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曽我部恵一×豊田道倫が語る20年の交友、そして2016年の音楽

2016年01月04日 14:41  リアルサウンド

リアルサウンド

豊田道倫(左)と曽我部恵一(右)。(写真=竹内洋平)

 シンガーソングライターの豊田道倫がCDデビュー20周年記念アルバムとなる『SHINE ALL AROUND』を2015年12月30日に、曽我部恵一が率いるサニーデイ・サービスがシングル『苺畑でつかまえて』を2016年1月15日に、それぞれリリースする。1990年代より、時にライブで共演を果たすなど長く親交を続けてきたふたりは、互いの表現からどんな刺激を受け、今どんな音楽を生み出そうとするのか。90年代から現在までを振り返りつつ、それぞれの表現論や新作についてまで、たっぷりと語り合ってもらった。(リアルサウンド編集部)


・「曽我部くんとは“地方から出てきた感覚”が近い気がしていた」(豊田)


ーーおふたりはこの20年間、それぞれ音楽を作り続けるなかで、互いのことをどんな風に意識していましたか。


曽我部:僕が豊田くんをすごいと思ったのは、96年ぐらいにMILK(恵比寿)で一緒にライブをやった時で、それ以来ずっと聴いてきました。すごくいい歌を歌う人だな、と思って。豊田くんが次に何をやるのかはいつも気にしていますね。最近はTwitterとかの発言もチェックしています。もう長くやっているので、先の心配はないかな(笑)。


豊田:僕らが始めたのは渋谷系が一気に出てきた時期で、中には地方出身のシンガーソングライターもいたけど、特に曽我部くんは“地方から出てきた感覚”が近い気がしていた。東京をひとつのゲームのように感じているところとか、抱いているロック感とか。サニーデイ・サービスの『MUGEN』とか『24時』のちょっと暗い感じは特に印象深かったけれど、あの感覚はなんだったんだろうね。いま、ああいう長いスタジオワークができる人もいないし。あれはやっぱり、若い時にしかできない、地べたを這いずり回りながらも何か掴む感じがあったのかな。それにしても、最近の曽我部くんの圧倒的なペースにはちょっとびっくりしてます(笑)。


曽我部:でもね、今年は何も出なかった。ライブ盤しか出なかった。2~3年前くらいは、たしかにポンポン出していたね。


ーー多作で、これまで20年ほぼ休みなくやってきたというのは、ふたりの共通点のひとつかもしれません。


豊田:まぁ、そういう意識もないけどね。普通にやっていたら、1枚、また1枚とできていったというか。大体、作ろうと思って作れないからね、ふっとできる。でも、今回は作ろうと思って作ったら、失敗しちゃった(笑)。今年20周年だから、頑張ってやろうと思ったら、ちょっと空回りした感じ。


曽我部:それくらい“作ろう”っていう意識があったことにびっくり(笑)。でも、豊田くんは実はすごくしっかりしているよね。たとえば、ちゃんと年賀状をくれるとか、メールはすぐ返事するとか、お子さんにしっかりごはん作るとか。料理でも、野菜の煮物とか、そういうちゃんと栄養価の計算されたものを作るから、根はしっかりしている人なんだなぁと思う。そういうベースの上で、音楽で何をやろうかっていうのが豊田くんなんだと思う。僕の場合、私生活は割とズボラなところがあるので、そういうところが違うなって感じますね。


ーー曽我部さんはレーベル運営も含めて、コンスタントにアウトプットしているので、そういう面ではきちっとしている印象もありますが。


曽我部:でもそれは、周りの人の協力があって、自分はそれに乗っているだけだから。自分がリーダーシップを取っているわけではない。だから、僕からすると豊田くんはちゃんとしているなって思います。


豊田:僕はそんな、何も考えてないけれどね。


曽我部:豊田くんは何も考えてなくても、ベースがしっかりしてるし、それが全部に出ていますよ。どこか気品があるというか。ちょっと語弊があるけど、だからこそどんな音楽をやっても良いんですよね。僕は豊田くんにいつもそれを感じていて、必ず安心して聴けるところがあるんです。発言とかファッションも含めてね。ジャージっぽい時もあったけれど。


豊田:気品があるって言われるのは面白いな(笑)。たしかにベーシックなものはどっかにあるんでしょうね。曽我部くんは四国っていう、大阪からすると海外の人だから、少し違う感覚もあるのかも。ミュージシャンでいうと七尾旅人とか大森靖子とかも、本州の人とは違う独特の力を持っているよね。ちょっと怖いというか、動物的な感覚があるというか。


曽我部:たしかに四国出身はそういうところがあるかも。


・「なにか決意があって、ずっと作ってるわけではない」(曽我部)


ーーいま、90年代の頃の音楽シーンを振り返って、大きかったと思う出来事は?


