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「ベースの可能性を切り開きたい」瀧田イサムが表現する、メロディ楽器としての魅力

2015年12月25日 18:11  リアルサウンド

リアルサウンド

瀧田イサム

 ハードロックを基軸としつつ、ポップスやファンク、フォークなど様々なスタイルを取り入れた音楽ユニットGRANRODEOのサポートで知られるベーシスト、瀧田イサムが初のソロ・アルバム『RISING MOON』を完成させた。デビュー20周年記念となる本作は、キングレコードとベースマガジンがタッグを組んで旗揚げした、ロックベース専門レーベル「PSYCHO DAZE BASS」からのリリース。GRANRODEOのメンバーをはじめ、レーベルメイトのMASAKIやIKUOなど交流の深いミュージシャンが多数参加しており、瀧田にとってキャリア集大成的な内容に仕上がっている。日本の伝統楽器とロックを融合した六三四や、正統派ヘヴィメタルバンドArk Stormなど、多種多様なバンドを渡り歩いてきた彼の音楽性は、どのように築き上げられてきたのだろうか。(黒田隆憲)


・多弦ベースを駆使しているのは、チープトリックのインパクトが刷り込まれている


ーー横須賀出身の瀧田さんが、最初に音楽に目覚めたキッカケは?


瀧田:僕には三つ上の姉がいて、中学に入るとギター部に所属したんですね。それである日突然クラシックギターが家にやってきた。ものすごく触りたかったんだけど、触らせてくれなかったものですから、楽器に対する憧れがどんどん募っていきました。ちょうど同じ時期に、姉が家で聴いていた洋楽にも興味を持つようになっていくんですね。キッスやヴァン・ヘイレン、イーグルス...。それらを「かっこいいな」と思いながら聴いていくうち、特にチープトリックが大好きになったんですよ。


ーーチープトリックのどんなところにハマったんでしょう?


瀧田:彼らって、最初は日本で火がついたんですよね。それで『ライヴat武道館』というアルバムを出して、それがアメリカで大ヒットした。「音楽の世界って夢があっていいなあ」と、そのときに思いました。しかもイケメンのトム・ピーターソンが、12弦ベースを弾いてる姿にも憧れましたね(笑)。12弦ベースって、3本の弦を一度に抑えて鳴らすんですけど、そのジャリついた重厚なサウンドにも夢中になりました。自分が今、多弦ベースを駆使しているのは、このときのインパクトが刷り込まれているんじゃないかなと。


ーー本格的にバンドをやり始めたのは、高校に入ってから?


瀧田:そうです。後にUnitedというスラッシュバンドを結成するベーシストの横山明裕や、元ZIGGYの山崎銀次たちとバンドを結成しました。横山も僕もベーシストだったんですけど、横山が「俺、ドラムも叩けるよ?」っていうんで彼にはドラマーになってもらって(笑)。実は、横山と僕は小学生の時に同じ柔道教室に通っていたり、中学を卒業したころ同じ新聞配達のバイトをやってたり、同じ高校を受験したり、何かしら不思議な縁があったんですよね(笑)。


ーーその頃はどんな音楽をやっていたのですか?


瀧田:横山は中学の頃からハードロックが好きで。いわゆる「ニュー・ウェイヴ・オブ・ヘヴィメタル」と言われていた、80年代にイギリスで活躍していたバンド、アイアン・メイデンやデフ・レパードといったバンドにのめり込んで行きました。僕もそういう音楽にのめり込む一方で、日本で流行り始めたフュージョンにも傾倒していったんです。当時はカシオペアやプリズムの音楽が、お茶の間で結構流れていて。難解なリズムやコード進行がとにかくカッコよくて、どんどん惹かれていきました。しかもフュージョンバンドには、花形ベーシストが多かったんですよ。特に驚いたのが、ザ・ブラザーズ・ジョンソンのルイス・ジョンソン。彼がチョッパー奏法、今でいうスラップ奏法をやっていて、そのすさまじい指さばきにぶっ飛んだ。「これやりてえ!」って。ザ・ブラザーズ・ジョンソンは、どちらかといえばソウルやファンクにカテゴライズされるグループですが、彼らや一連のフュージョンバンドを聴き漁っていった先に、ジャズを見つけて勉強するようになりましたね。


ーー具体的にはどのように習得していったのですか?


