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「映画には過去も現在もない」シネマヴェーラ渋谷館主が明かす、名画座経営10年の信念

2015年12月26日 07:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『円山町瀬戸際日誌』

 2016年1月に、開館10周年を迎える“名画座”シネマヴェーラ渋谷。その館主であり弁護士でもある内藤篤氏が、シネマヴェーラ10年の軌跡を綴った回顧録『円山町瀬戸際日誌』(羽鳥書店)を上梓した。エンタメ関連に詳しい弁護士ではあったものの、劇場経営はまったくの素人だったという内藤氏は、どのような思いのもと自ら名画座を立ち上げ、さまざまな逆風が吹くなか、それを10年間維持することができたのだろうか。リアルサウンド映画部では、このタイミングで内藤氏を直撃。名画座経営を通じて見えてきたものはもちろん、デジタル化を含めた、名画座を取り巻く最近の状況、そして名画座の意義や魅力に至るまで、さまざま質問をぶつけてみた。


参考:“極上音響上映”仕掛け人が語る、これからの映画館のあり方「ほかの視聴環境では味わえない体験を」


■「名画座がなくなるということに、個人的な危機感が募った」


――まずは改めて、シネマヴェーラ開館の経緯から教えていただけますか?


内藤篤(以下、内藤):映画好きが高じてというのが、いちばん簡単な理由です。僕は映画好きのなかでも旧作好き、名画座好きというところがあったので、90年代から00年代にかけて、名画座がだんだん減って来て……自分もそのぐらいの年には、なかなか名画座に日常的に通えるような年齢でもなかったんですけど、名画座がなくなるということに関しては、妙に個人的な危機感が募ったんです。「これはどうにかしなければならぬ」って。もちろん、そんなことを思っているだけではどうにもならないので、「それだったら、自分でやってしまえ」みたいな。そんな感じでした。


――当時、40代ですか?


内藤:僕が1958年生まれだから、42ぐらいですね。あと、もうひとつ背中を押したものがあるとすれば……僕は、2001年の暮れに大病を患って。がんだったんですけど、抗がん剤を打ったり、手術をしたりして……日韓ワールドカップ共催を病院のベッドで見ていたという鮮烈な記憶がありまして。手術をして、一応ことなきを得たんですけど、そうやって一度拾った人生なんだから、あとは好きなことをやろうみたいなものがありました。


――そして、2006年1月に、館主として名画座「シネマヴェーラ渋谷」をオープンしたわけですね。やはり、昔の日本映画を上映するような劇場にしようと?


内藤:それもあるんですけど、過去と現在の両方を出したいっていうのがありました。映画というものには過去も現在もなくて、全部が繋がっているんだっていう感覚を、それこそ若い人たちに伝えられたらいいなっていう。それで、こけら落としが「北野武/ビートたけし レトロスペクティヴ」だったんですけど。ただ、やっていくうちに、近い時代の映画は、なかなか客入りが難しいことが分かってきました。


――“近い時代の映画”というと?


内藤:90年代ぐらいからこっちの映画というか。邦画は特にそうですね。やっぱり名画座にくるお客さんって、ある意味では特殊なところがあって。一般のお客さんは、基本的に名画座には近寄らないんですよ。で、名画座に来くるようなお客さん――名画座業界周辺の人々は、彼らのことを“映画獣”っていうふうに呼んでいますけど(笑)ーー彼らは90年代からこっちの映画には、敢えてこないみたいなところがあるんですよね。


――なるほど。


内藤:ただ、そういう“映画獣”以外のお客さんにも来てもらいたいから、90年代以降の映画であっても、観るべき価値のあるもの、観てもらいたいものは、めげずに特集して……たまに、当たることもあるんですよ。黒沢清特集なんかは、過去2回とも非常に良い客入りでしたから。ただ、この本にも書いたように、どの映画をやるとお客さんが来て、どれをやると来ないかっていうのは、未だによく分からないですね(笑)。


■「35ミリの旧作上映というビジネスは、いよいよカウントダウンに入った」


――本書は、2006年の開館から約3年間の日誌と、2014年の4月から2015年の5月までの日誌の二部構成になっています。その空白の5年のあいだに、名画座をめぐる状況も内藤さん自身の考え方も、いろいろと変化したのではないですか?


