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2015年の音楽シーンはどう変容したか? クラムボン・ミト、柴那典、金子厚武が語り尽くす

2015年12月30日 14:01  リアルサウンド

リアルサウンド

左から、金子厚武氏、クラムボン・ミト氏、柴那典氏。

 2015年は大型のサブスクリプション(定額)音楽配信サービスが出揃った一年であり、海外においてもアデルの爆発的ヒット、グラミー賞ノミネート作品の変化など、様々なトピックが見られた。リアルサウンドでは、クラムボン・ミト氏のインタビュー【クラムボン・ミトが語る、バンド活動への危機意識「楽曲の強度を上げないと戦えない」】が大きな反響を呼んだことを受け、彼に2015年の音楽シーンを総括してもらうことに。対談相手として柴那典氏と金子厚武氏を招き、アーティスト・ジャーナリストそれぞれの立場から振り返ってもらった。


・「サブスクリプションによって『音楽そのもの』が担保される」(金子)


――まず、みなさんは2015年の音楽業界にどういう印象を抱きましたか。


柴 那典(以下、柴):5年前くらいから喧伝されていた「音楽が売れない/若者の音楽離れ」みたいな風潮が薄れてきているような感覚を覚えています。CDだけではなく、音楽の売り方・聴き方が多様化したことで、ビジネス的な構造が変わっているというか。「音楽に未来がない」と言っていたのが過去になった1年なのかもしれません。


ミト:セールス的にはむしろ伸びていますからね。CDを軸として考えている大きなメディアの価値基準が危うくなってきているのは事実で、オリコンチャートと実際に聴かれている音楽が乖離している問題がより取り沙汰されたり、AKB48がついにミリオンを割ったりと、次のフェーズへ向かう兆しがより可視化されてきていると思う。


金子厚武(以下、金子):「音楽が売れない/若者の音楽離れ」という言説は、あくまで“CDを売る”時代が終わっていくという話で、“音楽が終わる”という話ではなかったってことですよね。


柴:それが改めて結果に出た一年ですね。僕自身もCDを聴いて育ったから、もちろん思い入れはあるし、ミュージシャンもCDを買ってほしいと思うのは当然ですが、今はパソコンにもCDドライブがない、コンポは持っていない、音楽を聴く手段がスマートフォンしかないという子もたくさんいる。CDがある種の特殊な嗜好品になっているのかもしれません。


ミト:僕らが青春時代を過ごした80年代後半~90年代って、CDがちゃんとした「パッケージ」だったんですよ。でも、特装ジャケットや特典にお金を出せるミュージシャン自体が少なくなっているから、プラスティックケースに統一されて、所有する喜びも減ってきた。だからCDを単なる「モノ」という価値基準にまで落としてしまったのは、ミュージシャンやレーベル、つまり自分たちだと気づき始めたのが、ここ最近のことで。


柴:一方で、日本はほぼ今年がサブスクリプション元年というくらい、様々なサービスがスタートしました。サブスクリプションサービスについては海外と日本で状況を分けて考えなければなりませんが、僕はそれがCDなどの商品を駆逐するとは思っていなくて、結局、音楽を知る手段の一つとして普及するだけだと考えています。例えばMr.Childrenがアルバム『REFLECTION』のハイレゾ音源入りUSBを形態の一つとして1万円の限定生産で販売し、完売したという出来事は大きいと思っていて。ミトさんが言うような、「沢山の予算を使って制作した、とてもスペシャルなコンテンツとグッズ感を持ったパッケージ」は、より売れるようになっていくのかもと実感しました。


金子:「CDをどう売っていくのか?」という議論から、「モノ」あるいは「フィジカル」というもののあり方を問い直すタームに入ったように思います。


ミト:CDに特典でTシャツやライブチケット先行予約、アニソンだと新規版権絵などが付属するのは当たり前になっていて。ミュージシャンとしてはもちろん「まずは音源だろ!」って言いたいし、自分も妥協するつもりはないけど、その音楽が伝播して、3次元において手に触れたいモノがあると思わせ、それをキャッチーにプレゼンテーションできたものが伸びているのは事実だから。