瀧田:横須賀の米軍基地周辺にはジャズ喫茶のような場所がたくさんあって、その中の一つが毎週末にジャムセッションをやってる店だったんですね。当時はまだジャズについて何も知らなかったんですけど、そういう場所で毎週のようにジャムセッションをしながら学んでいきました。「4ビートってなに?」「このコードってどんな響き?」っていう具合に、必要に迫られながら現場で身につけていった感じですね。並行してロックっぽい音楽も、フュージョンっぽい音楽もやっていたので、その頃は好きなジャンルもごちゃ混ぜになっていました(笑)。


ーージャムセッションは、ある意味では「腕試し」みたいなところもあったのでしょうか。


瀧田:それはありましたね。その頃はジャコ・パストリアスやスタンリー・クラークなど花形ベーシストがフィーチャーされまくっていて。そこに近づきたいっていう気持ちはあったと思います。おこがましいですけど(笑)。


ーー血の滲むような練習もしてきたのでしょうね。


瀧田:そうですね。ジャコパスとか見ていると、「練習の賜物だな」って思うんですよ。そこに憧れるっていうか。ジャンルは全く違いますけど、羽生結弦くんの演技を観ていても、「ものすごい練習を積み重ねたんだろうな」って思うんです。そういう姿に惹かれるんですよ。


ーーちょっと、アスリートっぽい気質もありそうですよね?


瀧田:ありますね。「このパッセージを弾きこなすには、ここの筋肉を鍛えなければ。そのためにはどんなトレーニングが必要だろう?」みたいなことを考えるのは昔から好きですし。授業中も、ずっと運指の練習をしてました(笑)。「これ、なんのためにやっているんだろう?」みたいなスケール練習を、ひたすらやることも全然苦ではないし、むしろ楽しくなってくるんです。


ーー5弦ベースを選んだのは?


瀧田:ジャムセッションに参加すると、毎回ソロが回ってくるんですね。そのときになるべく高い音を弾きたいっていうのがあって。というのは、音が高くなればなるほどハーモニーに対して何でも弾けるんです。それで5弦ベースにたどり着いた。「ハイC」っていう、普通のベースよりも4度高い音が出せるベースがあることを知って、ほとんど衝動買いのように手に入れました。22、3歳の頃かな。それまでのジレンマが一気に解消されましたね。


・色んな音楽やってきて良かったな


ーープロのベーシストとして活動し始めたのは、どのような経緯があったのですか?


瀧田:MUSE音楽院を卒業して、しばらくそこでベース講師を務めていたのですが、シンガーソングライターの佐木伸誘さんや、「夏のRevolution」という曲をヒットさせたMITSUOさんのライブサポートをやり始めたのがキッカケですね。


ーーその後、ロックバンド「六三四」に加入するわけですね。


瀧田:その前に、篠笛奏者の村山二朗、ドラムの市川義久、ギターの長谷川友二と一緒に「レブンカムイ」というバンドをやっていました。それは「和」の楽器をフィーチャーしつつ、フュージョン的なエッセンスを入れたサウンドだったんですけど、そこから和楽器とコラボすることが多くなって、その流れで「六三四」に加入することになったんです。だから、今思うと運命的なものも感じますね。思い起こせば母が民謡を教えていて、小さい頃から三味線や囃子を耳にしていたんですよ。和楽器の音色には、昔から馴染みがあった。だから、和楽器とバンドを融合させようってなったときも、違和感は全く覚えませんでしたね。気づいたらロックもやってるし、フュージョンもやっているし、和楽器とのコラボもやっているっていう、よくわからない状況(笑)。


ーーそれがすなわち、瀧田さんのオリジナリティになっていったんでしょうね。


瀧田:かもしれないですね。「六三四」も僕が加入する前は、割とフュージョン的なサウンドを奏でるバンドだったんですけど、僕が強引に「和ロック」の方へ持って行ったのかもしれませんね(笑)。曲作りもかなりやらせてもらい、その中で「和旋律」をどんどん取り込んでいきました。


ーー「NARUTO」の音楽を「六三四」が担当することになったのも、そんな瀧田さんの強引な(笑)方向転換があったからこそですよね。


瀧田:そうかもしれませんね。「忍」が主人公で、民話や伝承、宗教のオマージュを取り込んだ世界観だったので、「六三四」の音楽性とも相性が良かった。


ーーGRANRODEOに加入したのも、「六三四」の飯塚昌明(e-ZUKA)さんの誘いがあって、っていうことを考えると、全てが繋がっている感じがしますね。


瀧田:確かに。e-ZUKAとは「同じ釜の飯を食った仲」じゃないですけど、地方に一緒に行ってよく同じ部屋で寝泊まりしたし(笑)、例えば声優さんのソロや、アニソンのレコーディングで彼が呼ばれて、僕にも声をかけてくれたりして。要は「制作チーム」みたいな感じで彼と活動していく中で、「GRANRODEOっていうユニット始めるんだけど、弾いてくれない?」っていうふうに誘ってもらったのがはじまりです。


ーー先ほど、様々なジャンルの音楽を並行してやるようになったとおっしゃっていましたが、それは例えばアニソンのような、多岐にわたる音楽性が要求される現場でも役に立ちましたか?


