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『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』が、ヴィンテージ風の仕上がりとなった理由

2015年12月24日 11:01  リアルサウンド

リアルサウンド

 「スター・ウォーズ」は、1977年の本国での第一作公開以来、娯楽性の高さから、世界中で多くのファンを生み出し、その影響は映画界のみならず、様々な分野へと波及している。今までに、ルーク・スカイウォーカーとダース・ベイダーの戦いを描いた「旧三部作」、将来を嘱望されたジェダイ、アナキンがフォースの暗黒面に堕ちるまでの過去の時代を描いた「新三部作(プリクエル・トリロジー)」という、計6作品が作られてきた。


参考:まさに「ピープル with J.J.エイブラムス」 これぞ、みんなが観たかった『スター・ウォーズ』だ!


 今回の7作目は、旧三部作の30年後を舞台にしたものとなる。物語は、砂漠の惑星ジャクーで廃品を回収しながら生計を立てている孤独な少女と、脱走したストームトルーパー、フィンが、力を合わせて、再び銀河の覇権を握ろうとする帝国軍の残党勢力「ファースト・オーダー」と戦い、新たなフォースの暗黒面の使い手、カイロ・レンと対峙するというものだ。


 本作「フォースの覚醒」で驚かされるのは、とにかく旧三部作の雰囲気を、そのまま蘇らせることに力が注がれているということだろう。旧作を意識した美術、アナログフィルムでの撮影、そして、過去の出演者の活躍。セルフパロディや往年のファンへの目配せなど、もしも旧三部作が、仮に「スター・ウォーズ」というひとつの映画作品であるとしたら、まさに本作は、その後すぐに作られた、「スター・ウォーズ2」といえるようなものになっているのである。


 しかし、なぜ今の時代に、このようなヴィンテージ風の「スター・ウォーズ」を完成させたのだろうか。今回は、この謎を追っていきながら、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』の本質に迫っていきたい。


■「スター・ウォーズ」は、何故ファンを熱狂させ苦しめたのか


 「スター・ウォーズ」シリーズの成功の理由は、「過剰なまでの娯楽表現」に尽きるだろう。宇宙空間や、個性的な惑星、巨大な基地を舞台に、無声映画時代のSF映画『メトロポリス』を想起させる壮大なヴィジュアルと、かつて世界を熱狂させたジョン・フォード監督の西部劇、そして黒澤明監督の娯楽時代劇の剣戟などを融合するという荒唐無稽な試み、さらに戦闘機やレーザー光線が乱れ飛び、有象無象のクリーチャーが闊歩する、エキセントリックな映画青年・ジョージ・ルーカス監督の創造する妄想世界が、映画オタクによる「娯楽映画の権化」ともいえる大衆的映画作品として結実したのだ。さらに特撮、音響、メカニックデザインなど、野心的なクリエイターと協力しながら柔軟な発想で、数え切れないほどの技術革新を達成しながら、誰も見たことのない圧倒的表現を達成したのである。旧三部作は、映画史における未曾有の人気シリーズとなり、「スター・ウォーズは私の生きる意味そのもの」などと言うほどの熱狂的ファンも生まれたのである。


 しかし、旧三部作の終了から、当初からの構想にあったという「新三部作」が製作されるまでは、16年の歳月を要することになった。これは、CG技術の発達により、新三部作で描かれるはずの大規模な戦争シーンの撮影がやっと実現できるという、ジョージ・ルーカス監督の個人的判断があったためだ。ルーカス監督は20世紀フォックスとの交渉で、報酬と引き換えに「続編制作権」や「グッズ販売の権利」などを獲得していたのだ。こうして、ひとつの人気映画シリーズが、異例なかたちで、ルーカス個人の意志に委ねられることになった。このことで、ファンは続編を望みながらも漠然と何年も待ち続けるという虚無感に、長年苛まれることになったのだ。


 だがこの選択は、ルーカスが金を儲けたいというよりは、映像作家として、映画会社の権力から脱し、好き勝手に映画作りをしたいという願望からだった。だからルーカスは、1作目で得た利益を、そのまま次作へ投入したり、自身のスタジオに投資するというような、映画作品を愛する資金の運用を行っている。しかし、『THX 1138』、『アメリカン・グラフィティ』という、才能あふれる映画を過去に撮り上げているルーカスは、「スター・ウォーズ」に関わって以降、このシリーズ以外の映画に、映画監督として関わることをやめてしまうことになる。


■ルーカスとファンの、食い違う想い


 ルーカスが監督する新三部作が公開されたとき、旧三部作のような作品を心待ちにしていたファンの中には、失望を味わった者が数多くいたという。もともと一連の作品は、ダース・ベイダーと帝国軍の誕生までの、政治的な陰謀劇を中心としており、比較的地味なシリーズになるだろうことは、監督自身も明言していた。


