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石野卓球とピエール瀧が明かす、電気グルーヴの四半世紀「『N.O.』は今歌っても恥ずかしくない」

2015年12月21日 18:41  リアルサウンド

リアルサウンド

(C)2015 DENKI GROOVE THE MOVIE? PROJECT

 テレビやラジオや各雑誌やウェブ等のメディア、それも朝のワイドショーや『SMAP×SMAP』にも出演するなど、ドキュメンタリー映画『DENKI GROOVE THE MOVIE? -石野卓球とピエール瀧-』の公開が、ファンを超えたスケールで注目を集めている電気グルーヴ。1989年の結成から2014年のフジ・ロック・フェスティバル出演&ライジング・サン・ロック・フェス出演&ツアー「塗糞祭」まで、25年分の膨大な映像を2時間弱にまとめて電気の歴史を描いたのは、『モテキ』『バクマン。』などのヒット作も、『恋の渦』のようなカルトな傑作も同時に生みつつ活躍中の「東洋一メジャーとアンダーグラウンドの境目のない監督」大根仁。電気に出会ったことで自分の人生が変わってしまったことを自覚しているような濃くしつこいファンが観れば「ズレてない」「わかってる」「でもうっとうしくない」大根監督のセンスにヒザを打つだろうし、逆に「俳優のピエール瀧がやっているバンド」くらいの認識でこの映画に触れた人なら「え、こんなすごい人たちだったの?」とびっくりするだろう。つまり、理想的な電気グルーヴの映画に仕上がっている、ということだ。以下、石野卓球とピエール瀧に、この映画のこと、電気の歴史のこと、そして今後のことまでも含めて訊いた。


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■「時代背景とかを説明しなくてもすむ監督っていうのは、話が早くていいかなと」(瀧)


──そもそも映画を作ろうって言いだしたのは、石野さんだったときいたんですけども。


石野卓球(以下、石野):いや、それ、当たってて当たってないというか。そもそも、うちを掃除した時に、ダンボール箱3つ分のVHSテープが出てきたんですよ。それこそ、高校生の頃の人生のライブとか、今回の映画に入ってる初期の電気グルーヴのライブとか、あとテレビに出た時のやつとか、そういうのが山ほどあって、「これ、どうしよう?」って。自分で持ってても家でVHS再生できないし、「これ、デジタル・アーカイヴにするか何かしてよ、もう好きにしていいから」って事務所に持って行ったんですね、じゃまだし。その時に冗談で「映画でも作ったら?」って言ったら……まさか作るとは思ってなかったから。そしたら(マネージャーが)「作りましょう」って言いだして、「じゃあドキュメントでも作ったら、DVDかなんかで」って言ったら、「いや、映画で!」って。それで監督が決まり、ほんとに映画として作ることになって。ミニシアターのレイトショーで2回ぐらいやって、「劇場でやったでしょ? だから映画! はい、DVD発売!」っていうぐらいのもんだと思ったら、意外にちゃんとやるんだな、って驚いてる次第でございます。


──監督を大根仁さんにお願いしたのは?


石野:大根さん、友達として知ってたから。大根さん、川辺(ヒロシ)くんと仲いいじゃない? そっちで知ってて。あと大根さんのテレビ、『美しい男性!』(2009年にBS JAPANで放映されたバラエティ番組。松尾スズキが企画・構成・総合演出、大根仁はディレクターを務め、構成で天久聖一等も参加)は観てた。あれが唯一の、俺の中での大根ワークス(笑)。あと、『湯けむりスナイパー』(2009年にテレビ東京系で放映された深夜ドラマ。大根仁が脚本・演出、主演は遠藤憲一で)も観た。だから、どういう映画を撮る人なのかというより、大根さんなら大丈夫だろう、っていう。あと、説明しなくていいじゃないですか、同じ時代の空気を吸って生きてきた人だから。ウチらに「この頃はどうでした?」とかきかなくてよくて、「この頃はこうだった」っていう視点で編集してくれるだろうから。


──瀧さんは『モテキ』に出ておられますが。


ピエール瀧 (以下、瀧):出てる。まあでも、80年代後半の人生から電気になって十三ファンダンゴでライブをやってる頃とか、90年代初頭の感じとかの時代背景もわかってるだろうし。電気グルーヴのことも見てきて知ってるだろうし、(TOKYO No.1)SOULSETとかスチャ(ダラパー)とかの身近な連中を通して知ってるところもあるだろうし。そういうところで、時代背景とかを説明し始めるとどんどんブレていくというか、「この頃はこういう時代で、こういうものがあったよ」とか説明しなくてもすむ監督っていうのは、話が早くていいかなと。で、ウチらもインタビューに応えてるわけじゃないんで、客観性が必要じゃないですか。そういういろんなところから答えを弾き出すと、大根さんがいいんじゃないかな、という。


■「ドキュメントを自分たちで作ることほど、ヤバいことないじゃない?」(瀧)


──元メンバーやスタッフはインタビューに応えているけど、おふたりはなし、というのは、大根監督が考えたことですか?


