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あの巨匠が月面着陸をねつ造 !? 『ムーン・ウォーカーズ』が紡ぐキューブリック愛

2015年11月30日 07:11  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)Partizan Films- Nexus Factory - Potemkino 2015

 ‘69年7月20日、アポロ11号が月面着陸。それは人類史上、忘れがたい歴史的な一日となった。「ひとりの人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍」というアームストロング船長の名言が今にもノイズまじりで聴こえてきそうだが、この言葉を誰よりも切実に噛み締めていたのはCIA諜報員のキッドマンと、売れないバンドのマネージャー、ジョニーだったろう。なにしろ彼らは、アメリカ政府の要請に応じ、あの有名なスタンリー・キューブリック監督を招聘した月面着陸映像の「ねつ造」に携わっていたのだから……!!


参考:ハリウッド次世代の旗手が描く、『アメリカン・ドリーマー 理想の代償』の底知れぬ凄み


 もちろん、これはフィクションである(だよね?)。今や都市伝説化したエピソードをベースに、イマジネーションをフルスロットルで炸裂させながら歴史の裏側を駆け抜けるのがこの『ムーン・ウォーカーズ』。あらすじだけでこんなに「見たい!」と感じてしまうのは、「馬鹿げている」と一蹴されがちな陰謀説というものが、その大胆な発想とディテールゆえに映画の語り口として抜群な鮮度を持っているからなのだろう。


 この映画では、密命を帯びた諜報員キッドマン(ロン・パールマン)がハリウッドの大物プロデューサーに扮して60年代のイギリスに降り立つ。ちょうど68年にはキューブリックの『2001年 宇宙の旅』が公開されており、これを観たCIAの高官が「内容は意味不明だが、この映像は見事」と分析(?)し、キューブリックに白羽の矢が立ったのだ。これはいわゆる冷戦期における保険のようなもの。万が一にもアポロ11号がミスった時に備えて、あらかじめ彼に差し替え映像をねつ造してもらおうというわけ。しかも「プロジェクトに関わった者は全て抹殺せよ!」とのお達し付き。


 うーん、いかにもピーター・ハイアムズの77年の映画『カプリコン・1』をコメディ化したような設定だが(そのハイアムズは84年に『2001年』の続編にあたる『2010』の監督に抜擢されている)、いずれにせよ米政府によるこのイカれた計画が、60年代のスウィンギング・ロンドンのぶっ飛んだ喧噪と掛け合わされることによって、事態はドラッグを一発決めたみたいな混沌化の一途を辿っていく。


 『ヘル・ボーイ』シリーズのロン・パールマンがそのパワフルな存在感で猪突猛進すれば、一方『ハリー・ポッター』シリーズのメインキャストの中でいちばんの芸達者と評されるルパート・グリントが、器用にストーリーの小脇へと道案内。彼の演じるバンド・マネージャーは、金欲しさに自らエージェントを名乗り、自分のルームメイトがヒゲモジャという理由だけで彼をキューブリックに仕立て上げる。こんなドタバタをきちんとコメディとして成立させる力量もまた、ルパートならでは。米英の大作ではなく、こんな意表を突くインディペンデント映画に出演するところが彼の人の良さと言うべきか。


 これが初監督作となるアントワーヌ・バルド=ジャケ監督も結構なキューブリック好きなのだろう。だって、ちょっとしたシーンの演出や小道具に、名作のデジャブ感をほとばしらせるのだ。『時計じかけのオレンジ』(1971年)的な調度品、『アイズ・ワイド・シャット』(1999年)を思わせる怪し気な邸宅、『博士の異常な愛情』(1964年)的な政府高官の暴走、『フルメタル・ジャケット』(1987年)的なベトナム戦争の記憶……終盤にはロン・パールマンがおもむろに斧を手にするだけで筆者の頭の中には反射的に『シャイニング』(1980)の図が思い起こされる始末だった(この見方は正しいのだろうか?)。


 とはいえ、本作にはキューブリック作品に付きもののキリキリと感性を挑発するような狙いは毛頭なく、むしろ分かりやすく小気味のいいエンタテインメントに徹している点は大いに評価できる。


 なにしろタイトルバックから『イエロー・サブマリン』(1968)のようなサイケデリックな作り。さらに当時の空気を濃厚に盛り込んだ『欲望』(1967)や、『パフォーマンス』(1970)、もっと言えば『オースティン・パワーズ』シリーズ(これはかなり過剰だが)のようなスウィンギング・ロンドンの空気で楽しませつつ、いつしかCIAとギャングとヒッピーな映画撮影チームとが相まみえて血まみれの総力戦を繰り広げるという、定番の“せわしなさ”もはらんでいる。


 また、インチキ臭いアートな映画監督が撮った『跳ねる』という映像は、太った男が半裸でビヨーン、ビヨーンと跳ね回るというだけの実験映像だが、ロン・パールマンが頭を抱えてしまうほどの意味不明なクダラナさながらも、この時代なりの自由な空気を表しているというか。アンディ・ウォーホールの『眠り』(1963年)さえも思い出してしまった。


 ともあれ『ムーン・ウォーカーズ』を観ると、やっぱり『2001年 宇宙の旅』をもう一度見返したくなる。「3回観て理解できるくらいなら、私の試みは失敗」とキューブリックは語っているが、観客側からすれば、先のCIA高官の発言同様、何回観ても「内容はサッパリわからんが、映像は最高!」。だからこそ、ある種の長期的な中毒性を持って、2001年をとうに過ぎた今もなお、人々を魅了し続けているのだ。


 これまでキューブリック作品に縁のなかった人も、この『ムーン・ウォーカーズ』がポンと背中を押し出してくれるに違いない。純然たるエンタテインメントを楽しみながら、文化や映画に対する興味の扉を提示してくれる、そんな痛快作である。(牛津厚信)