豊田:曽我部くんは当時、はっぴいえんどとかへの憧れを割とはっきりと言ったでしょ。それが、わーっとみんなに広まっていったのはデカかったよね。僕はその時、あんまりよくわかんなかったんだけどね。あの辺から、日本のロックをもう一度ちゃんと聴こうという雰囲気が作られたと思う。


ーーたしかに、90年代前半に10~20代だった若者たちがこぞって、はっぴいえんどを聴くようになった。それは今に至るまで続いているように思います。


曽我部:最近ではもう、定番になってますよね。当時は、たとえばネオアコとか60年代のネオGSの人たちももうとっくにいたし、全部みんな開拓されてたから、自分たちのルーツというか、どういう風に自分たちを見せていくかっていうのはすごく意識してたんですよ。ヒップホップの人たちだったら、ファッションとかでやり方があるんだけど、ギターバンドは割とそういうのがないので、のっぺりして見えるかなぁと思って。それで、僕らははっぴいえんどとか、四畳半フォークとか言って、田舎から出てきたものですから、そのいなたさにアイデンティティを求めたんでしょうね。「四畳半フォークの今版です」って言っちゃおう、みたいなところはありました。


豊田:僕はその時、大阪にいたから、割とぐちゃぐちゃなシーンに参加していました。ノイズとかジャンクばっかりだったんだけど、でもポップスもすごく好きな自分がいて。自分はミクスチャーだと思っていましたね。だから、はっぴいえんどみたいな正統派のロックとはちょっと遠かった。大滝詠一さんのナイアガラは好きだったけど、はっぴいえんどは当時、自分には偏差値が高過ぎてよくわからなかった(笑)。


曽我部:僕ははちみつぱいの方がひょっとしたら、個人的には好きですね。鈴木慶一さんがやってた、ムーンライダースの前身のバンドで、あれが自分の青春って感じがするんですよ。呑んだくれて、朝方に撮った感じのジャケット写真とか、「なんか、青春ってこうだよなぁ」って思わせてくれます。


ーー90年代後半になると渋谷系のムーブメントも終息していって、だんだんと活動を抑えるバンドも出てきましたが、ふたりは2000年代に突入してからも意欲的に活動していますね。


曽我部:僕の場合、バンドが解散して、一人になってどうしようってところから、2000年が始まってるんですよ。最初は手探りだったんですけど、自分がレーベルを始めた2003~2004年から、だんだんと軌道に乗った感じです。とにかく作っていないと、前に進めないような気がして、がむしゃらにやっていました。レーベルを始めたのは行きがかり上というか、メジャーも出してくれない感じだったし、レーベル移籍するっていう手もあったんですけど、契約金がどうこうという話も面倒だったので、じゃあ自分でやろうと思い立った感じです。


豊田:僕はただ、まだ東京に観光気分でいたから、すぐ帰ろうかなと思いながらもぐずぐずいる感じでした。1998年にたまたま<east west japan>とメジャー契約して、『実験の夜、発見の朝』をリリースして、翌年契約をやめちゃっているけど、そういうのは別に。でもレコーディングは好きだったから、それはやっていこうというのはずっとあったかな。


曽我部:『実験の夜、発見の朝』、新宿のヴァージンストアで買ったなぁ。まぁ、僕らはなにか決意があって、ずっと作ってるわけではないですね。


豊田:ないです。そうなんです。


曽我部:自主レーベル作品は2004年の『SING A SONG 』がはじめて?


豊田:そうです。大阪にそろそろ帰ろうと思って、未発表曲集を作った。


曽我部:あれだけ今までの作品とちょっと違いますもんね。その前の『実況の夜~スタジオライブ IN ラジオたんぱ』は?


豊田:<BUMBLEBEE>から。どこいっても、ほんと迷惑ばっかりかけて(笑)。ほんとに売れなかったなぁ、『実験の夜、発見の朝』とか。お金をいくらでも使っていいっていうから、すごいつぎ込んじゃったけど。いつも「これが最後」って思ってるのはほんとの話で、「なんかもうええんちゃう」みたいな感じではあるんですよ。


・「『超越的漫画』とかは、もう少し噛み砕く必要がある」(豊田)


ーーそして12月28日には豊田道倫さんの新アルバム『SHINE ALL AROUND』が、1月15日にはサニーデイ・サービスの新シングル『苺畑でつかまえて』がリリースされます。