石野:大根さん。まあ、最初に「好きにやって」って言った時点で、「こいつら応える気ねえな」と思ったんじゃない?


──そうやって大根監督にまかせて、できあがったものを観て、いかがでした?


瀧:うーん、まあ、そんなにほら、大根さんなりの思いとか、大根さんなりのまとめかたみたいなものが、色濃く出てるわけじゃないじゃん。時系列でどんどん進んでいくし、その途中にパーソナリティーを紹介するアホみたいなムービーがはさまっていくっていう……シリアスだけでもなく、コミカルだけでもなく、っていうバランスの分量だったりとか、そういうところが大根さんカラーなんだと思うんだけど。それはその程度にしてあって、大根さんなりの思いがあまり入ってないのが、うまくまとまった理由なのかなと。ウチらもインタビューに応えちゃうと、「この時のこれはこういうことだった」とか、そういうのが出ちゃうじゃん。この映画は、そうやって正解を探しながら観るものではないだろうし。電気と同じ時期に成長していった人たちにしてみたら、当時が思い出されたりすることもあるだろうし、そこに「観てこう感じるのがしかるべき反応である」みたいな正解って必要なかったりするでしょ。


石野:もしこれに本人たちのインタビューも入ってたら、NHKのドキュメントっていうかさ(2009年にNHK BS2で放送された『電気グルーヴ 20周年ライブ&アンソロジー』)。そういう感じになるんじゃない?


瀧:インタビューで自分なりの見解を入れるってことは、「今、こういうふうに見られたいから、こういう感じでまとめてくんねえかな」みたいなのが出ちゃうと思うから。ドキュメントを自分たちで作ることほど、ヤバいことないじゃない?


──でもあのNHKのドキュメント、すごくいい番組でしたよ。「これ、電気に愛と理解のある人が作ってるなあ」ってわかる内容で。


石野:でもあれ、恥ずかしい。今回のこの映画だって恥ずかしいんだもん。NHKの時はさ、自分たちで語らなきゃいけなかったのはわかるし、あれはテレビだったからまだいいけど、今回は映画だから残るものじゃない? うちらにインタビューとかしなくて大正解。ふざけててもまじめでもヤベえっていうか。……あ、でも、さっき気づいたんだけど、この映画ってね、ピエール瀧っていう役者の映画っていう、二次災害?


瀧:(笑)二次災害じゃない。副産物?


石野:二毛作(笑)。っていうのもあるよね。


■「テツandトモになった。『なんでだろう』やりに来ましたよ、っていう」(石野)


──大根監督はこの映画を、2014年のフジロック・フェスティバルのグリーン・ステージでのライブを軸にして構成してるじゃないですか。あのライブっておふたりとも手応えありました?


瀧:よかった気がする。楽しかったよ。


石野:ツアーのちょっと前で、そのツアーを凝縮したような感じだったの、ステージセットも内容も。その前のフジのライブの映像も入ってるけど……久しぶりにライブやった、(サポートメンバーで)KAGAMIがいた時ね(2006年)。あの時は、期待を背負ってるというか、自分たちもまだぎこちないというか。緊張してんだよね。


瀧:2006年の時は、それまで活動休止してて、まだ助走期間の頃にいきなりグリーン・ステージを任されて、出すものが明確でないままやらなくちゃいけない、でもなんとか期待には応えなきゃいけない、っていう。2014年の時はそういう不安はなくて、それまでのフェスで仕上げたあとにドーン!っていうライブだったから。


石野:楽しんでやれたよね。


──その2006年の時って、初めて、過去の代表曲やヒット曲を並べたライブでしたよね。それまで電気はそういうライブをやらなかったので、びっくりしたのを憶えてます。


石野:何か考えてそうしたわけじゃないけど、それはやらないのは「BLUE MONDAY」をやんないNEW ORDERみたいなさ。そこで新しい機軸を見せるんじゃなくて、きみたちの伝統芸能を期待して呼ばれてるんだから、それに応えなさいよ、っていう。


