トップへ

菊地成孔がキム・ウビン主演『技術者たち』を解説「『ルパン三世』実写版と併映で観るべき」

2015年12月31日 17:01  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2014 LOTTE ENTERTAINMENT All Rights Reserved.

■新・四天王


 韓流に限らず、今はどんなカルチャーもタコ壺化していて、そのタコ壺の中にいる人にとっては説明無用なんですが、本作の主演のキム・ウビンは、韓流の<新・四天王>って言われています。キム・ウビン、イ・ミンホ、キム・スヒョン、イ・ジョンソクという4人で、みんな20代。早くから売れていた人も、キム・ウビンみたいにギリギリまで売れなかった人などいろいろいます。<四天王>なんちゃってちょっと昭和っぽい訳ですけど(笑)、端的に韓国は随分と昭和なんで。


参考:韓国ノワールはなぜ匂い立つほどリアルなのか? 菊地成孔が『無頼漢 渇いた罪』を解説


 映画キャリアはまだ数本だと思うんですけど、韓国映画史に残ると言われる『友へ チング』という映画の続編『チング 永遠の絆』という、チング(親友)たちの子供たちが出てくる映画にも主演していますし、現在、小屋によっては、同じウビン主演の『二十歳』という作品と併映になっています。


 こちらは所謂、童貞喪失青春コメディーみたいな奴で、もう全然、『技術者たち』とは真逆の映画であり、真逆のキャラを演じていますが、これが何と、同じ年の作品で併映、主演作が年に2本以上ある訳ですね。これまた昭和っぽいですが。


■<完璧な脚本>とか簡単に言うな。これが完璧


 今回取り上げる『技術者たち』は、『オーシャンズ11』とか、今やクラシックスである『黄金の七人』等のような「娯楽犯罪映画(知的でお洒落な奴)」で、主人公は天才的な犯罪者なんですが、カッコ良くてスマート、これがキム・ウビンで、20代にして『オーシャンズ』のジョージ・クルーニーなんですね(ルパン三世とも言えます)。


 とにかくジャンルムーヴィーとして無駄がなく、脚本は完璧としか言いようがありません。犯罪者チームと、それ以外(この点だけですら、ネタバレになるので曖昧にしか書けないのです)の、徹底的な知恵比べ以外、恋愛とか主人公の過去だとかは、もうちょっとした香りぐらいにしか描かれません。1秒も漏らさず完全犯罪の知的ゲームだけが展開します(韓流娯楽映画に欠かせない、ヒーローとヒロイン双方の「お約束シャワーシーン/バスタブシーン」も、最低限の一瞬だけです←とはいえ一瞬たれども、ちゃんとしっかりやってくれます)。


 なので、困ってしまうのは、とにかくストーリーを1行もしゃべれない作りになってます。全部がネタバレ。「え、1行もしゃべれないの?」と驚くかもしれませんが、例えばオチがネタバレとか、真ん中の展開がネタバレとかじゃなくて、もうファーストシーンから全部関係がある。映画が始まった瞬間から全部が伏線になっています。例えば『007 スペクター』や『キングスマン』などは、肝心なところを言わなければ、ある程度話の筋を言っても大丈夫だけど、これはもう本当に1行も喋れない。


 <この種の話ももう飽和状態にあって、このネタはあれとこれの抱き合わせだとか何とか、複製マッシュアップ再生産が続くしか無いのだ、もうこれからの世の中は>といった世界観が蔓延する中、「まだこんな手があったか」と思わせる事で、作劇内で生じる以上の、圧倒的な痛快さを持っています。ノベライズしたら何らかの賞を受賞するでしょう。本屋さん的に言うと「このサスペンスが凄い」という感じでしょうか。


