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写真家・映画監督アントン・コービンが語るJ・ディーン そしてボノやプリンスとの思い出

2015年12月17日 13:01  リアルサウンド

リアルサウンド

(C)See-Saw Films

 U2、デペッシュ・モード、ニルヴァーナ、デヴィッド・ボウイ、トム・ウェイツ、ジョニ・ミッチェル……ロック好きにとって、アントン・コービンというフォトグラファーは特別な存在である。彼の写真(多くの作品でジャケットにも使われている)は、何十年にもわたってそのアーティストの「生きた」イメージそのものとなってきた。そして、彼は「ロック出身」フォトグラファーとして、マイルス・ディヴィスと、クリント・イーストウッドと、ロバート・デ・ニーロと、同じような方法論によって素晴らしい作品を残してきた。


参考:『ディーン、君がいた瞬間』にムッシュかまやつ、ハマ・オカモトらがコメント


 そんな彼がジョイ・ディジョンのイアン・カーティスを描いた『コントロール』で映画監督デビューした時は、モノクロの画面の美しさと作品の完成度に感心したものの、それはあくまでも彼のフォトグラファーとしての仕事の延長上にあるものだと思っていた。ところが。その後、彼はジョージ・クルーニーとの『ラスト・ターゲット』、フィリップ・シーモア・ホフマンとの『誰よりも狙われた男』と、着実に映画監督として独立したキャリアを積み上げていく。そこでは、もはや「写真家アントン・コービン」の痕跡は、注意深く観ないと気付かないほどであった。


 新作『ディーン、君がいた瞬間』は、主人公の一人が早逝したアーティスト(アクター)であるということ、もう一人がその男を撮ったフォトグラファーであること、という点において、「映画作家アントン・コービン」の作品であると同時に、久々に「写真家アントン・コービン」の気配を強く感じさせる作品だ。個人的にも待望だった彼との対面インタビューは、事前の予想とはまったく違ってやたらと「(笑)」が多い楽しい時間となったが、ポートレイト写真家論としても、とても興味深いものとなった。(宇野維正)


◼︎ジェームズ・ディーンは当時の若者の「声」を代弁していた


——まずは原題の「LIFE」について訊かせてください。このタイトルにしたのは、アメリカの「LIFE」誌に掲載されたジェームズ・ディーンの有名な一連のポートレイト、その時のフォトセッションが本作のクライマックスの一つとなっているのが直接的な理由だと思いますが、それだけが理由じゃないですよね?


アントン・コービン(以下、コービン):この作品で描きたかったのは、一人の人間の「人生」がどのようにして他の人間の「人生」に影響を与えるか、ということだった。それと、この作品ではジェームズ・ディーンの「死」を描いてはいないけれど、観客は本作で描かれた日々の直後に彼が交通事故で死ぬことを知っている。描かれていない「死」の存在を、作品を観ている最中にも感じずにはいられないと思うんだ。だから、そこで「死」の反対側にある「生」という言葉をタイトルにしたかった。


——日本における死後のジェームズ・ディーンは、チャールズ・チャップリンやマリリン・モンローやエルヴィス・プレスリーと並ぶ、ある時代の「アメリカ」を象徴するベタなポップ・アイコンで、言ってしまえば消費され尽くされたイメージであり、あまりクールなものとしてとらえられてこなかったという実感があります。あなたの生まれたオランダ、あるいはフォトグラファーとしての仕事の拠点となったイギリスでは、次世代からはどのような存在として映っていたのでしょうか?


コービン:オランダやイギリスでどういう存在だったかは人によると思うけれど、チャップリンやモンローが特定の作品、特定の映像と結びつけられて記憶されていたのとは違って、ジェームズ・ディーンは名前だけが一人歩きしているような存在だったように思う。名前はみんなが知っているけれど、実際の人物についてはあまり語られていない、というような。もしかしたら、日本ではちょっと違っていたのかもしれないけど、僕が彼の出演していた作品を初めてちゃんと観たのは名前を初めて知ってからずっと経ってから、完全に大人になってからだった。


——個人的に、ジェームズ・ディーンを初めてクールな存在として捉え直したのは、80年代後半にザ・スミスが彼の写真をシングルのジャケットにした時でした。


コービン:「Big Mouth Strikes Again」(笑)。そうだね。でも、自分にとってはザ・スミスがトルーマン・カポーティやテレンス・スタンプなんかと並んで彼のイメージを採用したのは驚きではなかった。イギリスでは、当時そこまでジェームズ・ディーンのイメージは氾濫してなかったんだ。むしろ、今の方がそのイメージが盛んに消費されている気がするね。そもそも、1955年にジェームズ・ディーンが出てきた時は、みんな彼のことを若者たちの「声」を代弁する存在として受け止めたんじゃないかな。当時、彼のような反抗的で無軌道な存在はとても珍しかった。


——あぁ、カウンターカルチャーの始まりみたいな?


