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大人にこそ観てほしい『パディントン』 普遍的テーマと一流キャストから魅力を紐解く

2016年01月09日 17:01  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2014 STUDIOCANAL S.A. TF1 FILMS PRODUCTION S.A.S Paddington Bear TM, Paddington TM AND PB TM are trademarks of Paddington and Company Limited

 日本からの直行便だと約11時間のフライトで英国ヒースロー空港に到着する。そこから最速でロンドンの中心部へ乗り込みたいなら、ヒースロー・エクスプレスを使ってパディントン駅を目指すという選択肢がお馴染みだ。その19世紀中頃に建てられたガラス屋根の駅構内でふと目に飛び込んでくるのが、一匹のクマの銅像。そう、彼こそが世界中で愛され続ける児童文学のキャラクター、「くまのパディントン」である。


参考:『パディントン』本編映像の一部公開 セロハンテープでグルグル巻きに!?


 ‘58年に作家マイケル・ボンドが出版した本作は、世界40カ国以上で3500万部を売り上げるロングセラーを記録。その存在は英国人にとって、もはや記憶の中に血肉化された国民的キャラクターと言っていい。そんな本作の映画化が発表されたのが2007年のこと。製作に7年の歳月がかかってしまったが、でもその甲斐あって映画版は誰をも一瞬にして虜にしてしまう素晴らしい作品に仕上がった。筆者などはその最初のシーンを目にしただけで、そのあまりに優しい感触に胸打たれて涙が止まらなかったほどだ。


 主人公は南米のジャングルから新天地を求めて遥々やってきたクマ。彼はこの大都会ロンドンで誰かが自分に家をくれるものと思い込み、パディントン駅の片隅でそんな奇特な人が現れるのを待ち続ける。日もすっかり暮れ、心細さも募ってきたその時、ブラウン一家の乗った列車が到着。夫人は健気に立ち続けるクマにたまらず声をかけ、紆余曲折を経て彼はブラウン家の自宅に居候することに。「あなたのことなんと呼べばいいのかしら?」と尋ねても彼には人間には発音不可能なクマ語の名前しかない。そこで夫人は思いついた。「パディントン駅で出会ったから“パディントン”!」。


■作品にナチュラルに込められた普遍的テーマ


 ここから始まるロンドン暮らしがなんとも温かみに満ちている。そもそも作者のマイケル・ボンドは、戦時中のニュース映像で見た、多くの子供達がスーツケースを抱えて疎開する姿が忘れられず、その記憶が元となって「駅に立つパディントン」のイメージを着想したという。また、本作を観ていればすぐに気づくことだが、パディントンという存在には国外からやってきた移民のイメージさえも込められている。様々な人種が共存して社会が成り立つこのイギリスという国を象徴した相互理解のキャラクターにもなりえているのだ。


 さらにはこの小さなクマは、人が何か新しい生活を始めようとする時のドキドキ感や心細ささえも代弁してくれているかのよう。たとえば、進学や就職などで故郷を遠く離れて新生活を始める感じ。そんな誰もが一つや二つ思い当たりのある懐かしい記憶を呼び覚ます感覚がこの映画には詰まっている。だからこそパディントンが慣れない街中でドタバタを繰り広げる様子も暖かな眼差しで見守ってしまうし、孤独な中で触れた他人の優しさが生涯忘れ得ぬ宝物となっていく様子にも心から共感してしまう。


 きっとこの映画の受け止め方は世代ごとに大きく異なるのだろう。幼い頃に観た映画を大人になって見返したときに「こんなに深い映画だとは思わなかった」と感じることがよくあるが、『パディントン』はまさにその典型と言える。


■豪華アンサンブル、そしてベン・ウィショーの名演


 もちろん、国民的人気を誇る作品なだけに、製作陣はキャストにも超一流の芸達者を揃えてきた。TVシリーズ『ダウントン・アビー』でグランサム伯爵を演じるヒュー・ボネヴィルが、ここでもやっぱり一家の大黒柱を演じているし、またウディ・アレンの『ブルージャスミン』で絶賛され、最近だと『GODZILLA ゴジラ』の女性科学者役で常に渡辺謙と常に並んで出演していたサリー・ホーキンスの慈愛に満ちた存在感も実に味わい深い。そしてまさかのニコール・キッドマンの悪役起用には一気にとどめを刺された感じ。ねじれた悲哀を抱え込んだ役柄として見事にはまっている。どうやら彼女自身も原作の大ファンだったようで、嬉々としてオファーを承諾したようだ。


 そして、何と言ってもこの映画を成功に導いた立役者は、パディントンに声を、いや生命を吹き込んだベン・ウィショーだろう。『007 スカイフォール』にて伝統芸のQ役を襲名した彼は、ボンドとはまさに対極に位置する細身の身体、繊細な演技、そして深くて優しい声の持ち主でもある。そんな彼が映画ファンにその存在を知らしめた『パフューム ある人殺しの物語』(07)では、ほぼセリフなし、身体的な動きのみで主演を務めていたこともまた鮮明な記憶として刻まれているが、その“声”を最大限にフィーチャーした本作『パディントン』もまた、彼のキャリアにおける代表作となることは間違いない。


 面白いことに、当初この役にはオスカー俳優コリン・ファースがキャスティングされていた。しかし実際に声をあててみたところでスタッフの間で「これは違う、かな?」という思いが生じた。ファースもまた特徴ある優しい声質を持った名優であることに誰もが疑いを持たないが、しかし現在55歳の彼は実のところブラウン家の大黒柱を演じるヒュー・ボネヴィル(52歳)よりも年配にあたる。いくら芸達者のファースといえどもこれではちょっと年齢的に不釣合い。かくして最終的に製作陣とファースは十分納得しあった上で正式な降板を発表し、それから数か月後、ついにベン・ウィショーが代打に立つこととなった。


 うーん! これがなんとも味わい深い声の響きなのだ。作法も言葉も礼儀正しく、好奇心旺盛だが、寂しがり屋でもあり、なおかつブラウン一家のマスコット的存在であり続ける特殊性。その微妙な立ち位置を、心地よく吹く風のような爽やかさで演じてみせる。このたまらない耳心地の良さ。


 もちろんご家族連れには吹き替え版がオススメなのは間違いないが、洋画を見慣れた方はぜひウィショーの名演を見(聴き)逃さないでほしい。分かりやすい物語に息づく繊細な心の動きにぎゅっと胸を鷲掴みにされるはずだ。(牛津厚信)