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Mrs. GREEN APPLEという“メッセンジャー”の登場 若き表現者が作品に込めた「12の概念」

2016年01月13日 12:01  リアルサウンド

リアルサウンド

Mrs. GREEN APPLE

 邦楽ロックシーンに久々に“つかわされた”メッセンジャーの登場――2016年、本格的なブレイクが目前に迫ったMrs. GREEN APPLE最大のオリジンはそこにある。2015年は初の全国流通盤であるミニ・アルバム『Progressive』を2月にリリース、7月には<EMI Records>からミニ・アルバム『Variety』でメジャー・デビューを果たし、12月には初のシングル「Speaking」(テレビ東京系列アニメ『遊☆戯☆王A R C-V』エンディング曲)と、異例のスピードでリリースを重ね、シングルのリリースタイミングで開催した初の東名阪ワンマン・ツアー『Mrs. ONEMAN TOUR東と名と阪~』は即時ソールドアウト。ファイナルの恵比寿LIQUIROOM公演を目撃したのだが、ファンの約半分は高校生、しかも男子の友人同士も多く見受けられ、アンコールの際、人気ナンバー「StaRt」を歌うことをツイッターで呼びかけた女子ファンが先導する形で巨大な「スタート(アン)コール」が巻き起こり、ライブが終演しても歌い続けたり、ファン同士で記念写真を撮ったり…人気バンドにありがちな光景とも思えるが、感動を共有せずにいられない彼ら、彼女らの姿は新鮮に映ったものだ。そして、『RADIO CRAZY』や『COUNTDOWN JAPAN 15/16』でも入場規制がかかるなど(『RADIO CRAZY』ではMONOEYESとWANIMAとミセスが被り、悩ましい参加者のツイートも散見。500人キャパに2000人が詰めかけたという情報も)、噂のニューカマーをひと目見たいフェス・キッズの心もガッチリとロックしている印象だ。


(関連:Mrs. GREEN APPLEとはどんなバンドなのか? 一足先に彼らにハマった関係者からメッセージ到着


 そんな彼らがいよいよ初のフル・アルバム『TWELVE』を1月13日にリリースした。前述の「Speaking」に象徴されるようなイントロから即座に歌が入り、ジェットコースター気分でサビへの助走を付け、突き抜けるようなサビ、さらにダメ押しのテンポチェンジなど、アッパーで情報量の多い10年代邦ロックのアレンジ力を持ちつつ、洋邦の垣根さえ飛び越える新たなポップネスが輝く楽曲が居並ぶ。すでにインディーズ盤に収録され、ライブで重要な位置にある楽曲も収録。特に”ナナナ ナナナナナナナ”のコーラスや、後半部に和太鼓(!)が登場する「No.7」のぶっちぎったアレンジは痛快だし、混沌としたたムードのプロダクションで鬱屈した思いが綴られる「ミスカサズ」のラウドなサウンドも新鮮だ。また、初めてグランドピアノを大々的にフィーチャーしたバラード「私」も、バンドサウンドに囚われないミセスらしい1曲だ。


 そもそも1曲1曲にもテーマや概念がないと作品が完成しない作り方をしているこのバンド。今回のアルバム・タイトル『TWELVE』の引用元も、1年は「12カ月」、時間は「12時間周期」、裁判の陪審員は「12人」といった、天文学や神事など人間世界の重要なものを表す数字というところであり、それは「コンセプトがないのにアルバムである必要なんてないじゃん、逆に」と言わんばかり。曲そのものは自然発生的であっても、着地点は明快で、例えば「愛情と矛先」では「人の最大の武器は”愛だ”!」、「Speaking」では「コミュニケーション」など、「12の概念を歌ったアルバム」になっている。


 その中で「人は醜くも儚い、だが美しい!」という概念を歌い、これまでもライブのラストなど重要な位置で演奏されてきた「パブリック」が、遂に音源化されたことの意義は大きいだろう。ミセスが「人間を歌う時」のゼロ地点であるこの曲を収録した覚悟は、大森いわく「音源にすることで今後、世の中、お客さんに対して嘘がつけなくなる」ほど、バンドにとっての切り札だからだ。この曲で歌われるのは、正義のために人間は悪にもなる、けれどもその集合体はもともと誰かへの優しさや悲しみという人間らしい感情が作り上げたものでもある、ということ。単に人間賛歌でも嫌悪でもなく「人が公的な生き物である」ことを自分なりに深く潜って、そして水面に戻って歌おうとするのだ、このバンドは。そうした意味で、楽曲の全作詞・作曲・編曲を行う大森元貴という、現在19歳の才気溢れる少年と青年の狭間にいる表現者は、久々にどこからかつかわされたメッセンジャーなのだと思う。


 小学校6年の時、承認欲求を満たしたい(きっかけは友達のお別れ会のために自作曲を披露するという機会)がために作曲を始めた大森。中学時代にはRADWIMPSやONE OK ROCKは神様的な存在で、かつ「歌ってみた」やボカロ・シーンの隆盛もあって、ごく自然にDTMでトラックを作り、同時に弾き語りで人前で歌うことも始めていた彼は、普通科ではなく通信制の高校に進学。生き急いでいるようにも思えるが、すでに一刻も時間を無駄にしたくなかったのだろう。「やりたいことがあって、その手段も見えているのに、それをやらないなんてバカげてる」。一見、生意気な発言に思えるけれど、それこそが同世代や少し下の世代にとっては勇気にもなり身近な憧憬の的にもなった、その結果が今、ミセスがここまで求められている一番生々しい理由だ。大森は前述のツアー・ファイナルで「僕らは有名になりたい。そう思ってこの世界に入った人間」と言い切り、そして同時に「みんながいるから、自分が何をやってるのかが分かる。どうかずっと見続けていてください」と素直に胸の内を吐露していた。


 ポップで中毒性の高いアレンジや演奏力は、音楽にしか起こせない気づきのためのツールと捉えるクレバーさと、ささやきから怒気をはらんだ声まで、縦横無尽なボーカルを必要とするメッセージの切実さ。そのバランスの新しさは、ティーンエイジャーの心を貫通して、さらに広い世代に届こうとしている。(石角友香)