内藤:そうですね。自分で読み返してみて、面白いか面白くないかっていう意味では、やっぱり初期のほうが断然面白いですよね。こんな綱渡りみたいなことをやっていたのかっていう(笑)。


――ただ、最近のものは、それと少しトーンが違いますね。


内藤:そうですね。始めた頃は、多少失敗しつつも、この道はいつまでも続いている道なんだ、10年経っても20年経っても、細々とならやっていけるだろうと思っていたんですけど、やっぱりこの先、何年も続けられないかもしれないという思いが、最近はヒリヒリくるようになって……。


――何かそう思わざるを得ない出来事があったのですか?


内藤:いちばん大きな転機は、やっぱり2012年でしょうね。ウチの35ミリの映写機を作っていた会社(※日本電子光学工業/日本におけるフィルム映写機製造の最大手だった)が、いきなり倒産したんです。で、偶然というか必然というべきか、それと時を同じくして、日本中の35ミリの映写機が、いっせいにDCP(※デジタルシネマ・パッケージ/フィルムの映写機ではなく、デジタルデータをDCP用プロジェクターでスクリーンに映写する方式)に転換したんです。ちょうど、そういうタイミングだったのですね。そのときに、僕らがやっているような35ミリの旧作上映というビジネスは、いよいよカウントダウンに入ったなっていう感じがありました。


――なるほど。


内藤:その時点では、大手の映画配給会社の人たちも、「35ミリをやめることは、今のところ考えていない」という話だったんですけど、やっぱり向こうも商売ですからね。我々のような35ミリの映写機を持っている数少ない劇場のために、いつまでそのカタログを維持してくれるのかっていうのは、もう彼らの胸先三寸なわけですよ。


――そのあたりから、よりいっそう危機感が増したと。


内藤:そうですね。ただ、もし名画座がなくなったら、映画館で旧い映画を観るというのは、本当に限られたものしかなくなってしまうわけです。たとえば、デジタル修復した小津安二郎の『東京物語』とか。それこそ、先日ウチでやった「橋本忍特集」(※伊丹万作から脚本指導を受けた唯一の弟子であり、黒澤組のひとりとして傑作群を送り出した脚本家・映画監督、橋本忍を特集した企画)のように、名前は聞いたことあるけど、ほとんど観たことがないようなものは、フィルムセンター(※日本で唯一の国立映画機関。フィルムの収集と保存、上映、貸出などを行っている)で、たまたま上映されたら、観られるかもしれないけど、ごく限られた人しか観られないっていう状況です。やっぱりそれは、「おかしいでしょ?」っていうふうに思うんです。


■「必ずしもフィルムにこだわる必然性はないように思う」


――とはいえ、そこで内藤さんは、「35ミリフィルムを守ろう」と訴えるような感じではないですよね?


内藤:僕の場合は、フィルムでなくても観られるなら、別にそれでもいいですっていう考え方なんです。2012年のときは大騒ぎしたけど、フィルムじゃなくて、たとえばテレビ用の素材、あるいはDVD、Blu-ray化した素材で上映ができるなら。でも現状では、映連加盟の配給会社(※日本映画製作者連盟/松竹、東宝、東映、KADOKAWAの4社が加盟している)さんは、映画館での上映を、フィルム以外は認めてないんですよ。


――そうなんですか?


