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水木しげるさん、妖怪が見えるようになった壮絶戦争体験

2015年12月19日 20:20  週刊女性PRIME

週刊女性PRIME

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11月30日、『ゲゲゲの鬼太郎』の生みの親である水木しげるさんが亡くなった。93歳で大往生であった。 「水木さんは11月11日、自宅で転んで頭を強打。救急車で病院に運ばれた後、硬膜下血腫で緊急手術を受けました。しかし、その後、容体が悪化し、多臓器不全に陥り、結局回復することはなく息を引きとりました」(全国紙記者) 水木さんといえば、誰もが思い浮かべるのは妖怪だが、戦争をテーマにした作品も数多く描いている。そして、それらの作品は自らの実体験をもとにして描かれている。 水木さんは太平洋戦争の真っただ中である'43年、21歳のときに召集令状を受け取り、歩兵として陸軍に入隊した。入隊して間もなく、太平洋の激戦地であったニューギニア戦線に出征し、そこで過酷な経験をすることになる。 到着した戦地では、すでに日本軍は、優秀な装備と圧倒的な物量を誇る連合軍に追い詰められており、水木さんの部隊も玉砕が目前に迫っていた。敗走中にマラリアに感染し、高熱で錯乱状態になりながらジャングルを彷徨。 「敵機の爆撃にあい左腕に重傷を負いました。負け戦の戦場でしたから、麻酔もない状態で腕を切断されたそうです」(出版関係者) その後、負傷兵として後方に送られ、終戦で復員したのが24歳のときだった。まさに死と隣り合わせだった、このときの地獄のような体験が、後の水木さんの作品に大きな影響を与えている。 「水木さんが最初に妖怪に関心を持ったのは、幼いころ家に手伝いに来ていたおばあさんの話がきっかけだったそうですが、大人になるにつれて関心も薄れていき、忘れかけていたそうです」(前出・出版関係者) それを呼び覚ましたのが、戦争体験だった。水木さんは雑誌のインタビューではこう語っている。 《死と隣り合わせの状況でジャングルをさまよいながら、幼いころの記憶が次々と浮かび、妖怪が見えた》 水木さんが生還できたのはひょっとしたら妖怪たちのおかげなのかも。 (漫画家・享年93・11月30日逝去)