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「私の映画は時間への賛美を表現している」ツァイ・ミンリャン監督が明かす自身の映画哲学

2015年12月03日 13:31  リアルサウンド

リアルサウンド

ツァイ・ミンリャン、リー・カンション

 11月21日から29日にかけて行われた第16回東京フィルメックス。オープニング作品の園子温監督最新作『ひそひそ星』に始まり、特別招待作品には、ジョニー・トー監督が手掛ける初のミュージカル映画『華麗上班族』、クロージング作品のジャ・ジャンクー監督最新作『山河ノスタルジア』など、注目監督の最新作が上映され、コンペティション部門では、最優秀作品賞に輝いたペマツェテン監督の『タルロ』など、アジアを中心に新進作家の注目作が上映された。そして、会場を有楽町スバル座に移し、11月28日から12月4日にかけて行われているのが、ツァイ・ミンリャン監督の特集上映だ。今回の東京フィルメックスでは、特別招待作品『あの日の午後』、“行者(Walker)”シリーズ最新作で日本を舞台にした『無無眠』、黒澤明監督作などでスクリプターを務めた野上照代をとらえた『秋日』と、日本初上映の新作3本に加え、『青春神話』『河』『ヴィザージュ』など、キャリア初期の傑作から劇場未公開作まで、全11作品の特集上映が組まれている。リアルサウンド映画部では、東京フィルメックスに合わせて来日を果たしたツァイ・ミンリャン監督にインタビューを行った(現場には、ツァイ・ミンリャン監督と長きにわたるコラボレーションを果たしているリー・カンションも同席)。『郊遊 ピクニック』(2013)を最後に、劇場公開のための長編映画製作から引退を宣言するも、美術館などで上映される短編の製作や舞台演出に活動の場を移し、旺盛な創作活動を続けているツァイ・ミンリャン監督。今回日本で初上映される3作品を軸に、日本との関係や映画に対する思い、さらに、リー・カンションの存在について語ってもらった。


参考:シルヴィア・チャン、最新監督作『念念』のQ&Aに登壇 作中に登場するバーの裏話を明かす 


■「『秋日』は日本人のために残したいと思った」


ーー今回日本で世界初上映となった『秋日』では、黒澤明監督の作品でスクリプターを務められていた野上さんが出演されていますが、彼女とは昔から交友関係があったのでしょうか?


ツァイ・ミンリャン(以下、ミンリャン):野上さんとは20数年来の付き合いがあるんです。台北でも1回お会いしたことがありますが、彼女とお会いするのは、ほとんどが東京の映画祭の場です。私の映画が上映される時に、野上さんはいつも客席にいてくれます。褒めてくれる時もありますが、徹底的に批判される時もあります。もちろん、野上さんが日本映画界の重鎮であるということはよく存じ上げていますが、私にとっては、いつもいい観客でいてくれる方なんです。


ーーなぜ彼女に出演してもらおうと思ったのでしょうか?


ミンリャン:私は野上さんのような、私からすると母に当たる世代の年齢の人たちがとても好きなんです。そういう人たちが持っている雰囲気が大好きで、それを大切にしたいといつも思っていました。黒澤明や小津安二郎、成瀬巳喜男、溝口健二など、私が好きな日本の監督たちは、映画美学において傑出した感性を持っていました。私は日本が大好きなのですが、その理由のひとつに、彼らの影響があるのは間違いありません。その監督たちと同じ時代を生きてきた野上さんの存在に、とても惹きつけられました。野上さんと出会ってから20年以上が経ちますが、ある時、野上さんに年齢を聞くと、80代になったと。その時にふと、「野上さんもそういう年齢になったんだな」と思ったんです。野上さんはスゴく面白い人で、いつも非常に辛辣なことを言うんです。「安倍首相は困ったもんだ」とか「最近の若い人は困った質問するわよ」とか、原爆のことから大震災のことまで、率直に語ってくれるんです。最初から目的がハッキリしていたわけではありませんでしたが、そんな今の野上さんを撮って、日本の方々にもこういう世代の素晴らしい人がいることを紹介したい、日本人のために残したいと思ったのが、『秋日』を撮る動機でした。


ーー野上さんは出演オファーに対して、すんなりとOKを出してくれたのでしょうか?


ミンリャン:野上さんは最初、「こんなの撮られたくない。映画に出るなんて嫌よ」と、嫌がったんです(笑)。野上さんは私のことをとても気に入ってくださっていますが、説得が非常に大変でした。それでも長い時間をかけて説得して、出演をしてくれることになったんです。特に大した計画もせずに撮影に臨みましたが、いざ撮り始めると、簡単に撮れてしまいました。私は野上さんの存在感を撮りたかったので、まるで絵をさらっと描くような感じでした。とても面白い作品になっていると思います。じっくりと“聴く”ということ、そして、“観る”ということ。その両方の重要な映画の概念をしっかりと感じ取っていただきたいと思います。作品を観たらビックリすると思いますが(笑)、私自身、とても気に入っている作品です。


■「“人がいない東京”“寂しい東京”をイメージした」


ーー日本で撮影をされた『無無眠』には、安藤政信さんが出演されていますね。


ミンリャン:『無無眠』に関しては、安藤さんが元々私のファンだったというところから始まりました。特に私の映画に出たいとかではなく、純粋に私のファンでいてくれたんです。私は安藤さんの雰囲気、スッキリとした清潔さを感じさせる佇まいがとても好きで、台北でもお会いしたり、一緒にご飯を食べるような友人として付き合っていたわけですが、これまで特に一緒に映画でやろうということはありませんでした。


ーー渋谷のスクランブル交差点などで撮影をされていますが、日本での撮影は大変だったんではないでしょうか?