柴:ライブ会場に足を運ぶファンは、限られたお小遣いのなかから、例えばCDとTシャツのどちらに自分のお金を使うか、シビアに考えています。その結果、Tシャツまたはほかのグッズを選んでいる人が少なくない。もちろん、そこに作り手の意志が介在していなければそれは不健全なことだけど、アーティストが作品やライブの世界観を増幅させるものとしてグッズを作って、売っているのであればいいと思う。例えばUNISON SQUARE GARDENは、楽曲の物語性が具現化したような、1曲1曲の楽曲名に紐づけたグッズをメンバーのプロデュースで展開していますね。


ミト:田淵(智也/UNISON SQUARE GARDEN)くんを見ていると、『M3』(音系・メディアミックス同人即売会)的な発想も感じますね。ただ、ライブを軸とした活動をしっかりやっているから、彼がアニソンを手掛けても、バンドのイメージを損ねるどころか、よりその良さが際立つ結果になる。こういうアーティストを見ていると、やはり作り手が色々と考えて発信しなければならない時代なんだと実感します。「自分はこれしかできない」というオールドスクール的な発想は一定数あると思うけど、それがアートにおけるパトロン制度のように、しっかりと生活を担保されるものになるには、まだあと15年は掛かる気がする。


金子:音楽が音楽だけで成り立つというのは5年前10年前の話で、ずっと言われてきたことではあるけれど、そういう時代ではなくなったことが、より現実的に、明確になったのが今年かもしれない。それならば、「音楽そのもの」はどこにいくのか。そう考えると、モノ=グッズとして作品が消費される一方で、サブスクリプションによって楽曲が手軽に届くことで、「音楽そのもの」が担保されるという、ポジティブな材料になるのではないかと思いました。


柴:先ほど「海外と日本を分けなきゃいけない」と言ったのは、まさに金子さんの言う状況が、すでに海外で生まれているからです。海外ではSpotifyがフリーミアムのモデルとして定着しており、ヒットチャートを見てもテイラー・スウィフトやアデル以外はほぼほぼ聴くことのできるくらい、網羅率が高いという状況なんです。ここまで配信環境が整っているからこそ、それをあえて選ばなかったアデルが『25』でブロックバスター的にヒットを叩き出していて、それが2015年の世界的な音楽シーンにおいて、最大のトピックになっているのではないかと。


ミト:あれは<XL RECORDINGS>にすごく頭の切れるブレーンがいるんだなと感じさせる出来事でしたね。前作の『21』であのセールスを叩き出した時点で、<XL RECORDINGS>はただのインディーレーベルから、いわば上場企業になったわけで(笑)。でも、彼らはインディー的なスタンスを見失わずに、アデルがテレビ出演する際もあえて大人数にせず、アコースティックセットで披露させたり、ツアーも最小限の編成で回っていたりと、良い意味で遠くへ行った感がない。戦略としてかなり巧いと思います。


柴:アデルはここ5年、10年で最も巨大な成功を収めたミュージシャンといっても過言ではないでしょうね。もちろん、周到な戦略は彼女自身の才能があった上でのことなので、誰にでも当てはまるわけではなく、両者がうまくかみ合ったからこそできたことかと。


・「音楽的な“筋トレ”が個人でできるようになっている」(ミト)


ミト:アデルが売れている一つの要因には“共感できる歌詞”があって、過去のダメな恋愛経験を書いていたりするんだけど、それが普段音楽を聴かない、より広い層に浸透したからというのもあるよね。日本で例えると、西野カナさんみたいな。ただ、BBCやNME、ピッチフォークの年間チャートにアデルは入っていなくて、それでも両者の文化圏が成立しているというのが面白いよね。日本はやはりそこができていない。OPN(ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー)やアルカのようなものと、西野カナがともにメジャーの舞台で活躍するという発想はないんです。


