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AKB48は「アイドル」をどう変えてきたのか? 10年の劇場運営がシーンに与えたものを検証

2015年12月21日 07:01  リアルサウンド

リアルサウンド

AKB48『唇にBe My Baby(Type A 通常盤)』

 AKB48が拠点とする秋葉原のAKB48劇場が10周年を迎え、その記念公演が12月8日に催された。同公演ではグループの草創期を支えた初期メンバーたちも参加し、新旧のメンバーを交えたライブとなった。AKB48のこうしたイベントに特徴的なのは、「過去」を単に思い出の一ページとしてのみ見せるのではなく、現在と過去とを混交させたような提示をしてみせることだ。このような混交は、このグループが持つ“いくつかの特徴”から必然的に生じるものでもある。


 まずはもちろん、10年前に拠点として構えた常設劇場が現在も変わらず稼働しているということの大きさがある。歴代のメンバーが紡いできた足跡が、土地の記憶、空間の記憶として、秋葉原の劇場に積み重なっている。そうした歴史を感じることは、もちろん草創期をリアルタイムで知る者だけの特権ではない。見る者がそれぞれに体験した、あるいは知識として持つ歴史を常に投影できる場としてAKB48劇場はある。また、AKB48のメンバーたちが継承しているのは、シングル表題曲のような単一の楽曲群だけではなく、その劇場でこそ受け取ることのできる、ひとまとまりのストーリーとしての「公演」である。先の10周年記念特別公演では、かつて在籍していた卒業メンバーと、現在劇場を拠点にする現役メンバーとが混ざり合ってライブパフォーマンスを行ない、過去と現在の「公演」を同じ場所で一時に混ぜ合わせてみせた。このように「過去」の再上演ではなく、過去と現在をはっきり区切ることのできないような仕方で振り返らせるのが、AKB48の「歴史」が示される際の特徴でもある。


 このようなイベントで過去を単なる「過去」ではないものとして提示できるのは、何より「アイドル」を10年継続させながら拡大してきたというAKB48のシンプルな、かつ稀有な足跡による。今回のAKB48劇場10周年に際して、「劇場が始まった頃には、ここまで続くことは想像できなかった」という実感が語られることも多い。それは受け手の実感ばかりではないだろう。しかしまた、「いつまで続くのかわからない」という不安定さは、AKB48が今日のように覇権を取ったからといって即座に消えるものでもなかったはずだ。AKB48が世間的に大きなブレイクを果たしたのは、この10年のキャリアのちょうど折り返し、2009~2010年前後に設定できるだろう。2010年、AKB48初のミリオンヒットを記録したシングル『Beginner』がリリースされた頃、当時AKB48所属の秋元才加と宮澤佐江は、AKB48の「解散」の可能性について次のように語っている。


『秋元 それはもちろんあります。今までも、突然チーム替えがあったりしたので、本当に秋元(※康:引用者注)さんは、いつ「解散だ」って言いだすかもわからないですよ。だから、日々悔いが残らないように過ごしたいと思っているんです。
宮澤 じょじょにフェードアウトしていくよりは、パッと「解散!!」ってなっちゃったほうがいい気もするよね。
秋元 秋元さんだったら、やりそう(笑)。でも、本当にパッて終わるか、息が長く続くかは、たぶん秋元さん自身にもわからないんじゃないかな。だから、うちらになんて、わかるわけない(笑)。
宮澤 うん。だからこそ、そうなった時に「じゃあ自分たちはどうするのか?」っていうことは、今からでもちょっとずつ考えとかないといけないのかな、って思います。(「サイゾー」2010年11月号)』


 すでに大きなヒットや有名性を獲得しながら、秋元や宮澤はAKB48がグループとして永続していく姿を前提にしていない。今月16日の『2015FNS歌謡祭THE LIVE』で卒業発表をした宮澤がこの2010年時点で語っていた「そうなった時」とは、自分の意思で卒業を決めた時ではなく、そうなるよりも早くAKB48がなくなった時、という話である。この仮定がごく自然に発想されていたように、アイドルグループが「継続する」ことは本来かくも信じにくいことだった。これはほんの5年前、しかもAKB48が世間的なブレイクを果たし上り調子にある時期のことだ。あるいはその翌年、AKB48がシングルリリース初日のミリオン超えさえ達成するようになる2011年、柏木由紀もまた、AKB48の人気をいくぶんドライに見通す言葉を残している。