 というのも、原作はなく、監督のオリジナル脚本だからですが、監督が「この種の映画」のマニアだという事が、猛烈と言って良い圧力で伝わって来ます。


 そして、その事が、所謂タランティーノ型というか、引用やオマージュではなく、「山の様な<過去の元ネタ・パッチワーク>のてっぺんに、新ネタを出した」という驚き、前述の、停滞した世界観の打破、という形で示されます。本作は、それ以上でもそれ以下でもない。ただそれだけに結晶化された作品です。比較対象にして申し訳ないんですが、「相棒」も健闘してるんだけど、格が違う。と言えば、大体どれぐらい凄いかお解りに成るかと。


■個性派にして正統的なスター。キム・ウビン


 韓流じゃない人に説明すると、キム・ウビン以外の四天王の3人というのは、普通にイケメンなんですよ。アジアン・イケメンで、日本でも全然そのまま通用する。まあ、いつも言っておりますように、兵役があるので、全員が完璧な長身の細マッチョで、そこもまた昭和っぽいんですが、星野源さんみたいな方とか、加瀬亮さんみたいな方とか、ひ弱な文学青年みたいな感じの人がいないんですよ。全員がアクション映画のスターになれる。どんな可愛い顔でも、脱ぐとUFCの選手みたいなんですね。


 そんな中、これは熱心なペン(ファン)の方々に叱られてしまうかもしれないけれども、キム・ウビンは異形の人というか、身長も巨人症ギリギリというほど高いし、顔もすごく個性的です。欧米で言うと、ベネディクト・カンバーバッチに近い。まあ韓国では当たり前のことだから、カムアウトはしていないと思うんですけど、恐らく相当顔にオペレーションが入っている筈で、初期作品なんか観ると、深海魚だとかフランケンシュタインの怪物みたいな感じなんですね(そういえばカンバーバッチは今、舞台でフランケンシュタインの怪物役をやってるそうですが)。でも凄くスター性があって、本作でも全く無理なくスーパー二枚目を楽々と演じきっています。


■「金庫破り映画」そして元ネタと新ネタ


 慎重に解説を進めて行くならば、この映画は、前述の『オーシャンズ』型、つまり金庫破りのサスペンス映画で、しかも所謂ねずみ小僧型というか、ちょっとした義賊であって、盗むのはとんでもない大金ですが、政府の裏金で、誰も傷つきません。最大の悪役すら、、、危ないこれ以上は絶対に言えない。口が滑りました。とにかく、何の予備知識も無く観るべきですね。


 『オーシャンズ』と並び、『黄金の七人(1965年/イタリア)』を上げたのは、犯行側がエキスパート(技術者)であること、彼等が、わざと刑務所に収監されて、一時的に脱獄して、黄金を盗み出し、刑務所の中で合流し、正式に釈放されてから山分けするという計画だったが、、、、というヨーロッパ版の完全犯罪映画の極点だと思います(『ルパン三世』の元ネタだという説は根強いですが、実際にどうかはワタシは解りません)。ただそこでも、イタリアだけに過分にエロが入ってきたりして(これははっきりと『007』の影響ですが)。あと音楽がすごいよかったりして。サントラは90年代に盛んに渋谷系でパクられました。懐かしいなあ。


■ラーメンばかり食うと内蔵を壊す


 とこう、全くネタバレができない事によって、批評や紹介としては、周りをぐるぐる回るしかないんですが(笑)、状況論的に言うと、前述の「この種の映画につきまとう<もう新しい事は無いんだという重苦しい感>」というのは、ラーメンじゃないですけど、塩と脂を強めるしかない。


 ラーメンは弱めたり逸らしたり出来るので、ある意味ラーメン以上に方向性が固定されてしまっているというか、まあ“萌え”のヴァリエーション、としか説明出来ないんですが、<殺伐さ/残酷さ>という塩と脂の投入というショック、それに慣れてしまう麻痺、更に塩と脂を投入、というサーキュレイションから脱せなく成ります。