曽我部:僕は常に豊田くんのことを考えていて、それこそ3日に1回ぐらいは思い出すんだけど、でも「あいつには絶対負けたくない」という感じではないんですよ。音楽を通じた友達っていうのでもないんだけど、何か繋がってる部分というのは勝手に感じてる。今回のアルバム『SHINE ALL AROUND』を聴いても、1曲目の「雨の夜のバスから見える」が割と早い8ビートの曲で、僕の新作の8ビートの曲と似ていたんですよ。これが例えば七尾旅人くんと似ていたら、ちょっと変えなきゃって考えたりするんだけど、豊田くんだと「やっぱり考えることは同じだなぁ」って妙に納得したりするんです。


豊田:あの曲、そういえばドラムの久下恵生さんが、レコーディングが終わってから、「キックは使わなかったよ」って言い出して、ちょっと待ってよって思ったんだけど、結局そのままOKにしちゃったんだよね。自分が思っていたのとちょっと違うけれど、まぁいいやって。


曽我部:そこがやっぱりいいよね。僕が豊田くんから学んだところは、たぶんそこだと思う。僕はメンバーに、僕が思ったとおりのことをやってほしいと思うタイプだったんですけど、豊田くんを見てると、人が勝手な動きをするのを楽しんでるところがある。それはやっぱり勉強になる。最近になって、そのほうが絶対にいいんだろうなぁっていうことが、ようやくわかってきました。せっかく人とやるってことは、こういうことだなぁって。僕は自分が思うようなプレイをする人を呼んできてやってもらうほうだったんだけど、豊田くんはぜんぜん思ってないことをやる方とわざとやるじゃないですか。


豊田:3年前くらいかな? 曽我部くんのサブのギターのひとが、曽我部くんそっくりに弾くから、「たしかにこれは俺と違うやり方だな」って思った。自分のフォームを伝えてやるというか。


曽我部:でも、誰かの曲を作ってるのに、ぜんぜんちがうアプローチで切り込んで、「絶対このベース変だろう」っていうのが堂々としているアレンジって、すごくポップだと思うんですよ。豊田くんのを聴いていて、そう思うようになってきた。普通だったらディレクターさんとかが、「もうちょっと別のパターンも録ってみよう」ってなるところが、もう完成形としてあるのがすごくいいなぁと思って。洋楽を聴いていても、今の若い海外のバンドとかにはそういうアレンジがあるんですよ。そういう意味でも宇波拓さんのベースって、すごくいいよね。『そこに座ろうか』とか。


豊田:フレッドレスの5弦ベースだから、ラインがよくわかんないんですよ。本人はロックが好きで、有名どころのインプロの人たちと同世代ですね。サニーデイ・サービスの新シングル『苺畑でつかまえて』は、メンバーは違うの?


曽我部:1曲目の「苺畑でつかまえて」は、丸山晴茂くんにドラムを叩いてもらったのをエディットして。2曲目の「コバルト」はリズムボックスを使って、あとはほとんどギター弾き語りですね。


豊田:曽我部くんの場合は、ソロもあるし、曽我部恵一ランデヴーバンドもあるし、サニーデイもあるから、毎回聴く前から「次はどう出るんだろう」って構えるところがあるよね。たとえばソロ名義で2013年にリリースした『超越的漫画』とかは、もう少し噛み砕く必要があると思っていて。その後のシングル曲の「汚染水」とかも、あれはいったい何だったんだろうっていうのが、いまだにある。


曽我部:『超越的漫画』と『まぶしい』と『My Friend Keiichi』は、自分の中では三部作みたいな感じはあるんだけど、あんまりどう響いてる、どう受けとめられてるかっていうのはわからない。たぶん、ちゃんとは聴かれてはいないんじゃないかな。ただ、自分なりに出し切ったという感覚はあって、しばらくはサニーデイ1本でいこうという感じなんですよ。サニーデイの昔の曲とかを、いまならどうプレイできるかっていうのは、ひとつのテーマです。今回のシングルもその考えの延長線上にあるもので、本当は春からずっとアルバムに向けて制作をしているんだけど、できなかったからシングルだけでも出しておこうという感じです。


豊田:あぁ、その感じはわかる。僕も本当はちゃんと作りこんでからアルバムにしたかったんだけど、「まぁ、これでいいや」って感じでリリースしちゃった(笑)。


曽我部:そうなの? ちゃんとできてるじゃない(笑)。でも、前回の『m t v』がビシって完成していたから、今回はざっくりした感じで来たな、とは思っていた。ただ、個人的な好みでいうと、今回のアルバムのほうが好きかも。前作も迫力があって、すごく気合が入っているなって思ったけど、今作にはEPでも出していた「そこに座ろうか」が収録されているでしょ。僕はこの曲がめっちゃ好きなんですよ。こういう風に聴いてほしいとか、こういう作品にしようというのがなくて、批評性も狙っていない。そこがすごく聴かせるんですよ。何回も繰り返して聴いてしまう。