コービン:そう。1945年に戦争が終わって、そこから10年経っていたけど、当時はまだ若者の「声」を代弁するような存在がカルチャーの中になかった。そこに現れたのが、ジャズの新しい動きであり、その後のロックンロールであり、その空気を象徴していた役者がマーロン・ブランドとジェームズ・ディーンだったんじゃないかな。


——なるほど。ジェームズ・ディーンの受け止められ方の違いは、同時代にカウンターカルチャーのあった国と、それをポップカルチャーとして輸入した国の違いかもしれませんね。この作品にはジェームズ・ディーンの他にもう一人主人公がいて、それは彼の写真を撮ったフォトグラファーのデニス・ストックです。この作品で描かれているのは、彼が27歳の時。誰もがあなたがフォトグラファーであることと、作中でフォトグラファーの仕事を描いていることを結びつけると思うのですが、自分が27歳の頃を振り返って、何か思い出すことはありますか?


コービン:もう、かなり昔の話だね(笑)。そうだな、当時よく考えていたのは、被写体と信頼関係を結ぶことができると、他のフォトグラファーには入り込めないところまで入ることができて、そこで写真を撮ることができるということだった。まさに、この作品におけるデニスとジェームズのような関係を、自分も20代の頃にU2、デペッシュ・モード、トム・ウェイツ、マイケル・スタイプ(REM)と結ぶことができた。彼らとは本当に長い時間を過ごしてきたし、ある意味でファミリーの一員のような存在として彼らに受け入れてもらえた。信じられないような素晴らしい経験をたくさんしてきたよ。そうじゃない経験もあったけどね(笑)。


◼︎U2に初めて会った頃、彼らの音楽はあまり好きじゃなかった


——アーティストから信頼を得るためのコツというのを、こっそり教えてもらえませんか? 自分も音楽ジャーナリストとして20年間仕事をしていますが、信頼関係を結ぶことができたアーティストもいれば、そうでなかったアーティストもたくさんいます(笑)。


コービン:まず、ジャーナリストとフォトグラファーでは、アーティストと結ぶ関係性の種類がまったく違うと思う。それはわかるよね?


——そうですね。わかります。


コービン:その上でアドバイスをするとしたら……うーん、でも、そういうのってとてもオーガニックなプロセスなんだよ。10人アーティストがいれば、10通りのプロセスがあるんだ。


——それもわかります。


コービン:フォトグラファーにとって、そのアーティストの作品を自分が好きかどうかはあまり関係ないんだ。U2のメンバーと初めて会った時、彼らの作品はその前に聴いていたけど、正直に言うと、あまり好きじゃなかった。だから、彼らとその後何十年にもわたってあんなに親しくなるとは、当時は夢にも思わなかったよ(笑)。


——それは衝撃的な告白ですね(笑)。


コービン:デペッシュ・モードにいたっては、はっきりと音楽的に嫌いだったからね(笑)。


——(爆笑)。


コービン:それでも、人間的にウマが合って、そこで撮った写真がアーティストにとっても納得できるものになると、次の機会へとつながっていく。そして、そうした仕事の関係が続いていくことでそこに信頼関係も生まれてくる。……でも、その過程に何か法則のようなものがあったかと言うと、アーティストによってまったく違っていたとしか言いようがないね。


——では、逆にまったく信頼関係を結ぶことができなかったアーティストやアクターというと、誰のことが思い浮かびますか?


コービン:プリンスかな(笑)。


——(爆笑)。


コービン:最初に会った時に大きな間違いを犯したので、もう二度と彼からは呼ばれなくなったよ。


——そのエピソード、詳しく教えてください!


