トップへ

マキシマム ザ ホルモン『デカ対デカ』は、“ホルモンと遊ぶ”ための作品である

2015年12月21日 11:41  リアルサウンド

リアルサウンド

マキシマム ザ ホルモン

※この記事には一部「Deka Vs Deka~デカ対デカ~」のネタバレ要素が含まれております。これからご覧になる方はご注意下さい。


 まず、リリース前に、音楽メディア関係者を対象にした視聴会で、マキシマムザ亮君のガイド付きで、スタートアップディスクのゲームを体験した(マキシマム ザ ホルモン映像作品集『Deka Vs Deka~デカ対デカ~』は、そのゲームでパスワードを取得し、他のディスクを見るという仕様になっています)。


 で、後日、作品が発売になってから、改めてひとりでゲームにトライした。「トライした」って、「一回亮君のガイド付きで途中までやったんだろおまえ」という話だが、幸か不幸か、それらの細部を発売後まで憶えていられるような記憶力は僕にはないこともあり、「あの日自分が観た画面へはどこをどうしたら辿り着けるんだろう?」と探しながらのスタートとなる。


 ゲームを始めて数分経った段階で、パスワードをゲットするまでにすさまじい時間と手間がかかるであろうことを悟り、途方もない気持ちになる。基本、亮君の世代ならではの、初期型ファミコンへのオマージュに満ちたビジュアルと内容になっているのだが、「そういう人にとっては簡単なのかもしれないけど、俺ゲームうといし!」と、文句を言いたくなる。「俺、伊集院光のファンだけど、ゲームに関しては共有できないことが長年の悩みなのに!」と、まったく関係ない憤りまで湧いてくる。


 しかし。今さら引くに引けないので延々とゲームを続けているうちに、いつの間にかゲラゲラ笑いながら熱中している……というか、自分が熱中しているという自覚もないまま、のめりこんでいる。で、いつの間にか、メインディスクやブルーレイディスクのことを忘れている。果ては、ある問題をクリアして「次に進む」「もう1回このゲームで遊ぶ」という選択肢が出た時に、「さっきあの正解を選ばなかったらどんな展開になったんだろう?」と気になって、「もう1回このゲームで遊ぶ」をセレクトする始末。


 つまり「クリアしてパスワードを得ること」が目的ではなく、「このゲームの中に入っている要素を隅から隅までを観て知って体験する」ためにゲームを続ける、そういう状態になっている。


 結果、気がついたら最後まで行っていた。「最後まで行くぞ!」という意識はとっくに消えており、「あれ?……あ、これ、最後なんだ?」という感覚だった。


 という体験をして、わかったこと。


 このゲームをクリアすることによって観ることのできる、メインディスクやブルーレイディスク収録の大量の映像は、どれも超おもしろいし、超かっこいいし、超すてきだし、超しょうもないし、超笑えるし、いちいち「こんなことまでやるか?」「こんなレベルまで作りこむか?」だし、超細部に至るまで亮君の「こういうのがいい」ではなく「こうでなきゃダメ」という美意識(と言っていいと思う)に貫かれた、採算も労力も度外視した、本当にものすごいものだ。しかし、今作において本当に画期的なのは、やはり、このゲームの方だったんだなあ、と改めて思う。


 ホルモンとハラペコ諸君は、バンドとファンだ。あたりまえだが、だから両者の間にはステージの上と下という一線が引かれている。ゆえに友達ではないし、音源やライブを通してしか向き合えないし、ましてや一緒に遊ぶことはできない。その一線をなんとかして越えるために、ホルモンはこの作品に収録されている「地獄絵図」シリーズや「MASTER OF TERRITORY」のような特殊なライブを企画してきたし、「全国腹ペコ統一試験」や「ホルモン林間学校」まで行ってきたのだと思う。


 しかし、それを観て楽しむことはできても、「ホルモンと遊べた」わけではない。本当の意味で「ホルモンと遊べた」のは、それらに参加できた人たちだけだ。


 ならば、ライブや音源や映像以外に、なんらかの作品というメディアを通して、それを手にした人たちひとりひとりが「ホルモンと遊ぶ」に限りなく近い体験をできる方法はないだろうか。と、考えた末に生まれたのが、このスタートアップディスクのゲームだったのではないか。だから、このゲームの主人公はCG化されたホルモンの4人で、プレイヤーはあなたで、ホルモンとあなたの5人で亮君の脳内世界に入って、亮君が仕掛けた謎を解いていく、という構成になっているのだ。


 じゃあ、そもそもなぜファンと遊びたいのか。亮君にとって、ファンとはそういう存在だからだ。彼がほかのアーティストと比較すると異常なくらい、ファンに自分の真意を伝えること、ファンに理解されること、ファンと感情を共有することを求める人であることはご存知だろう。そして、求める分、自分からも与える人であることもご存知だろう。 映像作品の方は言うに及ばず、ゲームの中にも亮君の思想や考えや理想などなどが、あちこちにばんばんぶちこまれているのも、つまり、そういうことなのだと思う。


 少なくともこのゲームをやっていた時間、僕は間違いなく、ホルモンの作品に触れていたのではなく、ホルモンと一緒に遊んでいた。で、クタクタになるくらい遊んでから、「あ、一緒に遊んでたわ、俺」ということに気がついた。


 僕は亮君とナヲちゃんとは、親しいというほどではないが、一応面識がある。何度かインタビューをしたこともある。しかし、そのどの瞬間よりもこのゲームの体験のほうが、マキシマム ザ ホルモンと深くコミュニケーションをできた。そんな実感があった。(兵庫慎司)