『「このブーム、いつまで続くんだろうね?」と、メンバー間でよく話をします。「なぜ、これほどまでにAKBが売れたのか、がよくわからない。私たちは、どうやってここまで来たのかがわからないんだから、いずれは下がるよね」って。でもそうなったら、元に戻るだけ。会いに行けるアイドルとして、劇場に出る。またそこから始めればいいと思っています。(「FLASH増刊 まるっとAKB48 スペシャル」2011年3月25日発売)』


 この柏木の言葉もまた、いつまで続くか定かでない人気の不確かさを俯瞰するものであり、一見すると秋元や宮澤と同じく冷静な見解を表明している。しかし、ここで柏木は「劇場」という、AKB48のアイドルとしてのオリジナリティを踏まえ、人気が落ちたらまた劇場から始めればいいという視野を示している。これが秋元や宮澤の言葉と異なるのは、表舞台からのフェードアウト以降も、「アイドル」としての活動が継続するという前提を持ち込んでいる点だ。つまり、アイドルグループが数年の最盛期を経たのちのあり方として、「解散」を選ぶ必然性がなくなっていることを、柏木の言葉は示唆している。


 もちろんこれは、当時の秋元や宮澤の視点が古かったわけでもないし、2015年のAKB48の拡大・発展は当時の柏木の予測さえはるかに超えたものだろう。2010年代のグループアイドル活況を牽引してきたAKB48の大きな財産である「劇場」は、アイドルシーンをいわゆる「現場」主導へと促していったが、また同時に、マスメディアを介しての人気がかげったとしても組織自体の活動を継続しうるという想像力を植えつける役割も果たしていたのかもしれない。だからこそ、AKB48劇場10周年の公演は、劇場を拠点として歴史が紡がれていくことを皆が信じられるものとしてあった。


 これは、AKB48がメンバー循環型の組織であったことも大きい。あるアイドルグループが特定の限られた人物によってのみ担われていたならば、その人物の一時的な意思や決断が、グループの存立に直結する。「個」として歩んでいく道のりとは別に、たくさんの「個」が身を預けながら歴史を紡ぐ「組織」として存在できる循環型グループだからこそ、ひとつの世代のライフコースを超えて、組織がエンターテインメントを継承していく可能性が拓ける。


 もちろん、そうした組織的な継承に先鞭をつけたのは1990年代後半から続くハロー!プロジェクトであり、AKB48はハロー!プロジェクトを部分的にアップデートしながら組織を作っていったところもあるはずだ。そうして出来上がった今日のシーンにとって大きいのは、組織としての継続を信じられる陣営が複数存在することである。先に触れた12月16日の『2015FNS歌謡祭THE LIVE』の中の企画「アイドル・コラボレーション・メドレー」ではハロー!プロジェクトやAKB48グループ、スターダストグループ、さらに乃木坂46・欅坂46の「坂道シリーズ」といった、各陣営を横断する組み合わせの妙が話題になったが、同時にこれらのグループが集結したことで見えたのは、大規模な組織として長年継続し歴史を紡いでいるグループが当たり前にいくつも共存しているという、アイドルシーンの現在地だった。アイドルというジャンル全体に組織の長期継続や世代継承を見出せることは、当然のことのようでいて、実はきわめて今日的な状況でもある。この連載では過去3回ほど、アイドルと「成熟」について考えてきたが、それはこの今日的な前提の上に成り立つ議論でもあっただろう。「かつてアイドルだった人」を、現在と切り離された存在としてではなく、現存する組織との連なりで受容できること。AKB48劇場10周年が示したそのあり方は、「アイドル」がひとつの芸能ジャンルとして定着していくプロセスを見るようで、ある頼もしさを見出せる。


 ただひとつ付け加えておくならば、ここからアイドルがジャンルとして過去から現在への一本のシンプルな歴史観を描いていけるのかといえば、そう単純でもなさそうだ。AKB48はこのジャンルのスタンダードを示す大きな道標であると同時に、最もシーンの姿をかき乱すポテンシャルを持つ存在でもある。AKB48劇場10周年記念公演について、過去と現在を混ぜ合わせるものだったことを述べたが、AKB48がグループの時間軸を複雑にねじれさせるような企画を打ち出すのはこの時ばかりではない。京楽産業のパチンコ機とタイアップした「チームサプライズ」は、リアルタイムのグループ状況に関係なく、すでに卒業したメンバーもリリース楽曲に参加することで、複数の時間軸のAKB48を存在させている。また、来年3月9日リリース予定のシングルでは、前田敦子や大島優子ら卒業メンバーが参加することも発表され、波紋を呼んでいる。不可解さを常に用意しておくようなこのグループがジャンルの中心部にいる以上、ジャンルとして安定的な形に落ち着くのはまだ先なのかもしれない。(香月孝史)