内藤:映連に加盟していない日活さんの作品は、DVDの上映ができるんですけど。だから、「35ミリを廃棄します」という決断をした場合、そこのポリシーが変わることを期待しているんですけどね。35ミリでやれないなら、他の素材でやらせてください、と。そうじゃないと、もう商売ができないんですっていう問題なので。


――内藤さんとしては、フィルム以外の方式で上映できるなら、それで構わないと。


内藤:はっきり言って、汚い35ミリフィルムより、Blu-rayのほうが、遥かにきれいですから。まあ、フィルムに関しては、作っている人と単に観ている人では、そのへんの受け取り方が違うような気がするんですよね。もちろん、作り手の人のこだわりは分かるんですけど、その微妙な違いが分かるプロの観客ならいざ知らず、素人からすると、その違いは分からない。特に、最近の若い人なんて、一度もフィルムで観たことがないっていう人も、たぶん大勢いるでしょうから。


――今のロードショー館は、ほぼすべてDCP上映ですからね。


内藤:僕自身、フィルムとDCPの違いって、観ていてよく分からないですから(笑)。そういうことも含めて、あんまりこだわりはないんですよね。昔の名画座だって、別にこだわってフィルムで上映していたわけじゃなくて、それしかなかったからそうしていたわけで。そこでもし、フィルム以外のものがかけられるなら、もっと選択肢は広がるだろうし、それで画質もきれいになるのであれば、必ずしもフィルムにこだわらなきゃいけない必然性もないと思うんです。


――そういうなかで、シネマヴェーラは、これまでのような独自のプログラムを組んでゆくと。


内藤:まあ、そのへんは微妙なところなんですけどね。分かりやすい監督特集みたいなものを、むしろやっていきたい気持ちもあるんですけど、結局そういうものって、他の劇場もみんな狙うから、ウロウロしているうちに先にやられちゃって、しょうがないからウチはそうではない“絡め手”でいくという(笑)。「成瀬巳喜男特集」とか、もう何度もやりたいと思っているんですけど、「そろそろ、やりたいね」って言ってると、必ずどっかの劇場でやられてしまうんですよ。


――数が少なくなっているとはいえ、名画座同士で作品の取り合いみたいなものもあるんですね。


内藤:いわゆる“二番館”ではない“名画座”だと、ウチ以外にも、神保町シネマがあって、ラピュタ阿佐ヶ谷があって、新文芸坐があって……。だから東京は、世界でも異常なほどに、名画座同士の競争が激しいんですよ。旧作しかやらない劇場なんて、今や世界でもほとんどないですから。東京っていうのは、たぶん世界のどこにもない、奇妙な映画都市なんだと思います。


■「何の知識もなく観たけど『これはすごいな』っていうものがたまにある」


――では最後に、普段名画座に足を運ぶ機会がない人たちに向けて、何か伝えたいことはありますか?


内藤:そうですね……。まあ、当たり前のことなんだけど、映画館に行くのではなく、映画を観に行くわけだから、たとえそこがちょっと特殊な映画館であっても、ひるむことなくきてほしいです(笑)。かつ、コスパも良いわけだから、聞いたこともない映画のほうに、むしろきてほしいところはありますね。


――ある種、偶然の出会いを求めてというか……。


内藤:そう。これはちょっと自画自賛めいちゃうけど、先ほど言った「橋本忍特集」なんかにしても、「あ、こんな面白い映画があったんだ」、全然何の知識もなく観たけど、「これはすごいな」っていうのが、やっぱりたまに出てくるわけですよ。


――名画座の館主であっても。


内藤:そうそう。ちょっと大袈裟な話になりますけど、やっぱりそういうものって、人生にとって重要なことじゃないかっていう気がするんです。本だって音楽だってそうじゃないですか。事前に「これはこういうもので、歴史的にはこんな評価がされている」っていうのを頭に入れて読んだり聴いたりするより、何かいろいろ当たっていくうちに、ふとそれに行き当たって「ああ、何だかすごい面白い、感動した」っていうことのほうが、より人を動かすように思います。それは、その人の人生にとっての「事件」なわけだから。


――「自分が発見した!」みたいな感覚って、のちのち大事になったりしますよね。


内藤:そういう感覚を……それこそ若いときに、そういうものがひとつでもふたつでもあったほうが、きっと人生、豊かになるんじゃないかなって思うんですよ。(取材・文=麦倉正樹)