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ディーン・フジオカ「クレイジーな生活を送っていました」

2015年11月27日 10:00  週刊女性PRIME

週刊女性PRIME

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朝ドラ『あさが来た』で五代友厚役を演じるディーン・フジオカ。海外では人気スターの彼だが、国内作品に出演するのはまだ2作目。 「ディーン・ショック!? なんですか、それは(笑い)」 突然のイケメン登場に“福山ロス”で落ち込んでいた世の女性たちから期待の声があがるも、実は既婚&双子のパパであることが発覚。“ディーン・ショック”はネットでも大きな話題となった。 「ハハハハ! 初耳ですよ、そんなの。いや~、でもそう思っていただけてうれしい! だって、僕に興味を持ってもらえたってことなので。いちエンターテイナーとして、みなさんに気持ちをお返しできればと思います!」 今回は、そんなディーン・フジオカの素顔に迫るべく、あんなことからこんなことまで根掘り葉掘り聞いてみた。 ――そもそもの話ですが、なぜ“ディーン”? 「いろんな説があるんですが……どの説にしようかな~なんて(笑い)。高校卒業後にアメリカへ留学に行ったんですが、そのころからすでに周りからディーンって呼ばれていたんです。自分のことをディーンって自己紹介するようになったのは香港に行ってからですね。ディーンって広東語で言うとcrazyって意味なんですよ。ちょうどそのころ、絵に描いたようにcrazyな生活を送っていたのでニックネームとしてそう呼ばれるようになりましたね」 ――crazyだったんですか? 「とにかく当時は寝ていなかった! “生きていくためには何でもやる”って感じで。もともとデザインの勉強もしていたので、香港でモデルをやりながら、知り合いのお店のランチョンマットとか、お箸を入れる袋をデザインしたり、夜のクラブに行ってMCでDJしたりなんかもしました」 ――でも、なぜ海外を拠点に? 「僕、実はひどい花粉症なんですよ。だから日本には住めないなって思って(笑い)」 ――そんな理由!? 「はい、もう中学生のころからそう思っていました。父親が中国の生まれだったことも大きいかな。父が仕事でよく海外に行って、現地のいろんなものをお土産に買ってきてくれたんですよ。あと母がピアノ教師でヨーロッパとかアメリカのクラシック音楽に触れることが多くて。子どものころから海外にはとても興味がありました」 ――そんなご両親に海外留学をしたいと伝えたときの反応は? 「父親からすごく反対されました。だから高校まで我慢して日本にいたんですよ。本当はもっと早く海外に行きたかった……、花粉症がつらすぎて(笑い)」 ――その反対をどう押し切って? 「“もう自分で行く!”って。親との縁を切るくらいの勢いで日本を飛び出しました。だから最初は相当しんどかったです。経済面とか特に。でも、そのおかげで自由に海外を飛び回ることができたので今となっては感謝していますね」 撮影/伊藤和幸