 例えば、『キングズマン』(や、同じ監督の『キック・アス』)みたいな映画は、あんなに残虐に人を殺さなくたって充分成り立つと思うんですが、エゲツないぐらいナイフが刺さっていくCGとか、首がひねり殺されるシーンとかを一応入れないと、血に飢えた若者がお腹いっぱいにならないから(笑)、入れていかなきゃいけない。


 ワタシは、現在のラーメン映画(或はテレビドラマ)の塩と脂は「昔だったら絶対に殺されないであろう、愛すべきキャラが途中で惨殺される」「完全に味方である筈の人が実は悪者、という、腰が抜ける様などんでん返し」の2つがデフォルトだと思っており、もう、凡庸なラーメンを食い始めると(そもそもあんまり食いませんが)、「あ、この人殺されたら嫌だな。という事は殺されるな」と思うと、果たして喉をジャックナイフで切り裂かれたりするので辟易してしまい、まあ、タランティーノの負の遺産だからしょうがないとはいえ、どこかで「薄味に戻すタイミング」がないと、鬱病で共倒れ、といった閉塞感に胃がもたれてしまいます。ラーメン二郎の食べ過ぎで内蔵を壊す的な。


 『技術者たち』は、その事を何とかしよう志(こころざし)によって生まれた様な映画で、非常にきれいに犯罪を、そして映画を終わらせます。ただ、伏線に次ぐ伏線、どんでん返しに次ぐどんでん返しというのが、もうそれだけで映画が進んでいくので、1回脱輪して、「あれ、今の何だった?」と思ったが最後、もうわからなくなっちゃうという意味では、リスクが高いです。やっぱり圧倒的な脚本の力ですよね。あとはもうみんなただ、脚本に書いてあるとおり動いている操り人形みたいなもので、それだけでも十分映画が成立する。


■日本では失われた物語(『ルパン三世』の実写版以外)


 なので、これは日本映画界disとかじゃなくて、今の日本映画には全く失われてしまった遺産というか。日本の脚本家で、歴史上いっぱいある犯罪ゲーム型映画を何百本と観てリスペクトし、脚本をシコシコ書いているオタクの脚本家なんか、いま1人もいないはずです。「緻密な脚本」は、怖い物か、メタな物か、萌えな物に行く、そういう意味では、韓国はまだ昭和であり、マッチョなアメリカに近いんです。この連載の中で、韓国映画を取り上げると、毎回この話が出ちゃいますが、韓国は都市部に基地があるから、米軍との関係ということから、アメリカンカルチャーが日本ほど廃れていないというか、まだまだアメリカ型の娯楽の型が残っています。


 韓国映画史上、この種の映画で最も成功した作品に、『10人の泥棒たち』(2012年)というのがあって。これはもう“10”という数を入れている段階で『オーシャンズ11』を意識しているんですが(笑)、『技術者たち』とは違い、スペクタクルや「お色気」的なスタンダードなエロ等々のサーヴィスが満載で、大いに興収も上げました(まだ新人だった頃の今の四天王のキム・スヒョンも若造で出ている)。


 何せ「10人」のうち3人は、スタイル抜群で綺麗な女性で、特に『猟奇的な彼女』に主演したチョン・ジヒョンが、女子部の主演のいわゆる峰不二子というか、スパンデックスでできた犯罪用のキャットスーツを着て、かなり際どいアクションがあったり、水着になって豪華ホテルの水槽型プールに潜ったり、とても20世紀的です。ストレートに「黄金の七人」やボンドガールに繋がっている。『技術者たち』は、これよりも更に純化しています。


 義賊が完璧な犯罪をやって、大金を盗み出す、知恵比べの痛快アクションなんて、もう日本では企画も出ないでしょう。それの最後が小栗旬の実写版『ルパン三世』かも知れない。港に金が揚がるから、港町がすごい出てきます。だから、コンテナがいっぱい並んだ湾岸で追いかけ合うシーンが長い。そういう意味では、テレビシリーズのルパンが盛り上がる前に作られた有名なカルト映画で、田中邦衛が出演した最初のルパンの映画『ルパン三世 念力珍作戦』とか、『太陽にほえろ』とかの記憶も召還します。


■21世紀はどうやってクールダウンするか?


