トップへ

AKB48はなぜ卒業メンバーを招聘するのか 年末年始の動きと43thシングルの座組みを考察

2016年01月11日 23:31  リアルサウンド

リアルサウンド

AKB48『0と1の間 Million Singles』

 AKB48は、本来きわめて内輪的なイベントを「内輪」レベルを超えた規模で展開し、いつしか世間をそこに巻き込んでしまう、そんな性格のグループである。当初は際物的なものとして受け止められてもいた選抜総選挙は、今や各種メディアがごく当たり前に恒例の企画として報じるし、所属メンバー同士でじゃんけんをするだけのイベントに日本武道館を使うことにさえ、世間は慣れてしまった。こうした、内輪の文脈を内輪ではない規模で展開するようなあり方について、ここでは昨年末にテレビメディアで展開された事象をいくつか取り上げたい。


 昨年12月16日の『2015 FNS歌謡祭』(フジテレビ系)の放送内で発表されたのは、約10年にわたってAKB48グループに所属した宮澤佐江の卒業だった。AKB48、SNH48、SKE48と所属したすべての組織で中核メンバーとして組織を支えてきた宮澤の卒業発表は48グループにとって一大イベントだし、世代の移り変わりを否応なく感じさせる瞬間でもあった。と同時にそれは、あくまでグループとファンにとっての関心事である。年末の大型音楽番組という、48グループがあくまで一演者でしかない機会を、組織内部の物語を展開させる場としてごく自然に利用する。内輪をいつの間にか、より広い世間にリーチさせてしまう、このグループらしい手法でもあった。そして、もちろんこれは2年前の2013年、NHK紅白歌合戦で大島優子が行なった卒業発表を容易に思い起こさせるものだろう。


 その紅白歌合戦についていえば、2015年末の紅白では48グループ最大の精神的支柱だった高橋みなみ卒業に際したパフォーマンスの中で、すでにグループを卒業した前田敦子と大島優子が登場し、パフォーマンスに参加するというサプライズがあった。その二週間ほど前に、年明け3月9日発売になるAKB48の43枚目シングルに前田や大島ら卒業メンバーが参加するという発表がなされていたこともあり、彼女たちの紅白参加はサプライズでこそあれ、その文脈と地続きで受け止めることもできるだろう。そもそも、秋葉原のAKB48劇場10週年を迎え、高橋や宮澤の卒業を経て新時代に向かうグループにとって、2016年幕開けのシングルに卒業メンバーを招聘することは、世代の循環を停滞させてしまう、あるいはAKB48のパブリックイメージを草創期のメンバーに頼り続けてしまうことになりかねない。それを踏まえれば、昨年末の紅白における前田や大島の登場も、世間に対して「皆が知っているAKB48」という、すでに過去になった像を提示するものにも見える。


 しかしまた、この紅白でのAKB48のパフォーマンスは、そんな凡庸な懸念だけでは解釈しきれない、不思議なバランスの景色になっていた。AKB48への在籍経験はその後のソロ活動のための礎であると同時に、ソロの芸能人として自身のブランドを作っていくためには、払拭すべき過去のイメージでもある。しかし前田、大島はAKB48史上最大のシンボルでありながら、卒業後数年ですでに役者としての足場を順調に固め始めている。それぞれの形で首尾よく、個人の俳優活動へと離陸しているからこそ、紅白でのAKB48への参加は、少なくとも彼女たち二人にとっては、芸能人としてかつての所属先のブランドに頼るような見え方のものではなくなっていた。


 ただしまた、彼女たちはつい数年前まではAKB48として活動していたし、そのグループが当時そのままに権勢を保っているがゆえに、「AKB48の前田敦子」「AKB48の大島優子」という姿もいまだ、かつてと切り離された距離感の「過去」ではない。前田、大島の順調なソロ活動と、まだ近過去でしかない彼女たち在籍時の記憶、そして草創期から彼女たちと歩み、ようやくの卒業を控えた高橋。それらの状況が揃った現在でしか見られないバランスの景色がそこにはあった。


