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ここから新しい時代が始まるーー河原一久氏が語る『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』の展望

2015年12月13日 11:41  リアルサウンド

リアルサウンド

『スター・ウォーズ フォースの覚醒 予習復習最終読本』扶桑社

 12月19日18時30分の公開まで、いよいよ1週間を切った『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』。同シリーズの字幕監修を手がけてきた河原一久氏が、あらゆる情報を集めて、『スター・ウォーズ』(以下、『SW』)を深堀りし、分析した書籍『スター・ウォーズ フォースの覚醒 予習復習最終読本』が去る11月18日に刊行された。同書は、『予習復習最終読本』というタイトルのとおり、ビギナーからマニアまで楽しめる、『SW』の現在過去未来について書かれた内容になっている。リアルサウンド映画部では、河原一久氏にインタビューを行い、同書の執筆意図や、『SW』現象の特殊性、さらには、公開を間近に控える『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』がどのような作品になるのか、話を聞いた。


参考:監督&メインキャストが勢揃い 来日記者会見で明らかになった『フォースの覚醒』新事実とは?


■「そのときどきの時代が必ず反映されるのが『SW』」


――本書を読んで印象に残ったのは、「過去作がいかにすごかったのか」よりも「新作がどうなのか」、そして「今後どうなっていきそうなのか」に多くのページを割いている点でした。


河原:16年前……99年に『エピソード1』が公開されるときなら、過去作の話だけで良かったと思います。77年から83年までの三部作が、当時の人々にとって、いかに衝撃的だったのかっていう。だから、当時はそういう本を、僕も書いていたんですけど、そこからさらに年月が経っているので、もうそのテイストでもないなって思ったんです。


――というと?


河原:もっと引いた観点、もっと客観点な形で書いたほうが、多くの読者に届くと考えたんです。いまは刺激的なコンテンツがほかにもあるので、「当時の『SW』はこんなすごかったんだよ」って言っても、「ふーん、すごいものなら他にもあるから」となってしまう可能性が高いですよね。


――そうかもしれないです。


河原:だから、そうじゃないやり方で、アピールしたほうがいいと思って。端的に言えば、今回の新シリーズというのは、昔を懐かしむためのものではなく、ここから新しい時代が始まるっていうことなんですよ。だから、最終的に『予習復習最終読本』というタイトルになりました。そもそも最初に「どんな感じの本にしようか?」という話し合いをしたときに、今回の本はきっと「SW新時代」というか、そういう感じの本になるだろうし、このタイミングでは、そういうものをやるべきだっていう話は、編集者ともしていたんですよね。


――ルーカスフィルムがディズニーに買収されてから、初めての作品になるわけで……そういう意味でも、新時代が始まるわけですよね。


河原:そう。だから、逆に言うと、僕たちが好きだった『SW』はこういうもので、『SW』っていうのはこうあるべきだよねっていう本には絶対したくなかった。たとえば、この本の中にも書きましたけど、今度の『SW』はレイっていう女の子が主人公で、三部作ずっと彼女が主人公になるわけです。で、昔からのファンのなかには、それを「うーん」って思う人がいるかもしれない。「女の子が主人公か」って。でも、そんなことは全然問題じゃないんですよ。


――なるほど。


河原:とはいえ、僕もかつては結構保守的で……一作目の『SW』が公開されたとき、その面白さに衝撃を受けつつも、あの勝気で男勝りなレイアっていうヒロインには、正直ちょっと違和感があったんです。もっと普通のお姫さまでいいのにって。ただ、あれは当時のウーマン・リブ運動の流れを汲んだ、新しいプリンセス像だったわけで、そこがやっぱり『SW』が新しいと言われるところでもあった。


――当時の社会的な文脈も背景にあったのですね。


河原:そうです。そして、今回は、ついに女性が主人公になると。もはや、そういう時代になったわけです。女の子が主人公のスペースオペラなんて、昔だったら全然考えられなかったけど、それをやるのが『SW』だし、SF映画とはいえ、そのときどきの時代が必ず反映されるのが『SW』なんです。クリエイターたちだって、その時代をリアルタイムで生きているわけですから。