瀧:あとフェスは、自分たちの考えを述べる場というよりは、その場に集まってるお客さんたちの1時間なら1時間を楽しませる、っていうようなところがあるだろうから。


──でも、2006年以前、活動休止までは、そういうライブはやらなかったですよね。


石野:その時は、そういう曲よりも、見せたいこととやりたいことがあったから。ダンス・ミュージックの部分をもっと出したかったから、そこに昔の曲が入り込む余地がなかっただけ。でも、そういう実験はある程度の答えが出たから、じゃあもうみんなが望んでるものをやりましょう──そうなったね。テツandトモになった。「『なんでだろう』やりに来ましたよ、っていう。


瀧:「ダメよーダメダメ」をやんない感じっていうか、「それだけじゃないんだぞ」っていう感じ、あるじゃない? プライドみたいな。そういうところを探ってた時期もあったけど、それは90年代後半から00年代の頭で一回落ち着いて。活動休止をはさんでまた出て行く時に、自己紹介じゃないけど、「電気グルーヴ、こういうものです」っていうので、そういうライブをやるようになったのかもしれないね。


■「『N.O.』は四半世紀前に作った曲だけど、今歌っても恥ずかしいと思うとこ、照れくさいと思うとこが一ヵ所もない」(石野)


──あとこの映画は、「N.O.」も構成の軸になっていますよね。サントラ盤(『DENKI GROOVE THE MOVIE? ‐THE MUSIC SELECTION‐』12月23日リリース)には、新録の「N.O.」が収録されると──。


瀧:まあ俺が観てて思ったのは、この映画の中の、十三ファンダンゴの初めてのライブの映像でも「N.O.」やってるし、いまだにやってるじゃない? 最近やってる曲のラインナップの中でもいちばん古い曲でもあるし、フェスのあの場面でやってもサマになるし、小さいハコでやってもサマになるじゃない? っていうところなんだと思う。長くやってる楽曲っていうとこもあるだろうし、体験から作った曲でもあるから嘘がない、っていうところもあるから、ちょうどいい感じなんじゃないかな。


石野:まるで自分が作った曲のように。作詞作曲、俺だからね?


瀧:そうだよ?


石野:(笑)。


瀧:そうだよ? おまえの曲だよ?


石野:でもさ、1回目のライブでやってて、いまだにやってる曲ってあの曲だけでしょ? 「電気ビリビリ」はあの時まだないでしょ。


瀧:だから、そう、この映画のみっちゃん(中山道彦・SMA代表取締役)のインタビューでも言ってるけど、楽曲としても強いものがある、っていうのは、当初からみんな思ってたわけ。で、それのリリースまでの紆余曲折もあったりして。でも、そういういろんな出来事に負けない感じがあるじゃない、あの曲って。いつ歌っても形になるし。っていうところと、なんだかんだ言っていまだにやってる電気グルーヴ、っていうところが、かぶって見えたんじゃない? 大根さんは。


石野:四半世紀ぐらい前に作った曲じゃない? 25年ぐらい経ってて……ほかの曲って作った時と気分が違ってたり、あと「若えな」とか「幼いな」って恥ずかしかったりするんだけど、それ、この曲はないんだよね。この前も新録するので歌ってみたら、恥ずかしいと思うとこ、照れくさいと思うとこが、まったく一ヵ所もなくて……あ、でも、ハンバート ハンバートっているじゃない? 彼らが「N.O.」をカバーしてるのをYoutubeで観て。一ヵ所だけ歌詞を変えてたのね(「思う脳ミソ ホントはネガティブ」を「思う頭はホントはネガティブ」に変えている)。「あ、そっちのほうがいいな」と思って(笑)、そっちに変えて歌ってみたんだけど、25年歌い慣れてるから、やっぱ違う歌詞だと歌えなくて、結局元に戻して。で、歌ってて「なんで恥ずかしくないんだろうな?」って思ったら……若くておカネなかった頃に作った歌だから、ああいう歌詞だし。でも今はカーテンもあるし、花ビンも4つぐらいあるし。でも嘘がないし、そういう普遍的なところがあるから恥ずかしくないんだろうな、っていうのを、歌いながらつくづく思ったんですよ。結成してすぐの頃、クリスマスの日にデモテープを録ろうって……この曲と「電気ビリビリ」ができて。