 さらに、最後に披露された楽曲「恋するフォーチュンクッキー」は、近年の国内の楽曲でも最も世に浸透したものだが、楽曲リリースの時点で、前田はすでにグループから卒業していた。つまり、AKB48の存在を世に知らしめた最大のシンボルである前田が、AKB48楽曲史上最大に社会に波及した楽曲のパフォーマンスに参加するという、リリース時にリアルタイムでは成し得なかった絵を、テレビメディア最大の「世間」である紅白で実現したことになる。一方ではグループ内部のひとつのエポックに区切りをつけ、有終の美を飾るものでありながら、同時に対世間というレベルで過去最高に開かれた図を見せていた。そしてまた、前田や大島の立ち位置、あるいは前田と「恋するフォーチュンクッキー」との関係に見えるのは、やはりAKB48というグループを、過去から未来へと一本の直線で貫くような単純な歴史観のみでとらえるのは難しいということだ。高橋みなみ最後の紅白で、前田敦子や大島優子が中央に立ってパフォーマンスされるAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」。この瞬間には、複数の時間軸が一箇所に集められたような重層的な趣きがある。


 そう考えるとき、3月発売の43枚目シングルにはどのような意味が託せるのだろうか。前田敦子、大島優子、板野友美、篠田麻里子、そして卒業メンバーとなった高橋みなみの参加がアナウンスされ、現役メンバー選抜の顔ぶれも前シングル『唇にBe My Baby』からの変化に乏しいという事前情報からは、世代交代の停滞、あるいはむしろ過去への「後退」というイメージすら描けてしまう。ただし、そもそも単一の時間軸で発想できるエンターテインメントではないのがAKB48なのだとすれば、かつての主要メンバーたちが中心に立つであろう次回シングルが、何をどう位置づけようとするものなのか、その意図が明らかになるのをもう少し待ちたい気もする。というよりこれは、卒業メンバーの招聘が単なる「後退」ではない見え方を提示するものであってほしいという、警戒含みの期待のような感慨でもある。


 昨年12月には、AKB48の歴史と時間軸を考えるうえで示唆的なテレビ番組がもうひとつ放送された。それが12月20日放送、指原莉乃・高橋みなみ・前田敦子が鼎談した『ボクらの時代』(フジテレビ系)である。1歳ほどしか違わないほぼ同世代の三者は、AKB48を介してそれぞれが異なるタイミングで異なる方向性の立場を確立した。世間に開かれたタレントとしての立場と、48グループ全体のトップの立場とを相乗的に足固めしてきた指原、あくまでAKB48に強くコミットすることそのものがタレントとしてのアイデンティティにもなってきた高橋、そして誰よりもAKB48の象徴を引き受けながら常に浮き上がったような空気をまとい、それが一女優としてのキャリアに好影響をもたらした前田。年齢的にはほとんど同世代、かつ中心メンバーとして同じ時を過ごしたこともありながら、AKB48メンバーとしてのスタンスや、グループの歴史への関わり方も大きく違っている。


 そこに見えるのは、AKB48という組織の持つ、エンターテインメントとしておよび時間軸の持ち方としての幅広さである。番組中、前田は「アイドルで始まったんだから、アイドルで終わるんだよ」と印象的に語った。続けて高橋が「“元AKB48”って、一生消えないんだよ」と補足したように、この番組中ではあくまで、AKB48の肩書を背負っていたという意味でこの言葉は発されている。しかし、「アイドル」という、何種類もの意味が混在したまま使用されるこの言葉は、そのつど受け手が自分の思考に引きつけて好きなように解釈するワードである。それだけに前田が語るこの言葉だけを取り出すとき、それは非常に強い。そしてまた、時間軸を混在させ、過去を容易に過去にさせず、未来を簡単に到来させないAKB48の直近の施策を考えるとき、前田の言葉にはさらに幾重にも深みが増してしまうのだ。(香月孝史)