瀧田:そうですね。特に、ライブの時にそれを痛感します。色んな声優さんのバックで演奏するときなどは、ものすごく渋いR&Bから、キュートなジャズ、あるいは歌謡曲っぽいサウンドまで、本当に様々なスタイルがありますので。そういうときは、「色んな音楽やってきて良かったな」って思いますね。


・『メロディ楽器』としてのベースの役割にフォーカスした


ーーさて、今回ご自身の名義では初のアルバムとなる『RISING MOON』が完成しました。今の心境は?


瀧田:今だからこそのベースの面白さって、あると思いますね。奏法的にも進化しているし、キャラの立ったベーシストがどんどん出てきている。自分もその中の一人として、こういう作品を出せるっていうのは幸せなことだなって思います。


ーー昔は「ロック」というと、テクニックを否定したり揶揄したりする傾向があったと思うんですよね。それが、ポストロック以降は流れがガラリと変わって。今はテクニック重視の若いロックバンドが沢山出てきていますよね。そうしたシーンの動向と、これまでの瀧田さんの歩みが奇しくも呼応しているようにも感じます。


瀧田:なるほど、確かに昔はテクニック思考を揶揄する風潮ってありましたね。今はもう、変拍子は当たり前だし、7弦ギター、8弦ギターが当たり前みたいになってきてますよね。


ーーそして、このアルバムはこれまで瀧田さんが関わってきた人が数多く参加していますね。


瀧田:はい。今まで一緒にバンドをやってきた人たち、今もセッションをよくやっている仲間が集まってくれました。やっぱり「誰に頼めば、この曲をより良くしてくれるか」っていうのが、気心が知れている分イメージが湧きやすいんですよね。


ーーアルバム収録曲は、すべて今回のための書き下ろしですか?


瀧田:「FAIRY TOUCH」と「THE RING OF PRAYER」は、GRANRODEOのライブの「ソロコーナー」のために作った曲です。それ以外は書き下ろしですね。


ーーアルバムを作る上でこだわったことは?


瀧田:単にテクニックをひけらかすものにはしたくなかったですね。普通に聴けるアルバムにしたかった。それと、メロディパートをギターや鍵盤に任せるのではなく、自分でベースを演奏して世界観を作りたいなとは思いました。しかも聞きやすく、しかもロックな作品になったらいいなと。アルバム制作のお話を頂いたとき、前述の2曲を軸にアルバムを構成しようと思ったんですよ。Ark Stormで経験した様式美...「ネオクラシカルロック」につながるような、ダークな世界観を打ち出して。


ーーベースでメロディパートを演奏していますが、これは6弦ベースだからこそできる演奏ですね。


瀧田:今回のアルバムでは、6弦ベースを使っている意味をいろいろ考えました。そういう意味では「メロディ楽器」としてのベースの役割にフォーカスしたアルバムになったと思います。


ーー中盤に登場する「GRAND CIRCLE」と「EXPLORER」の、ベースのソロ回しが本作のハイライトかと。まるで「ベーシストによる天下一武道会」みたいです (笑)。


瀧田:(笑)。特に「GRAND CIRCLE」は、MASAKI 、IKUO、僕、それから「PSYCHO DAZE BASSベーシストオーデション」で最優秀賞を獲得した、中二のベーシスト吉中美夕の4人でソロを回していますからね。


ーーまさに、世代間の「バトル」でもあるし、次世代にワザを託す「リレー」のイメージもあるなと思いました。それからGRANRODEOのKISHOWさんが歌う「THE NEXT STAGE」も、本作の聞きどころの一つですよね。


瀧田:そうですね。やっぱりライブの回数もツアーの本数も、僕の人生の中でもっとも多いのがGRANRODEOですし。そういう意味で、ぜひKISHOWと一緒にやりたいと思ってオファーしました。純粋に彼の歌声が好きだし、僕の中のヘヴィメタルの要素を全開にして、GRANRODEOよりもさらにコアなメタルを彼に歌わせたらどうなるだろう?っていう興味があったんです(笑)。きっと、GRANRODEOのファンが聞いても楽しんでもらえると思いますね。


ーーでは最後に、今後の展望をお聞かせください。


瀧田:ベースって、メロディ楽器でもあるし、リズム楽器でもある。両方の役割を兼ね備えた楽器だと思うんですよね。さっきも言ったように、今回は特にメロディ楽器としてのベースの魅力を最大限フィーチャーしたので、そこを楽しんでもらえたら嬉しいです。まだまだ可能性はあると思うし、そこをこれからも切り開いていきたいですね。


(取材・文=黒田隆憲)