柴:ジャスティン・ビーバーがいて、アデルがいて、マルーン5がいるグローバルな規模のメインストリームの世界とは別に、アメリカのインディーにはとても豊穣な音楽シーンがあって、アルカもOPNのような先鋭的なエレクトロニカのミュージシャンも活躍できる多様性がある。この“勝者総取り”の現状を見据えた上で、どれだけ質が高いものを送り出し、草の根のバズを起こしていくか。それが、音楽業界が丹念に追求すべき役割だと思います。最近、ハーバードビジネススクールでエンタテインメントのマーケティングを教えているアニータ・エルバース教授の書いた『ブロックバスター戦略』という本を読んだのですが、彼女が言うに「マルーン5、レディ・ガガ、ハリー・ポッター、レアルマドリードなど、すべての分野のエンタテインメントで勝者総取りが起こっているのが21世紀」だと。もちろんロングテール的に売れるものも継続して存在するけれど、多くがモンスターヘッドがすべてを喰いつくす世界になっている。アデルの『25』も『スターウォーズ』もきっとそういうことなんですよね。誰もがあらゆるコンテンツに好きなだけアクセスできる便利な世の中がきた結果、特定の巨大な人気者だけが勝つ世界に今なっているのだと感じました。


ミト:キャリアやネームバリューが強大なパワーを持ち始めているのは、身をもって感じています。実際、若い子たちの方が自分たちより10倍ぐらいスキルがある。だけど、決してモンスターではない僕らでも20年のキャリアがあって、名前もあちこちに出ているから、そのことで彼らがのし上がれない壁になっていたりして。極端な話、巨大コンテンツになったものは、築き上げた“名前”をうまく使うことが第一になっていて、ブランディングとして新しいことをしようとはしていない。余計な競争相手を排除するためのさらに大きな壁を築こうとしているというか。


柴:エンタテインメントコンテンツ、特にメジャーが力を持っているところって、上位0.1%に60%ぐらいの予算を注ぐ、みたいな世界になってきていますね。そこに行くためには、ストリートチーム的なものを作り、草の根の支持を溜めて溜めて、一気に爆発させることが必要になってくる。音楽の質とは全く別のマーケティングだけの話なので、こんなことを言うと良心的な音楽ファンにはほんとに嫌われるんですけど(笑)。


ミト:でも、それをやりつつ質を担保することが、結果的に一番良い方向へつながると思います。


金子:マーケティングと音楽的な質の担保の両立という意味でいうと、日本のレコード会社でうまくやっているのは<unBORDE>かなと思っています。ゲスの極み乙女。やindigo la End、tofubeats、パスピエなどに対し、ちゃんとマスまで見た上で、アーティスト一人ひとりのブランディングをすごくしっかりやっている。その結果としてゲスの極み乙女。が紅白に行ったことが象徴的な出来事であるし、tofubeatsもかなり表に出てきた。それはやはり、アーティストと作品の質を担保した上で、マーケティングがうまくできているからだと思います。あのバランスはすごく“2015年的”といえますね。


ミト:確かにトーフくんのマーケティングはわかりやすいですね。とにかく有名で、業界に根を張った人間と絡む。下世話な言い方に聞こえるかもしれないけど、トラックメイカーという職業柄、それは当然なワケですよ。例えばアメリカのポップシーンで言ったら、誰もがスヌープ・ドッグと絡みたくなるわけで、ファレル・ウィリアムスだって『CLONES』や『NERD』を出してすぐにスヌープへオファーしたでしょう。それが日本のファレル的アドバンテージとして、トーフくんに回ってきたんだと思います。同じようなスタンスを挙げるならば、ももクロはまさに。プロレス的な発想をもとに企画を立てて実行し、松崎しげるさんやマーティ・フリードマンといった人たちがここに賛同してタッグを組んだりした。これはまさに、質を担保しながら“ももクロ”という個性を業界に投げた結果、返ってきたものなのかもしれない。


柴:そんなことができるのって、代理店的発想を持った人たちだけですよね。


ミト:確かに、ミュージシャンはそこに行く必要はないし、非リア(充)じゃない人間がミュージシャンになんてなって欲しくない(笑)。ただし、売れることができるアーティストって何だろうと考えると、“自分を殺せるかどうか”なのかもしれない。それはデヴィッド・ボウイやルー・リードのようなミュージシャンズ・ミュージシャンもやっていることですからね。


柴:その話を聞いていると、今年の象徴は米津玄師のブレイクなのかもしれないと思う。彼はまさに非リアな青春時代を過ごして、インタビューでも「もっとマッチョに、強くなりたい」と繰り返し言うんですよね。


