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なぜ少女は“おじさん”に恋い焦がれるのか 姫乃たまが『友だちのパパが好き』を考察

2015年12月19日 17:21  リアルサウンド

リアルサウンド

©2015 GEEK PICTURES

 この映画は危ないな、と、思いました。


 『友だちのパパが好き』という、少女コミックのようなタイトルのこの映画は、ロベルト・シューマン(友だちのパパが好き、ならぬ、師匠の娘が好きになって、結婚するのに苦労した末、精神を病んで投身自殺した作曲家)の、幻想的で暗鬱としたピアノ曲「予言の鳥」とともに蠢き始めます。


参考:井口昇監督『変態団』が描くマニアの葛藤ーー姫乃たまが13人のフェティシズムと向き合う


 少し変わり者の親友・マヤを持つ妙子の生活は、「妙子の父親が好き」というマヤの突飛な告白から、徐々に、しかし確実に変化していきます。笑い飛ばす母親の隣で、呆れているだけの妙子でしたが、事態は次第に「私がいうのも変だけど、あの人、奥さんいるからね?」と、トンチンカンな釘を刺さなければならないほど、混乱していきました。


 肝心のパパはひどく魅力的です。しかし、あからさまに魅力的でないところが、この映画を危険なものにしています。若い女性がおじさんを好きというと、必ず訝しがられます。人々はその好意に理由を求め、納得できる答えが出ないと、経済的余裕や背徳感など、適当な理由を付けます。ファザコンや、父親の愛情不足を疑うのもよくあることです。しかし、好意の理由は、そんなに理解しやすいものではありません。


 パパはとても普通のサラリーマンで、世間的なモテるおじさん像からはかけ離れています。しかし、近くに寄ってみると、実は愛人がいて、さらに娘の親友からの好意もだらしなく受け取るような男でした。しかし、その、実はワルいところが魅力なわけでもありません。さらには、娘にも妻にも愛人にもマヤに対しても、女性との大事な話し合いを先延ばしにして避けるという短所まであります。それでもパパは魅力的です。


 何が彼の魅力なのか。それは序盤のとあるシーンに凝縮されていました。急に現れたマヤが、パパの帰路に付いていくシーンのことです。不意にスマートフォンで2ショット撮影してきた娘の親友に、ぎこちなく接しながら「本当に載せるの、フェイスブックに? いいけど……つまんないでしょう(俺との写真載せても)」と、何気なく口にするのです。


 現実でモテるおじさんというのは、意外とこういう人だと思われます。本当に普通で、押しが強くなくて。卑屈になっているわけでも、下心のせいで紳士に振舞っているわけでもない、自然な態度が若い女性の気を惹くのです。


 この映画が危ないのは、パパのわかりづらい魅力が、妙子の好青年な彼氏と対照的に映っているところでしょう。妙子の彼氏は年齢も近く、きちんと母親にも挨拶の出来る好青年です。しかし、冷静な彼女に、自分のことを好きか問う子供じみた態度は、あまりに健全で、そして余裕がなく映ります。


 なぜ、パパはだらしないくせにモテるのか。うっすらと、悔しくすらなります。しかし、モテるからだらしないのであり、だらしないからモテるのでしょう。一度惹かれた若い女の子にとって、愛人がいることも、若い自分に手を出すことも、すべてのだらしなさが、可愛さや、余裕や、ギャップとして脳内変換されます。この映画ではさらに、山内ケンジ監督が独特の演出で、悲しみと滑稽さの間にパパの魅力を自然と打ち出してきます。


 マヤの好意は一瞬も怯むことがなく、ひとりでいる時も、親友のパパとの2ショット写真を映し出したスマートフォンで自分の体を慰めます。股に押し当てたケータイに、親友からの着信があれば、なんの衒いもなく通話する、その怯まなさ。好きになってはいけない人を好きになることは、幻想的で暗鬱としています。(姫乃たま)