ミンリャン:2年前に『無色』という作品で“行者(Walker)”シリーズを始めたわけですが、この『無無眠』は香港国際映画祭からの依頼で製作しました。“行者(Walker)”シリーズでは、香港やフランスで撮影を行ってきましたが、今回、東京編の舞台に渋谷を選んだのは、サラリーマンや若者たちで絶えず人が途切れない雑踏の雰囲気が、私の中にイメージとしてあったからです。渋谷での撮影は相当難しかったです。いろいろ申請したんですが、許可が全く下りないんですね。だから最終的に、盗撮することに決めました(笑)。


ーーやっぱりそうですよね(笑)。


ミンリャン:これまでにいろんな都市を撮ってきましたが、東京という街をどういう風に撮るか、シャオカン(リー・カンション)がそこでどういう風に歩いていくかをいろいろと考えました。その中で、東京では終電が終わってしまったら、多くの人がカプセルホテルなどに泊まって、また翌日出勤するという話を聞いたので、“人がいない東京”“寂しい東京”というのを、まず自分の頭の中でイメージしました。そして夜の東京を撮ると決めた時に、安藤さんにお願いしようと考えたわけです。渋谷の夜明け前の歩道橋とカプセルホテル。そのカプセルホテルで、安藤さんとシャオカンを出会わせるというような設定にしたんです。


■「人間とはどういう存在なのかを考えることが、“映画”だと思う」


ーー特別招待作品として出品された『あの日の午後』では、あなたとシャオカンの対話がノーカットで137分にわたって映し出されます。本作はどのような経緯で製作に至ったのでしょうか?


ミンリャン:今回の東京フィルメックスで上映される『あの日の午後』『秋日』『無無眠』の新作3本は、全て前作の『郊遊 ピクニック』の後に撮ったものです。『あの日の午後』の製作は、出版社から『郊遊 ピクニック』に関する本を出したらどうかという話が出たのがきっかけです。その本の中に、私とシャオカンの対話を盛り込んだら、内容がもっと豊かになっていい本になるのではないかと、私が出版社に提案したんです。なぜかというと、実は私とシャオカンは普段そんなに長々と話をしたりはしません。この機会に改めて、彼がいろいろなことについてどう思っているかを知りたいと思いましたし、私も彼にいろいろ言っておきたいことがあったので、このチャンスに対談をしようと思ったわけです。対談をするに当たっては、2人だけで話をしていると、恐らく途中で集中力が切れたりとか、やっぱり今日はもうやめようということになったりすると思ったので、出版社の編集者や作家にも立ち会ってもらいました。撮影した素材には全く編集を加えずに、そのまま作品として成立させました。


ーー確かに無言の時間も多く収められていました。


ミンリャン:無言の時間こそ、重要なのです。私たちは人間なので、無言の時間があるのは当然ですよね。その“無言の時間”や“無意味な時”というのが、私が1番大事にしていることです。ハリウッド映画のように、すべてのことを絶えず観客に説明していくような映画は、商品に成り下がってしまっていると思います。作家の芸術性や自由を表現する作品にはなっていません。


ーー監督の作品は、カメラのフィックスや長回しなどに顕著ですが、映画の中で流れている時間をそのまま観客が体感するような感覚で、時間が非常に重要な意味を持っているように感じます。


ミンリャン:私は、時間を“存在感”だと考えています。最近特に強く思うのが、自分の映画は時間への賛美で、それをひたすら続けているということです。時間というものは限られていますが、誰しも生きている間、とにかくそこには時間があるわけですよね。死んでしまったらその存在感はなくなってしまいますが、呼吸をし続けている限り、時間はそこに存在し続けます。だから、自分はその存在感を映画の中で撮っているんだと思っています。時折、私の映画の中で役者の呼吸の音が聞こえます。特にシャオカンの呼吸の音が強く聞こえるんです。それは、彼が生きていて、そこに存在しているということの表現なわけです。生きている人間への賛美、時間への賛美というものを、シャオカンの存在を通して表現しているんです。


ーーあなたが街で見かけたシャオカンさんを主人公に起用した長編デビュー作『青春神話』も今回の特集で上映されてますね。


ミンリャン:『あの日の午後』のQ&Aで1人の観客が面白い質問をしてきました。それは「当時もしゲームセンターでシャオカンと出会わなかったら、今どういうことになっていたでしょうか?」という質問でした。そこで私は、「今のこの状況より良くないと思います」と答えました。彼と初めて会った時、既に彼は他の人たちとは全然違う雰囲気を持っていました。最も印象的だったのは、“スローである”ということです。それは私にひとつの思索をもたらしてくれました。人間というのは、そんなに早く考えたり行動したりしなければいけないものなのかーー。そして、あるひとつの決まり切ったイメージが人間なのだろうかーー。私が抱いていた人間に対する考え方を、そのように変えさせてくれたのが、彼の存在だったわけなんです。映画というものは、決して物語を語るためのものではありません。そしてまた、商品でもありません。では、映画とは何なのか。それは、人間の生命の瞬間や時間を観るために存在するものです。そのように観ることを通して、人間とはどういう存在なのかを考えることが、映画だと思います。(取材・文=宮川翔)