 もちろん、この新三部作で、新しいファンも生まれていて、ここからシリーズに触れた世代は、旧三部作ほどの熱狂はないにしても、好意的な意見が多く、作品をののしるような観客は稀であろう。しかし旧作ファンは、とにかく悪口を言いまくった。『フォースの覚醒』にも出演している旧作のファン、サイモン・ペッグのように、新キャラ、ジャー・ジャー・ビンクスの罵倒ネタを披露するなど、新三部作を批判することで「スター・ウォーズ」への愛を表現するなど、ファンとルーカスの間に、愛憎渦巻く屈折した関係が生まれ始めたのだ。それは逆に、「スター・ウォーズ」という作品が持つ絶大な影響力の証明ともなっている。


 旧三部作、新三部作ともに、ルーカスの人生の反映であることは、よく指摘されてきた。車の改造にしか喜びのなかった、ルーカス自身の、田舎の若者の青春は、ルークの成功譚と、アナキンの成功譚として表現されている。そして、その成功の先にある悲劇を描いた新三部作は、ルーカス自身も言及するように、あまりに破格の経済的成功のために、ひとりの映像作家としては身を持ち崩してしまったという悔恨の想いが、ダース・ベイダーという人物として投影されている。だから新三部作は、より深い実感と感動が与えられる、内容のある作品となっている。


 だが往年のファンの多くは、そのような「内容」を求めていたわけでなかった。彼らは、ルーカスの作家性ではなく、娯楽の権化たる「スター・ウォーズ」の、「よくある続編」こそを求めていたのだ。新しい、作家が主体となる作品づくりを推し進めてきたルーカスにとって、これは残酷な事実だ。


■ファンによるファンのための『スター・ウォーズ』


 2012年、ディズニーがルーカスフィルムを40億ドルで買収したニュースに、ファンは驚愕した。すでに複数のTVチャンネルや、ピクサー、マーベルを手中に収めているメディア界の「帝国」が、「スター・ウォーズ」や「インディー・ジョーンズ」シリーズなどの制作権や、グッズ販売権を獲得したのである。もちろんディズニーは、すぐに新作映画の制作に着手した。TVドラマの演出、「ミッション・インポッシブル」や「スタートレック」など、シリーズ作品のヒットに実績のあるJ・J・エイブラムス監督を抜擢したのである。自身も公言するとおり、エイブラムスは『スター・ウォーズ』シリーズの大ファンであり、しかも、本作の内容から痛いほど分かるように、典型的な旧三部作の原理主義的ファンであろう。映画オタクが『スター・ウォーズ』を作るという時代から、もはや、『スター・ウォーズ』オタクが『スター・ウォーズ』を作るという時代になったのである。


 本作で、メイン・キャラクターに廃品回収業の女性、その相棒にアフリカ系の役者を配し、様々な人種のキャストを採用するなど、近年のハリウッドで顕著になってきた、新しいグローバル的価値観を適用していることは、好意的に捉えるべきであろう。ルーカスの新三部作がいまいちカタルシスを与えなかった理由のひとつに、主人公達があまりにも超人過ぎるために、感情移入しにくいという点があった。この対策として脱走兵フィンという、今までになく平凡で善良な男を配置している。あるキャラクターはフィンを見て「お前の目は、逃げたがっている目だ」と指摘するが、これはファンの圧力から逃げたがっているエイブラムス監督の心情の投影でもあるだろう。そして、あたかもバトンを次に渡すように演出されたラストシーンは、重責からやっと逃れられた解放感に満ちているようにも見え、興味深い。


 ディズニーが今後展開を予定している、スピンオフを含めた今後の「スター・ウォーズ」シリーズの先陣を切る本作は、絶対に失敗してはならない企画のはずだ。とくに、多くの旧作ファンがそっぽを向いた「エピソード1」と同じ轍を踏むことは避けなければならない。だから、作品内でしつこいほど旧三部作との接点を強調し、惜しげもなく旧三部作の名シーンを使い潰すかのように、模倣的な要素を怒涛のように連発するのである。つまりこれは、ファンに宛てた壮大な「プロモーション・フィルム」であり、かつ「ファンの逆襲」を後押しするものだ。そして、「我々はあなたたちの望みをちゃんと分かっている」と伝えてくるのだ。それはまた、暗に、ルーカスによる新三部作のアプローチが、ファンの心情を無視した作品であることを一部認めたことを意味するだろう。「スター・ウォーズ」は、今や、ルーカスという映像作家の意向に左右される作品から、ファンの好みによって柔軟な対応をする作品へと変貌したのだ。結果的に、かなりのファンが喜んでいることから、このディズニーの作戦は成功しているといえる。


 だが本作は、ひとつの独立した映画作品として評価しづらいことも事実だ。前述のような作品の特性から、意識的ではあるものの、旧作の魅力に依存するものになっているからである。多くの続編作品同様に、縮小再生産になることを防ぐため、次作からは、ルーカスが成し遂げてきたような「独特で」「創造的な」要素を追加することを強いられるはずだ。そこからが、ディズニーの「スター・ウォーズ」の本当の勝負になるだろう。(小野寺系(k.onodera))