――その意味で、今回の新シリーズは、過去ではなく現在に向けられた作品になるはずだと。


河原:と思いますよ。レイをはじめ、黒人のフィン、そしてポー・ダメロンという今回登場する新しいキャラクターたちは、みんな20代とか30代じゃないですか。となると、やっぱり彼らの同世代の人たちの共感値が高いだろうし、10代の子や幼い子どもたちは、きっと彼らに対して、身近な憧れを感じると思うんです。そこで「歳をとったハン・ソロがいいよね」とは、やっぱりならないわけですよ。


――オリジナル・キャストが30数年ぶりに再登場することに、古参のファンは歓喜するでしょうが、物語の中心となってくるのは、やっぱり若い登場人物たちであると。


河原:もちろんです。最初の『SW』をリアルタイムで観た世代なんて、これからどんどんいなくなっていくんですから。最初はいろいろうるさいかもしれないけど、ヨーダやオビ=ワンのように、やがて霊体になっていくんです。


――(笑)観る側も若い人たちが主役になっていくのが、今回の新シリーズなんですね。


河原:それは間違いないと思います。だから、今回の新シリーズは、残念ながら古参ファンにとっては「君たちの時代は、もう終わっているよ」という話になるのかもしれない。これからはもう、君たちの子どもたちの時代だよ、と。


■「『SW』が生み出した「絆」こそが、『SW』文化の土台になっている」


――ただ、正直なところ、古参のファンに比べ、ほかの世代の熱量は、今のところそれほど高くないように感じます。


河原:それは、ある程度しょうがないです。だって、過去作をリアルタイムで観てないんだから。そういった意味でいうと、やはり『SW』はどのように特別で、どう世の中を変えてきたのかっていうことを、僕は積極的に発信すべきだと思います。それを骨身に沁みて分かっているアメリカ国民には、わざわざ言う必要はないけど、日本人はまだまだそれを知らない人が多いと思うから。


――本書の5章で、そのあたりの話に触れていますが、改めていくつかその事例を挙げるなら?


河原:たとえば、この本でも紹介した、『SW』ファンの女の子が「それは男の子が観るものだ」ってクラスの男の子たちにいじめられていたのを、世界中のファンが励ましたっていう話があります。それがきっかけとなって、「ウェア・『SW』・デイ」っていう、『SW』のグッズを身につけて過ごす日が、ファンのあいだで定められました。それは『SW』ファンであることによって肩身の狭い思いをしている子たちに、「『SW』が好きなのは、君たちだけじゃないよ」って励ますために始まった行事なんです。


――そんな日があるんですね。


河原:今年は12月4日の金曜日だったので、残念ながら、もう終わってしまいましたけど。あるいは、これはもう一冊の本に書いたんですけど、脳腫瘍が発覚した『SW』ファンの女の子を励ますために、ピンク色のR2-D2……ケイティっていう彼女の名前をとってR2-KTっていうんですけど、それをファンが実際に作ってあげた話もありました。世界中のファンのネットワークを通じて寄付を募って、R2-D2の製作を専門としているファン集団が、彼女のために実物大のR2-KTを作ってあげたんです。そう、それが、今回の新シリーズにカメオ出演していることが、最近発表されて……。


――すごい! あと、『SW』のコスプレをしている人たちの在り方も、すごく独特ですよね。


河原:そうですね。501stっていう、主に帝国軍のコスプレをしているファン集団をはじめ、世界中にルーカス公認のさまざまなコスプレ団体があります。彼らは、単なる自己満足で、コスプレをしているわけじゃありません。今回も、新作の公開初日には、各地の劇場にずらーっとファンが並ぶでしょうが、彼らはコスプレをして、そこを練り歩くんです。並んでいる人たちを楽しませるために。彼ら自身はその日、映画は観られないんですよ。


――あ、そうですよね。


河原:彼らは後日、観るんです。公開初日は、ファンを楽しませることに専念しているんですよ。もともとは自己満足でやったコスプレが、人々を感動させたり喜ばせたりすることができるってことを、彼らは知っているから。だから、基本的に無償のボランティアですけど、彼らは喜んでやるんです。


――そういったある種の「博愛精神」みたいなものは、いったいどこからきているのでしょう?