 この「昭和感/20世紀感(ついでにアメリカ感)」を是とするか非とするかで、韓流へのハードルが大きく変わります。韓流ファンが漠然と「中~壮年である」とパブリックイメージされるのは、ここにイメージ的な根拠がある訳ですが、前述の通り、アメリカ式/ラーメン式は、どんどん上げて行った刺激をいつか下げなきゃ行けない時が来る。アメリカが肥満と塩分の過剰摂取に悩まされる所以ですね(韓国はカプサイシンがあるから大丈夫)。年寄りにはキツいです。


 『トイ・ストーリー』とか、1作目がすごいよかったと、アメリカにおける通過儀礼の問題で、「大人になること」に直面したときに、「あなたはおもちゃを捨てますか?」という根本的な問題に対して、「おもちゃは生きている」という。この設定だけでもう泣けるに決まっているところを、『トイ・ストーリー2』が『1』を凌駕して、『3』はさらにそれを凌駕して…となっていくと、『4』はもっと凌駕して…となって、もう結局、「トイストーリー10」までには、登場人物も客も全員感動した死んでしまうと。


 20世紀までは、「だんだんクオリティが下がって、自然になくなる」という手法が使えたんですね。ところが時代はアーカイヴとレンタルとデジタルとインターネッ(以下省略)なので、「だんだんクオリティが下がる」という老衰みたいな事を、じっくり見てもらう暇なんかなくなってきた。なので「途中で1回長い休憩をとる」か、あるいは「1回クオリティを何らかの形でわざと落とす」ということをしなければいけない。これは恐らくハリウッドが初期から抱えていた問題でしょうね。ワタシは『アナと雪の女王』なんて、『トイストーリー』の休憩時間だと思っていたんですが、テレビドラマ『glee/グリー』からの搾取で、予想以上に大ヒット(しかも「主題歌によって」という、これもある意味で昭和的な)。という風に捉えています。


 それに失敗したのが、ジャック・スパロウのシリーズです。『パイレーツ・オブ・カリビアン』というのは、『1』『2』『3』と、どんどん面白くなっていくという形で、1回終結を迎えるんですが、契約の問題だか何だか解りませんが、まだ続けなきゃいけなかった。その結果、『パイレーツ・オブ・カリビアン』は、4作目で、一回つまらなくするという形をとりました。これは余り指摘されませんが、その方法として、そもそもディズニーランドのアトラクションのひとつから作品世界を作ったこのシリーズに、始めて原作小説を導入したんですね。


 オリジナル脚本だったら好きなだけ面白いものが書けるんですが、原作の導入によってちょっと面白くなくするという、何かひとつのクールダウンみたいな試みの結果、『パイレーツ・オブ・カリビアン』自体がなくなってしまい、デップの仕事自体が迷走状態に入ってしまった。「キモサベ(『ローン・レンジャー』でデップが演じたトントの台詞)」とか言い出したりして(笑)。


 ワタシはミレニアム・ファルコン号に乗りそびれたままの52歳なので、『スター・ウォーズ』が21世紀に入ってから、どうやって延命しているのか、方法を知らないのですが、『キングスマン』も多分『2』があります。『3』『4』となっていったら、どうするのだろうか?


 『技術者たち』は、それもしません。そもそも塩と脂に頼ってないから、というのもありますが、それと地続きに「あらゆる意味で続編可能性が感じられない」という点が挙げられるでしょう(これは、ご覧頂ければ解ります)。


 <大スターの当たり訳>によってマーケットを作り、金を生むのだ。という、別に大悪でもない方法に対して、スマートに逃れている。この主人公の様に。ここはハリウッドに近そうに見せて、違う点であるとカウント出来るでしょう。清潔なことをやろうということになったと思うんですよね。「せっかく作った魅力的なキャラクターを生き続け<させない>」という事のストイシズムは、日本人にとっては、気を失うほど考えられない事ではないでしょうか?


