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サザンは2015年の「みんなのうた」を作ったーー『葡萄』が日本レコード大賞最優秀アルバム賞に輝いた意味

2015年12月31日 10:01  リアルサウンド

リアルサウンド

サザンオールスターズ 『葡萄(通常盤)』(ビクターエンタテインメント)

 サザンオールスターズが今年2015年3月31日にリリースしたニューアルバム『葡萄』が、第57回日本レコード大賞の最優秀アルバム賞を受賞した。レコード大賞は2000年のシングル『TSUNAMI』で受賞しているが、アルバムでの受賞は初。もちろん、アルバムを出せば1位が当然、ツアーはスタジアムクラスで全公演即完、という状態がずっと続いているのがサザンだし、周知のとおり今作は桑田佳祐が療養から復帰して初めてのサザンのアルバムだった、ということもあるが、やはり受賞には特別な意味があるように思う。さらに言えば、サザンとしては10年ぶりで通算15枚目、デビューから37年で初の受賞というこのアルバム自体、長いサザンの歴史においても、これまでになかった内容と位置付けの作品なのではないだろうか。


 正確に言うと、僕が最初にそのことを意識したのは、このたびの最優秀アルバム賞受賞の発表の時ではなく、ツアー『おいしい葡萄の旅』を観た時だった。このツアーを6月13日のナゴヤドームで観たのだが、始まって10曲目くらいの時に、「早く『葡萄』の曲をやってほしいモード」「1曲でも多く『葡萄』の曲を聴きたいモード」で観ている自分に気づいて驚いた。サザンのように長いキャリアがあって、1回のライブですべて網羅するのは不可能なほど多くのヒット曲や代表曲を持っているバンドの場合、まずは長く親しんできた過去の曲を聴きたいという人は多い。それこそストーンズだろうが誰だろうがそうだ。でも、僕個人の実感は「早く『葡萄』の曲を聴きたい」というものだったし、「アロエ」「ピースとハイライト」「東京VICTORY」「栄光の男」などの『葡萄』収録曲のイントロが始まった時の客席の沸き方は、やはり驚くべきものがあった。


 思い起こせばその直前、このアルバムのリリース前後、収録曲全16曲のうち8曲にCMやドラマ等のタイアップが付き、テレビで流れまくっていたが、その曲たちのいわば「耳にこびりつき度」や「つい口ずさみ度」からして、おそるべきものだった。過去のサザンや桑田ソロのアルバムもタイアップがいっぱいついているという点では同じだが、『葡萄』の曲たちはそのどの時期とも違う格別の響き方をしていたと思う。


 なので、改めて考えてみたい。『葡萄』は、これまでのサザンのアルバムとどう違ったのか。そして、『葡萄』の何がそんなに、我々聴き手に刺さったのか。


「みんなのうた」を取り戻す。サザンが、桑田が『葡萄』で目指したのは、そういう音楽なのではないかと思う。


 90年代以降の日本のポップ・ミュージックの状況を指して、「昔は誰でも知っている歌がヒット曲だったのに、何百万枚も売れているのにファンしか曲を知らないのが普通になってしまった。『みんなのうた』と呼べるようなヒット曲がなくなった」というような言い方は、その90年代当時からよくされてきた。それ以前、つまり「誰でも知っている曲がヒット曲だった頃」がどういう時代だったのかというと、地上波のテレビ番組がヒット曲の発信ツールだった時代だ。今「地上波」と書いたが、80年代には当然テレビは地上波しかない。ラジオも、NHK以外の民放のFMが、ようやく東名阪以外のエリアにも誕生し始めた頃だった(僕は広島出身だが、地元にNHK以外のFM曲、広島FMができたのは1982年、中学2年の時だ)。


 音楽を世に発表するメディアが「テレビ」「FMラジオ」「AMラジオ」「有線放送」の4つしかなく、そのうちもっとも影響力のあるテレビは当時各家庭に1台というのが普通で、だから視聴者がみんな同じ場所にいた、つまりお茶の間にいたので、ヒット曲というものが「誰でも知っている」存在でいられた、とも言える。


 アナログ盤からCDになったことも手伝って、あと90年代中盤頃から「J-POP」という概念が生まれたこともおそらくガソリンになって、音楽ソフトの総売上数自体は80年代よりも90年代の方が大幅に増えているのだが、個々のヒット曲の「誰でも知ってる度」は下がっていった。音楽の受け手の細分化が進んで、それぞれの文化圏・生活圏によって好んで聴く音楽が異なり、テレビが一家に1台のものではなくなり、家族のいる場所ではなく個々の部屋や携帯音楽プレイヤーで音楽を聴くようになる、つまりファンには深く強く届くがファンにしか届かない、といったような音楽の聴かれ方が主流になっていく──。