瀧:うん、電話かかってきて。


石野:な。「すごい曲ができた、録るから来てくれ」って──その時に言ってたすごい曲っていうのは「電気ビリビリ」なんだけど。こいつがこれから彼女とどっかに遊びに行こうって時に電話して、しぶしぶ現れて、「歌ってくれ」って「電気ビリビリ」を録って。そのデモテープが足がかりになって、広がっていくことになるんだけど……そのテープを当時の瀧の彼女が聴いてさ、「この『N.O.』って曲がすごい」って。自分ではわかんなかったのよ。その頃はヒップホップとかのほうに行こうとしてたから、どっちかというとフォークソング的な色合いが濃い曲だから。自分ではあんまり新機軸って感じではなかったんだけど、その子が「この曲は哲学だよ」って言ってて。何のこと言ってんのかさっぱりわかんなかったんだ。「さっさとクリスマスパーティーに行きてえんだな」と思って。


瀧:トンガリ帽子で現れてるからさ(笑)。


石野:でもそれはすごく憶えてる。


瀧:「N.O.」ってスタイルじゃないじゃん? その時の気分だったりスタイルじゃなくて、むき出しだし、本音の部分だから。しかも、最初っから今までずっとある、電気と共に歩んだ曲ってことじゃん。そこの部分で、すごく芯が強いものがあるんだろうね。だって、ライブとかやってて──こいつが歌ってて俺まったく歌わない曲だけど、自分の曲って感じもちょっとあるもん、だって。


石野:だからさっきみたいに、自分が書いた曲みたいなことを(笑)。しかも五線譜使って書いたみたいな。


瀧:「この曲をひらめいた時に──」。


石野:「この曲を初めて卓球に聴かせた時──」。


瀧:「あいつの目の色が変わったんだ」。


石野:(笑)。


瀧:「憎しみで」だって(笑)。


石野:「それ俺の曲じゃねえか!」。


瀧:「つかみかかってきたのだ」。


石野:既成事実として自分のものにしようとしている瞬間。でかいものほど逆に万引きで捕まらない、堂々とレジを通るっていう(笑)。でもね、この間のレコーディングの時も──ボーカルトレーニングもしてなきゃカラオケも行かないしさ、なんの日常的な喉のケアもしてないんだけど、歌ったらいまだにオリジナルのキーで歌えてさ。最近あとでピッチ直したりするじゃない? 普通歳とってくるとさ、半音ぐらい低くなっていくんだけど、俺は半音ぐらい高く歌ってて(笑)。恥ずかしいのと誇らしいのと、複雑な心境。だからもう歌いません(笑)。


■「『やめるって言うんじゃねえかな』っていう素振りを見せて、『やめるやめる詐欺』をしてた」(石野)


──電気が活動休止をしていた時どう思っていたかという質問に対して、中山さんも、山崎(洋一郎)さん(ロッキング・オン・ジャパン総編集長/ロッキング・オン編集長)も、マネージャー道下(善之)さんも、「いつか再始動するはず」とは思ってなかったという。特に山崎さんと道下さんは「これで終わりなんだろうなあ」と。


瀧:ああ。たぶん、『VOXXX』の内容に対して、その人たちが整理がついてなかったんじゃないかな。みっちゃんも「出し尽くした感がある」って言ってたけど、あのアルバムに客観的に接することができなかったんじゃないかな、当時。あのアルバムを整理しないと次には行けないんだけど、それを整理するにあたっての指針やデータが自分の中にあまりにもなさすぎるんで、そのまま空中分解しちゃうのかな、と思ってたんじゃないかな。これを踏まえて次のステップ、っていう時に、どの位置にステップしたらいいのか、みんな思いつかなかったんじゃないかな。


──おふたり的には、当時は?


石野:やめるつもりはなくて。「やめるって言うんじゃねえかな」っていう素振りを見せて、「やめるやめる詐欺」をしてた(笑)。大仁田厚の10回目の引退試合みたいな感じ。


瀧:やめる気はなかったね。


石野:でもそうすると、みんな注目してくれるから(笑)。


──その休止状態から、エンジンがかかりそうなる、かからない、またかかりそうになる、やっとかかった──っていう時期が、この映画のヤマになってますよね。


石野:そのきっかけを作ったのはケラさんでしょ、やっぱり。


──そうですよね(2007年にケラリーノ・サンドロヴィッチ監督で大槻ケンヂの小説『グミ・チョコレート・パイン』を映画化、電気に主題歌を依頼。電気は「少年ヤング」を書き下ろした)。