ミト:「マッチョになる」とは違うかもしれないけど、「筋トレ」はすごくキーワードだと思います。僕がいま面白いと思っている人間は、例えば作曲家だと毎日家に帰って2曲は作っているような人ばかりで。震災以降のヒリっとしたムードも影響してか、シビアに“音楽筋”を鍛えているような人たちが、どんどん面白いものを作っていっているんです。


金子:それはやはり、ネットの影響が大きいでしょうね。シンリズムやぼくのりりっくのぼうよみも多分そうで、動画サイトやSound Cloudなどを通して音楽筋を鍛えて、オーバーグラウンドに出てくるようになった。


――人目に付く段階で、ある程度筋トレが終わっていると。


柴:自主制作のCDだと、曲を作ってから反響が返ってくるのって、少なくとも1カ月から3カ月はかかっているわけです。ただ『ニコニコ動画』以降の環境で育っている人は、動画のコメントですぐにリアクションを受けて、「これをやればウケる」ということを呼吸レベルで身に着けることができる。若い世代は、その情報の積み重ねを経てきているんです。ネットを使って、PDCA(Plan、Do、Check、Act)サイクルが超高速で回せるようになったというか。


ミト:しかも、 10代や20代なら2日3日寝なくても生きていける(笑)。これだけテキストやカリキュラムが無料で手に入る時代に生まれて、その集中力を際限なく注ぎ込めれば、それはハンパなく上達しますよ。


柴:渋谷系の時代は、そのカリキュラムにアクセスできるのが宇田川町のレコードの一角だったから、あそこにいた人が特権を握っていたともいえますよね。今はそれがネットに開かれているから、シンリズムのようなアーカイブを自在に使いこなすような10代が出てくる。


金子:つまり、“筋トレ”が個人でできるようになっている。だからこそ、RealSoundのインタビューでミトさんが言っていたように、「バンド」という形態がいかに旧態依然としたものかというのが、ものすごく明確になってしまった(参考:クラムボン・ミトが語る、バンド活動への危機意識「楽曲の強度を上げないと戦えない」)。もちろん、「もうバンドなんて終わりだ」と言うつもりはまったくないですけどね。


ミト:そう。あれは救いようのないことを言っているわけではなく、「バンドマンも音楽的な筋トレをすればいいじゃん」という話なんです。それをプレゼンテーションできる場所は、いつでもあるわけですから。


金子:バンドがよりユニット的というか、メンバー一人ひとりの個性を際立たせて、それが集まった時に「最強!」と思えることが魅力的に映る時代になったような気がします。クラムボンはそれを前からやってたという言い方もできる。


ミト:僕らは“一蓮托生バンド”全盛の世代にデビューしたにも関わらず、そこに寄り添えなかっただけですよ(笑)。この部分で差別化を図り、ゼロから田んぼを耕していたわけですから、それだけ貧乏生活を味わっていたということで。いつでも仕事がある状態ではなかったから、色々なことをやって、それが現在の活動に繋がっているというだけなんです。人気がない状態で『ニコニコ動画』に日々作品をアップして筋トレしていたこととなんら変わらない。


柴:実は、グローバルなポップミュージックのシーンにおいて、ロックバンドという形態は10年以上前からアウト・オブ・デイトのものになってしまっている。そのことは前提として言っておくべきだと思いますね。今年もグラミー賞にノミネートされたバンドがアラバマ・シェイクスだけだというのが象徴的で。その一方で、2000年以降の15年間、ガラパゴス的にバンドの優位性が担保されてきたのが日本の音楽シーンだと僕は思っているんです。その状況が少し変わってきたのが今年で、星野源をはじめとするシンガーソングライターや、SEKAI NO OWARIのようにバンドのあり方をアップデートした人たちが脚光を浴びるようになってきていると思います。


ミト:星野くんは、ミュージシャンと挙げるのは憚るぐらいに、俳優活動をしていたことは、絶対に避けて通れないところですね。またUNISON SQUARE GARDENやBUMP OF CHICKENが今年『ミュージックステーション』に出てさらなる支持を獲得していることを考えるに、テレビの影響がまた大きくなってきているように感じます。


柴:5年前くらいは「テレビはもう終わった、これからはネットの時代だ」と言われてたけど、今はテレビの影響の方がむしろ上がってきていますよね(後編へ続く)


(取材・文=中村拓海)