豊田:1週間ぐらい、「これどうしよっかなぁ」って感じで迷っていて、12曲くらいまで絞ろうかとも思ったけど、結局そのまま出しちゃったんだよね。


曽我部:そこのせめぎ合いが、手に取るようにわかる。今回は16曲で50分くらいだけど、10曲くらいで30分くらいの作品にもできたよね。僕らの世代はまだ、アルバム単位で考えるから。このアルバムは7~8曲目くらいでピーク感があって、でもそこからしばらく続く。たぶん、迷った挙句にこの形にしたんだなぁ、と。最後の方の「Tokyo-Osaka-San-Francisco」で、またピークがきますよね。


豊田:その曲は、風邪で声がぜんぜん出なくて……。


曽我部:あぁ、そうだったんだ。それですごくかっこいいんですね。


豊田:8畳のスタジオで、みんなの顔も見えないし、音も聴こえないし。


曽我部:それで一発録り? みんないいプレーヤーですよねぇ。冷牟田敬くんのギターもすごくよかった。


豊田:ミックスかマスタリングが終わった時に、なんか寂しくなって、七尾くんに電話したんですよ。また失敗作を作っちゃったって。でも、七尾くんには、「豊田さんが作ってきた90年代の尖ってきた作品も、周りのミュージシャンは失敗作だと思ってましたよ。だから、今聴いても古くないんですよ」って言われたんですよ。あー、みんなそういう風に見ていたんだって、妙に納得しちゃった。


一同:爆笑


・「音楽に批評性を持たせたものがすごくめんどくさくも感じる」(曽我部)


曽我部:「24時間営業のとんかつ屋」もすごく良いですよ。今まででいちばん好きかも。


豊田:これはボツにしようかとも思ってたんだけど。大体、そんな店は存在しないしね。


ーーでも、そこも含めて豊田さんらしい、リアルとファンタジーが入り混じった表現だと感じました。今の時代、リアルさを表現するのはすごく難しくて、音楽はファンタジー的なもので良いという立場もあり得ると思います。おふたりは音楽におけるリアルって、どう捉えていますか。


曽我部:正直、自分の生き方とか、こういう辛いことがあったとか、心の動きみたいなものを歌で聞かされることに対して、もうあまり聴きたくないなっていうのはある。当人にとって、それはすごいリアルなことだと思うんだけど、聴かされるのがしんどいというか。音楽を利用して、ほんとの気持ちのぶつけ合いみたいになっちゃってる瞬間を感じることがあって。ただ、最近あるシンガーソングライターの作品に入っていた「父さん」っていうフォーキーな曲は、すごく響いたから、そういう表現の全てが嫌になったというわけではないのだけど。いまはもっと透明感があるBGMみたいな音楽を求めているところがあります。


豊田:2015年はやっぱり、日本が変わりつつあったと思っていて。僕はちょっと、社会運動をしている連中と接触する機会があったんですよ。でも、僕はそういうの大嫌いですから、ちょっとふっかけてやろうとも思っていた。だけど向こうは、一切そういう雰囲気を作らなくて、なにか、すーっと避けられる感じだった。それで、どうしていいかわからなくて。うまく言えないんだけど、人に言葉が届きづらくなっているなっていう実感はあった。


曽我部:批評的なものが、有効に感じない気はするよね。むしろ、音楽に批評性を持たせたものがすごくめんどくさくも感じる。歪んだギターだけでいいのにとか、最近はすごく思いますね。昔はもっと、時代に対する批評みたいなのが大切だと思っていたけれど、いまはあんまり聴きたくないとは思う。それがなにか生み出すって、あまり思えないんですよ。


豊田:みんなどこか自粛的な感じがするというか、個人に向かっているからね。それが普通の社会というか、世間になっていって、子供たちもそういう感じになっていくんじゃないかな。


曽我部:ただ、それもつまんないんよね。普遍的にみんながつながるような感覚というか、フィーリングこそがやっぱりロックだと思うから。それを生み出すのが言葉なのかはわかんないけど、絶対必要な感覚だと思う。たぶん、歌い手の内面のストーリーでは、そういう説得力を失いつつあるということなのかもしれない。


豊田:そういう意味でバンドというのは、ちゃんとじっくりとみんなのことをしゃべってはいないんだけど、でも集まって演奏することによって、どこかに向かっている感じはある。バンドと個人の表現の一番の違いは、そういうところかも。


