしたのではないでしょうか。新三部作でも、たとえば『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』Star Wars Episode I The Phantom Menace(99年)で登場した『ベン・ハー』ふうのポッド・レースのシークエンスのような奥へ奥へと疾走する演出が画面に迫力を生んでいましたが、そういった要素はあまりなかったように思います。


 ともあれ、以上のことは最初の2D版を観ていたときも感じていました。そして、今回、4DX3D版を観てきて、当然、おおかたは存分に楽しめたのですが、やはり4DX3Dで観るならば、もう少し上下前後のアクションや視覚的演出がなされていてもよかったではないかと思いました。


 ただ、繰りかえすように、総体的にはとてもよかったですし、何より「J・Jらしさ」を存分に出しつつ、旧シリーズのスピリットもしっかり受け継いでいて、新作としては申し分なく楽しめるのではないかと思います。『スター・ウォーズ』は昨年から、今年公開のスピンオフも含めて、2019年の新三部作完結編まで、毎年、新作が公開されるようです。ルーカスからエイブラムスへ。そのミームがどのように受け渡されていくのか、10年代のハリウッドはこのことがひとつの大きな関心になるでしょう。(渡邉大輔)