 と、ビジネス誌の記事のようなことを書いているが、そんなふうに、まだ「みんなのうた」が「みんなのうた」として成立し得た最後の時代に、「みんなのうた」というタイトルのヒット曲を放ったりもした(1988年)サザンが、デビュー時からそのような「みんなのうたを作るのだ」という意志を持っていたのかというと、怪しい。デビュー当初はキワモノ的な評価もあったし、3枚目のシングル「いとしのエリー」の大ヒットで正当な評価を得られるようになったあとも、サザンはアンモラルで猥雑な要素を、歌詞やビジュアルやステージ・パフォーマンスなどに入れ続けてきた。桑田佳祐は洋楽へのリスペクトと共に日本の歌謡曲への愛着を持ち、それをルーツとしているので、楽曲はそうした意味での大衆性を持っていたが、親が子供に勧めることができるようなものはやりません、じゃないことを音楽に求めているんです、という姿勢がどこかに必ずあった。


 初期だけではない。すっかり国民的バンドとしてのポジションを確立した頃(1995年)にリリースしたシングルは「マンピーのG★SPOT」だったし、活動休止前の「BOHBO No.5」は前向きなメッセージ性を孕む内容だが、それをシモネタでコーティングしている歌だ。


 そうしたサザンのこれまでの歌が「みんなのうた」たり得なかったのかというと、70年代・80年代においては間違いなくそうなっていたし、「みんなのうた」が死滅し始めた90年代に入っても、まだその効力を持っていた唯一無二の存在だったと思う。ただ、それはあくまで結果であって、「みんなのうたを作ること」を第一に求めたわけではないのではないか。


 ということに、僕は『葡萄』を聴いて気づいた。昨今のJ-POP界隈には見られない、まさに「みんなのうた」が集まったアルバムだったからだ。


 誰が聴いても意味がわかるような、シンプルな言葉遣いで歌詞を書くこと。そこに切実な思いがこもっていて、そのことが聴き手に伝わること。その言葉がクリアに耳に飛びこんでくるようなメロディとのフィット感、トラックとのフィット感を持っていること。このアルバムのおそるべきシンプルさは、そこを目指した成果だと思う。そしてそれが、桑田佳祐の考える「みんなのうた」の定義なのだと思う。なお、エロ系の曲は「天国オン・ザ・ビーチ」ぐらいで、しかも曲調の明るさのせいで、さして淫猥には聴こえない。


 なぜ桑田はそれを目指したのか。誰もが思い当たるところだろうが、やはり闘病・療養がひとつのきっかけなのかもしれない。たとえば、「アロエ」の<キミが生まれて 出逢えた事 その事だけで みんな幸せなんだ>や、「東京VICTORY」の<友よ Forever Young みんな頑張って>といったフレーズのような、簡潔で前向きなメッセージを、このアルバムのあちこちで聴くことができる。これ以上ないくらいストレートな「イヤな事だらけの世の中で」なんて、これまでのサザンの曲にはなかったようなタイトルだ。つまりこれは、とにかく端的にストレートに伝えなければいけない、という意志の表れではないか。


 それは「ピースとハイライト」に、特に顕著だ。見方によっては無邪気に響くのかもしれないが、今の政治、今の社会に対する異議を「みんなのうた」として広く多く伝えるためには、あれくらいのストレートさが不可欠だったのだと思う。


 それからもうひとつ。


 『葡萄』の曲たちが、そのような「みんなのうた」集であると同時に、桑田佳祐個人の思いや考えや経験や感情などを反映したものであることも、とても重要だ。個人的な動機から出発した音楽でないと真の「みんなのうた」にはならない、という確信があってそうしたのか、ただそういうことを書きたかったから書いたのかはわからない。しかし、そのことがこのアルバムにかけがえのない深みとリアリティを与えているのは事実だろう。


 たとえば「青春番外地」の<縁があって 楽団のバイトして>という歌詞は、大学の夏休みに茅ヶ崎のホテルのプールサイドで演奏するバイトをしたことからきているのだろうし、「栄光の男」は長嶋茂雄と自分と当時の世の中と今の世の中を重ね合せて書かれている(桑田世代にとどまらない幅広い世代のリスナーが、同曲に自身の人生を重ねて涙しているという。それがサザンの普遍性なのだろう)。「はっぴいえんど」は原由子に宛てた感謝の手紙みたいだし、「バラ色の人生」に至っては、「自分はこう生きたかった、こう思って生きてきた」ということを伝える遺書のようだ。これらの個人としての思いの生々しさが、社会に向き合ってメッセージを放った曲のリアリティも、同時に確かなものにしている。


 2015年の「みんなのうた」として、幅広いリスナーに聴かれた結果、日本レコード大賞最優秀アルバム賞を受賞した『葡萄』。すでに飽きるほどこのアルバムを聴いた方も、ぜひ再度向き合ってみていただければと思う。(兵庫慎司)