曽我部:ビートも大事ですよね。バンドが出すビートというか。そこになんかあるんだろうな。僕もバンドでやりたいって思うのは、そういうところだと思う。バンドでやることのリアリティって、たぶんそこにしかないというか。


・「Television Personalitiesがいちばん好き」(豊田)


ーーいろんな人を取材しても、自分で「今回のアルバムは失敗した」っていう人はあまりいません(笑)。曽我部さんは豊田さんのそういう姿勢をどう見ていますか。


曽我部:でも、大事な感覚ですよ。


豊田:前野健太くんには、「音程をハズして歌う意味がわからない」って言われたんだけど、自分ではどこをハズしているのかわからない。でも、ドミソ以外の音っていっぱいあるし、俺はたぶんそれを歌っているんだなって。


曽我部:いま、それを歌う人は増えてきましたよ。昔のJ-POPではNGだったんだけど、いまはOKな感じで。豊田くんのボーカルのフォロワーはいっぱいいますね。澤部渡くん(スカート)あたりもそうだと思うし、『テレクラキャノンボール』の主題歌をやっていたWeekday Sleepersも、しっかり歌わない感じがかっこいいし。20年ぐらいでそういう種子が芽生えるんだなぁと思って。ほんとここ数年だと思う、そういう流れは。


ーー曽我部さん自身もいろんなサウンドを模索してきたと思いますが。


曽我部:でも、僕は割と保守的に音楽をやってきたつもりで、それにしてはダメだったなと反省しています。スピッツみたいな音像になってないし。結果、それしかできなかったからしょうがないな、と思うんですけど。


豊田:『バカばっかり』(2013年発表)とかは、もっとポップスとして拡がってもよかったのにね。PTAで学校に行くたびにあの曲がかかっていて、すごく耳に残る。


曽我部:作った時は「これでイケる」と思ったんですけど、なにもなかったです(笑)。でも、豊田さんがそういってくれて良かったです。


ーー20年音楽を続けてきて、今後「こんなふうにやっていこう」というのはありますか。


曽我部:音楽性はもちろん、金銭的な部分とか、いろんな側面があるけれど、こういう風にやっていこうという確固たるものはないですね。みんなで相談しながらやっていこうかなと。生活の中で音楽を作ることって、何歳になってもあまり変わらないことだと思うんですよ。だから、いまの感じでやり続けるしかないなぁって思ってて。


豊田:ぼちぼちやっていこうとは思うけれど、そんなに強い思いとかはないかな。いま、客が若い男の子たちばかりになって、だんだんなにをすればいいのかわかんなくなってきちゃった。一番前列に、かっこつけた男がいたりして、「おまえが俺のファンなのか?」って驚く。昔に来てたひとは、もう来ていない。


曽我部:豊田くんのライブに来る人は若い世代なんだ、すごいね! 僕のライブは同世代が多くて、それはそれで不安になるよ(笑)。だから、もっと若いバンドとかとツアーしたりした方がいいかなって思う。豊田くんの場合は、その時々の先鋭的な人たちが聴いているんだろうね。


豊田:大体がひとりで、たまに若いカップルがいて、よくわかんないよ。俺自身はパーティーミュージックだと思って作ってるんだけど。


曽我部:(笑)まぁ、その側面もある。


豊田:イメージとして、Television Personalitiesがいちばん好きなんですよ。あの人たちの音源ってほんといい加減で、でもミックスとかが意外とバッチリだったりする。自分なりに研究したんだけど、わからなくて。全部好きなんですよね。


曽我部:わかる、僕もいちばん好きかもしれないってくらい好きですね。でも、豊田くんがTelevision Personalitiesをそんなに好きだったとは意外かも。


豊田:好きすぎてあんまり人に言えないぐらい。


曽我部:ギターポップでもあるし、サイケでもあるし、パンクでもあるし。インストみたいなものもあるよね。プログレっぽいものもあるけど、なんかハートフルで、手触りがいいんですよね。


豊田:自分の中ではずっと、あんな音楽がいい。


ーー今年はまた何か、2人でやってくださいよ。


曽我部:今年はやりたいですねって、なんか毎年言ってる気がする(笑)。


豊田:今年はノーアイデアかな。


曽我部:僕はサニーデイのアルバム、作りたいですねぇ。できないモードになっちゃって、困ってるんですけど、なんとか2016年には出したいです。豊田くんともやりたいですね。


豊田:2016年はそんなパワーがあるかな? もう、2015年に力を出し切ったから(笑)。


(取材=神谷弘一 構成=松田広宣