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現代にふさわしい“悲鳴”をどう作るか? Netflixオリジナルドラマ『スクリーム』の挑戦

2015年12月24日 11:01  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)Netflix. All Rights Reserved.

 その歪んだ顔のマスクをご存知の方も多いだろう。96年公開され世界的に大ヒットしたホラー映画『スクリーム』。劇中人物らがホラージャンルの定番パターンを紹介・批評していく中で展開する大胆なメタフィクション性が売りとなりシリーズ化もされた。監督を務めたのは今年8月30日に惜しむらく亡くなったウェス・クレイヴン、70年代から独創的なホラー映画を放ち続けた巨匠である。


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 そんな映画版から約20年、次なる“悲鳴”を作り出さんとするNetflixオリジナルドラマ『スクリーム』。その実態はいかなるものなのか。


 レイクウッドという町で美しい女子高生ニーナが惨殺される。その手口はかつて起きた猟奇殺人事件を彷彿とさせ、犯人であったブライアン・ジョーンズの影響がささやかれる。以降、主人公エマが通う高校を中心に事件が連続し、高校生らの隠された秘密も明らかになっていく…というのが基本のストーリー。映画版の設定を引き継いでいるが、丁寧な解説が行われるので初見の方でも特にギャップを感じず観ることができるだろう。今回はメタホラー性も薄れて、より正攻法な学園ミステリーとして出来上がっている。
 
 また本作では、単にスプラッター描写の残虐性によって恐怖を生むのでなく、キャラクターそれぞれに内在する悪意や秘密が重要視され、それらはSNSや動画配信というツールを利用して表出される。あるレズビアンのキャラクターの情事を盗撮した動画が投稿されるシーンでエピソード1が幕を開けることからも明らかなように、本作で鍵となるのは「プライバシー」であり、それがいとも容易く侵略可能な現代社会を告発する側面をもっている。劇中に「InstagramやFacebookでは完璧な笑顔や生活を公開しているが、私は君の真実を知っている」というセリフがあるが、こうした現代の日常生活への批評が具体的に行われ、スマートフォン・PC・ビデオカメラ、それらがナイフと同等もしくはそれ以上の鋭さをもってキャラクターたちに襲いかかる。


 プライバシーを暴かれ公にされることは社会的な死に直結する。いつの世もセレブリティたちはそんな被害に遭うことが常だったが、我々誰もがその危険性を秘めている現代ゆえ、リアルな恐ろしさがある。それはなにも被害者になる可能性だけでない。たいした罪の意識なく、インターネット上の動画や写真を閲覧、拡散することによって見ず知らずの他人を死にまで追い込んでしまう。我々はそんな加害者の1人にもなりうるということも、本作では暗示される。このような現代社会批判をミステリーホラー形式と巧く噛み合わせることでドラマとしてのクオリティが高められているのだ。


 ところで、ホラーとは時流にともない最も革新を余儀なくされるジャンルである。人の恐怖の根源は不変であれ、観客は常にどこかしら「新しさ」を期待する。近年でいえば、手持ちキャメラによるPOV撮影、ドキュメンタリー的な演出、はては3Dで飛び出す、などが思い浮かぶが、それらも定着してしまい、作品数こそ膨大だが、現状のホラー映画が抱える閉塞感は否定できない。ただ90年代初期もまた同様の状況であり、それを打破したのが映画版『スクリーム』だったのである。


 ではこうした観点から、ドラマ版『スクリーム』は「新たな」ホラーと言えるのか。先述した現代的モチーフの活用はあるにせよ、そうとは言いがたい。むしろオーソドックスなストーリーや堅実な演出は「懐かしく」すらある。だがこの点にこそ、本ドラマの真価があるのではないか。


 かつて毎週テレビには『13日の金曜日』のジェイソン、『エルム街の悪夢』のフレディ、そして『スクリーム』のゴーストフェイスたちが現れ人々を怯えさせていた。同時にそれらは完全な娯楽でもあった。そんな幸福な空気が90年代末にはまだ漂っていたのだ。しかし今はどうだろう。いつからかホラー映画は現実に起きる凄惨な事件の要因として危険物のように取り扱われることもあり、ずいぶんと大衆の日常から遠ざかったように思われる。


 だからこそまた1度、あの恐怖と喜びがともにあったあの夜の“悲鳴”を響かせたい。ドラマ版でも総指揮を務めていたウェス・クレイヴン監督を筆頭にした製作陣の想いが、このNetflixオリジナルドラマ『スクリーム』には感じられるのだ。その結実として本作は好評を博しシーズン2の製作も決定している。ホラーファンのみならず、多くの視聴者が楽しめる良質なドラマである。


(文=嶋田一)