河原:そこはやっぱり、ルーク役を演じたマーク・ハミルの「僕たちはみんな家族なんだ」という言葉につきます。さまざまな愛憎も含めて、この38年のあいだにこれだけ大きくなった『SW』が生み出した「絆」こそが、『SW』文化の土台になっているんです。


――そんな映画って、他にはあまりないですよね。


河原:ないですね。そういうところこそ、今の日本に伝えるべきだと僕は思うんです。『SW』は、こんなふうに他の映画と違うんだよ。そして、それはもはやここまで大きなものになっているんだよと。だから、そのへんの話も、今回の本にはちゃんと書いたつもりです。


――作品としての『SW』はもちろん、現象としての『SW』の特殊性というか。


河原:そうです。単なる作品情報とかストーリーを書くなら、雑誌の記事で済む話なんですよ。でも、書籍として残るのであれば、そこには何らかのドラマとか、語るべきストーリーがなければいけないと思っていて。そういうことって、ファン歴が長い人でも、意外と知らなかったりするんです。彼らは、自分が観たい新作の情報は取りにいくけど、『SW』コミュニティとか、『SW』文化が今、世界的にどうなっているかっていうことに関しては、あまり興味がなかったりする。新作の情報とか欲しいグッズとかはチェックするけど、そうじゃない部分には興味がないんです。『SW』でチャリティー活動をしている人たちがいるんですよって言っても、「何それ?」って冷やかな反応をしたり。


――そのあたりの話って、日本における昨今のオタク・コミュニティの動きとも通じるような気がします。かつてのような知識の競い合いではなく、ファン同士が仲良く共存して行く道を積極的に選んでいるというか。


河原:そうかもしれないですね。昔のコミケとかって、もっと殺気立ってましたから(笑)。今は、もっと大らかな感じがするというか。オタクと言われる人の数が増えたのも関係しているのでしょう。『SW』のように、そういったオタク的なものが、何らかの形で人の役に立ったり、あるいは子どもたちの助けになるという、その道筋ができたのは、素晴らしいことだと思います。しかし、それは「こうすべきである」って無理やり作るものではないから、自然発生的に何か良い方向に向かっていったらいいなとは思っています。


■「人それぞれのやり方で、これから始まる新シリーズを楽しんでほしい」


――では最後に、新シリーズの全体的な展望について、河原さんが考えるところを聞かせてください。


河原:新シリーズに関しては、何の不安もないです。冷たい言い方をするならば、期待もないです。なぜならば、新作を作ってくれるとは思っていなかったから(笑)。だからその分、これまでとは違う新鮮な驚きがありますし、できる限りニュートラルに受け止めようと思いました。「こうあって欲しい」と期待を膨らませても、その通りになるわけがないし、それはあまり意味がないじゃないですか。もちろん、この本に書いたように、いろいろと予想はしますけど。


――予想するのは楽しいですからね。


河原:ただ、ひとつ気をつけなきゃいけないのは、今世界中のファンが、「自分だったらこう作る」っていう自分なりの『SW』を考えているわけじゃないですか。で、実際観に行ったら、それとどう違うのかっていう採点になってしまう。すると、自分の理想とあまりにも違うと点数が低くなって、「この映画ダメだ」ってなりかねない。


――まあ、そうでしょうね。


河原:だから、ファンとして楽しむのであれば、ファンとしてのスタンスを守ったほうがきっと楽しいと思うんです。クリエイターではなく、自分はあくまでもファンなんだっていう。だけど、単なるファンを越えて、ものすごくマニアになっている人が多くて……そういう人は、いろんなことをジャッジしてしまうんです。あれは良い、これは悪いって。でも、そういうのって、あんまり面白くないんじゃないかなって思います。素直に「美味い、美味い」って食べればいいのに、どこのレストランに行ってもいちいち採点する、食事を楽しめないグルメ気取りみたいです。


――そういう人、たまにいますね。


河原:それって、傍迷惑な話だし、本人も不幸だと思うんです。もちろん、そこに専門家がいて、ここはこうで、ここはこうなんだって解説するのはありだと思うけど、全員が専門家である必要は全然ない。


――味わい方は、人それぞれでいいと。


河原:そう。だから、そういった意味では『SW』は映画なので、まずはビジュアルから入ってもいいですよね。それこそ、今回登場する新しいドロイドのBB-8は、コロコロしていて見た目も可愛いし……今、もう圧倒的に人気なんですよ。そういう入り方も、僕はありだと思うし、人それぞれのやり方で、これから始まる新シリーズを楽しんでほしいと思っています。(麦倉正樹)