瀧:『VOXXX』を出したあとに、自分たち発信で次の何かを探して「ここだ!」っていうところを見つけて始めるのは、なかなか腰を上げにくいところがあった中、「こういうのを作ってくれ」ってオーダーがきた、縛りがあるところからスタートできた、っていうのは大きかったと思うけどね。360度どこに足を踏み出してもいい状態じゃなくて「ここからここの間に踏み出してください」っていうところだったから、それが指針になって、ほかの曲もどんどんできていった、っていうところもあるとは思うし。シンコ(スチャダラパー)がこの映画の中で、「その頃は誰か死ぬんじゃないかっていうような時期だった」って言ってたけど……同じようなバンドの連中が10何年やってて行き詰まりを迎えてて、でもうちらはバンドを止めて、各々で活動することができたので、それに対して早く手を打てた、ってことなんじゃないかと思うけどね。当時、理路整然とそう考えてたわけじゃないけど、それはなんとなく感覚でわかってたんだと思う。


■「大根さんが撮ってるのは、オフィシャル感がまったくないから」(石野)


──この映画、「石野卓球とピエール瀧」っていうサブタイトルがついていますよね。この副題だけ見ると相棒っぽい感じがしますけども、それは抵抗ないですか?


石野:いや、なんとも思わないけど。


──まあ間違いなく相棒ではあると思うんですけど、電気ってふたりで始めたわけじゃないですよね。最初は4人だったし、デビュー前後はCMJKがいたし、その後はまりんがいたし。まりんがやめた時に、誰か入れようとは思いませんでした?


石野:誰か入れようっていうのはなかったね。このふたりがいて、プラス誰かがいてバランスをとるっていうことが、このふたりの間にもう必要なくなったんだと思う。


瀧:メンバーとしてやっていくには、やっぱりそれなりの腹づもりとキャラクターが必要じゃん。そんな奴がいるとも思えなかったんじゃない?


石野:同じぐらいのキャリアでメンバーとして入るんならまだいいけど、今サポートしてくれてる牛尾(憲輔/agraph)くらい若いと、まずそこをフックアップして、っていうところからしなきゃいけないし。それは電気グルーヴの仕事じゃない、って気がするから。だからどう考えてもなかったよね、誰か入れるのは。あとは、俺がやめておまえ(瀧)がひとりで電気グルーヴを引き継ぐっていう。


瀧:「おまえがひとりで電気グルーヴでいいじゃん」的なね(笑)。


──それ、休止してた頃におっしゃってましたよね。でも、そのおふたりの関係性がこの映画の中でも……大根監督、おふたりがじゃれてるシーンをいくつも残してるんですよね。「塗糞祭」のリハでふたりでゲラゲラ笑ってるところとか。これだけ膨大な素材があると、カットしちゃいそうなとこだけども、ここを入れないと電気を描いたことにならない、というのをわかってるなあ、さすがだなあと。


石野:あの人、そこにいてカメラを回してても、その場になじむっていうか。前に密着とかの撮影もあったけど、やっぱり撮られてるのをこっちも気にしちゃうのよ。だから、あそこまでゲラゲラ笑ったりできないんだよね。オフィシャル感が出るっていうか。大根さんが撮ってるのは、オフィシャル感がまったくないから。


瀧:ただ回してるっていう。


石野:普通は仕事で撮影に来てる感じだけど、大根さんは友達が来ていて、そいつがカメラを回してるっていう感覚だからじゃないかな、気にしないですむのは。たまたま友達がハンディカム持ってるっていう。


瀧:クラブにしろイベントにしろ、いても違和感ない人っているじゃない。ただ遊びに来て、酒を飲んでだべってるだけだけど、いても違和感ない人。その人がたまたま監督だったっていう。


──やっぱり正しい人選だったんですね。


石野:うん。正直、最初は「大根さんがいいかな」っていう軽い感じだったけど、今映画ができてから「じゃあほかに誰かいたのか?」って考えると、いないですね。


──電気ってこの映画があって、映画のサントラがあって、そのあとはどういう予定なんでしょうか?


石野:活動休止とかではないから。看板は出してるし、フェスとかイベントも、出たいなと思うやつは出てるし。


──新しいフルアルバム、3年近く出てないですけど。


石野:すぐできる。


──ほんとに?


石野:アルバムはすぐできる。っていうかさあ、アルバムは難産しなきゃいけないっていう、ロッキング・オン出身の人たちの悪しき考え?(笑)。アルバムなんていくらでもできますよ、作ろうと思えば。


──いや、何年もできなかった時期も知っているだけに。


石野:なんで今はそう言えるかっていうと、ライブをやってるから、グループとしての筋力が、足並みが揃ってるじゃない? 布陣はできてる、常にエンジンはあったまってる状態にいるんで、だからすぐできる、ってことですよ。(兵庫慎司)