■効いている小技たち、そしていつもの結論


 細部のリアリズムもとても良い塩梅です。若い美少年の天才ハッカーが、実はヒップホップ小僧でクラブが好きだという設定とかは、日本でも考えつきそうなんですが、圧倒的にリアリティとシャレている感じの熱量が違っていて、ハッカーの指1本1本にタトゥーが入ってたり、小技が効いているんです。


 やっぱりこういうエンターテインメント映画の重要なのは細部の小技で、日本だったら絶対にやらない。日本で天才ハッカーが出てきたら、眼鏡をかけていて、オタクの記号を背負っていて(あるいは、その反転の、美少女高校生とか)、と、紋切型になるに決まっていて、ただ単にそれを有名な俳優がやっているからいいでしょ? という感じで、細部に神が宿る感じのディテールがヤベエというところまで、もう力が回らない。スターが出てくるから、撮影時間も限られているし、監督はいろんなのと板挟みだし、みたいになってしまう。この作品には、そういう甘えや構造的な疲労が全くない。ハッカーが指先1本1本にタトゥーが入れているというのは、欧米映画でも見たことがありません。


 日本だと<制作も現場の人も監督も絶対クラブに行ったことないな、、、、>というようなクラブが出てきますが、本作でのクラブ全体の描写はリアルで、韓国のクラブってこんな感じだよなという。ワタシも行ったことがあるからわかりますが、「そうそう、こうだよ」という。いまだにお立ち台とかがあるのがリアルで、そこに来ているお姉さんたちの服も、日本の映画とかテレビドラマだと、このために買ってきたんですか? みたいな感じのものが多いんですが、本当にクラバーのお姉ちゃん集めてやっているようなリアリティーがあって、そういうディテールも凝っているんですね。


国は違えど、映画の原作者、脚本家、監督、制作が、チャラチャラ遊んでいる人々だったり、若い頃はそうだったり、という事はほとんどない筈です。アメリカ映画の多くに「映画なんか作ってる奴は、イケてなかった奴なんだ」というった台詞が出て来ます。だけど、その人たちが、やっぱりエンタメなんだから、細部にはちゃんと凝んなきゃと思っているということが、ひしひしと伝わってくるのが韓国の熱量とリアルで、日本は、漫画原作とスターの配役で手一杯感、を越えるか越えられないか、特別のギフト頼りの状態で、これは皮肉でも、また比喩でもなく、日本のこの種のエンタメというのはラーメン二郎が世界を制して君臨している。と言えるでしょう。


 最後に、一番感心したのが、最も冷血な準悪役というか、殺し屋が、キム・ウビンと対照的な、普通にすごい良い男なんですが、うまいこと考えたなと思ったのは、その人の身長が190cmもあるキム・ウビンよりちょっとだけ高いという(笑)。「主演であるキム・ウビンが作品中最も長身」という一種のお約束を、楽しんで破っている。それを利用してキム・ウビンをリアルにかっこよく見せる。


 本作はどんな人種の人が観たって面白いと思うんですが、もうK-MOVIEということでタコ壺化してるので、結局、日本の中に何千人か何万人かいるキム・ウビンのファンしか観ないと思います。だから外に広がっていく可能性があらかじめ閉ざされている。『進撃の巨人』や『キングスマン』なら誰でも観るけど、やっぱり<キム・ウビン主演『技術者たち』>というと、観ない人は絶対観ないので。声を大にして言いたいのは、ものすごい面白いから、とりあえず観てもらいたい。できれば実写版・小栗旬主演の『ルバン三世』と併映で観てもらいたいです。なんだかんだ言っても日本がどれだけ平和で、経済が(表向きは)豊かな素晴らしい国であるかが嫌というほど解ります。(菊地成孔)