コービン:撮影の前に自己紹介をすると、彼が僕の過去の作品を褒めてくれたんだ。でも、そこで彼が言っていた「僕の作品」は、他のフォトグラファーの作品だった。普通だったらそういう時は、相手の言葉を聞き流して「ありがとう」って言っておくべきなんだろうけど。


——まして、相手はプリンスです(笑)。


コービン:そう、まして相手はプリンスだ。でも、僕は思わず言ってしまったんだ。「あ、あの作品は自分が撮った作品じゃありませんよ」って。それで、すべてが終わったよ(笑)。オランダ人はバカ正直なことで有名なんだよ。そして、僕はすごくオランダ人的な性格の持ち主ときている。


——今日のここまでの発言からもわかります(笑)。


コービン:アメリカ人やイギリス人は「How Are You?」と挨拶されると、「Fine」と一言で返すだろ? でも、オランダ人はそう訊かれると、今の自分の体調や気分や悩みをとうとうと相手に話し始めるんだ。社交辞令というものが存在しない(笑)。その正直さが、時には相手と信頼関係を結ぶきっかけになるし、時にはそうして裏目に出ることがある。


——逆に、アーティストと近すぎる存在になることによって、何か弊害のようなものが生じることはありましたか? 今作『ディーン、君がいた瞬間』におけるディーンとデニスの関係も、必ずしも理想的なものとしては描かれていませんでしたが。


コービン:うーん、どうだろう? 今、パッと思い浮かんだのは、15年前にオランダの美術館で自分の写真の展覧会を開いた時のことだな。地元だったし、とても大きな展覧会だったので、当時はまだ生きていた自分の両親も開会式に招待したんだ。その開会式には、ボノも駆けつけてくれて、オープニングのスピーチを買って出てくれた。そのスピーチでボノは、自分の両親の目の前で「アントンに写真を撮ってもらうと、まるで彼とセックスをしているような気持ちになる。俺とアントンはこれまで20年間ずっとセックスをしてきた」って言ったんだ。多くのオランダ人の老人同様に僕の両親もあまり英語が得意ではなかったから、その言葉を聞いて目を白黒させていたね。「えっ!? ウチの息子が!?」って(笑)。


——(爆笑)。


コービン:まじめに答えると、アーティストと親しくなることで、特に弊害となるようなことは思い当たらないよ。僕はジャーナリストじゃなくてフォトグラファーだからね。ただ、一つ大事だと思うことは、写真を撮ってはいけないタイミングを察知すること。


——それは勘を研ぎ澄ますということですか? あるいは経験によって培われるものですか?


コービン:その両方だね。


——最後の質問です。あなたはフォトグラファーとしてジョイ・ディヴィジョンやニルヴァーナとも仕事をしてきましたが、映画監督としてのあなたの最初の作品はイアン・カーティスの最期の日々を描いた『コントロール』であり、今作もまたジェームズ・ディーンの最期の日々を描いた作品です。そこからは、「才能のピークにおける死」というテーマに取り憑かれている映画作家という一面を感じ取らずにはいられないのですが。


コービン:まず言っておかなくてはいけないのは、イアン・カーティスとカート・コバーンとジェームズ・ディーンの死は、それぞれまったく違うものだということだ。


——そうですね。


コービン:その上で、若くして、それもキャリアのピークにあって死んでしまう人間の人生に、自分の興味が向いているというのは事実としてあると思う。ジェームズ・ディーンは早逝したことによって、マーロン・ブランドのように歳をとって太ることもなければ、つまらない作品にたくさん出ることもなかった。それが良かったことだとは絶対に言えないけれど、そうした側面というのはやはり見過ごせない事実としてある。


——あなたの前作『誰よりも狙われた男』は、フィリップ・シーモア・ホフマンにとって撮影時期として最期の仕事になりました。


コービン:……そうだね。ある種の強烈な才能というのは、その強烈さゆえに、暗い場所へと引き込まれてしまうことがあるように思う。もちろん、何度も言うけど、「死」にはそれぞれの理由があって、それを一緒に語ることはできなけれどね。


——あなたは今ちょうど60歳ですが、これからも長生きをしたいと思いますか?


コービン:40歳を過ぎた後の人生は、すべてオマケみたいなものだと思ってきたよ。でも幸いなことに、自分はそのオマケの人生でやりたいことがまだまだたくさんあるんだ。


(取材・文=宇野維正)