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小林武史が語る、My Little Loverの音楽が普遍性を持つ理由「akkoは稀有な魅力とバランスの上にいるシンガー」

2015年11月24日 14:51  リアルサウンド

リアルサウンド

小林武史

 My Little Loverが11月25日、小林武史トータルプロデュースによる新録アルバム『re:evergreen』と、デビューアルバム『evergreen』をリプロデュースした『evergreen⁺』を共に収めた2枚組アルバム『re:evergreen』をリリースする。今回リアルサウンドでは、本作のプロデュースを手掛けた小林武史氏にロングインタビューを行った。多数のプロデュースワークを手掛けてきた小林氏にとって、今なお『evergreen』は特別なアルバムであり、その20周年にあたって“究極のポップアルバム”を新たに作りたいと考えたという。My Little Loverの音楽的特性とそこで表現されてきた“日常感”、さらには小林氏自身のポップミュージック観について、じっくりと話を聞いた。(編集部)


・“日常感”をつくる上で、akkoとの出会いはすごく大きかった


ーーMy Little Loverの20周年記念作品となる『re:evergreen』がリリースされます。とてもポップで軽やかな作品ですが、楽曲を生み出すにあたって、20年前の『evergreen』をどう意識しましたか。


小林武史(以下、小林):僕らの世代、あるいはマイラバを聴いてきた世代にとってのポップミュージックとは何だろう、ということに対しての自分なりの答え探しという感覚がありましたね。久々に生の楽器でセッションをして作った、という部分も大きかったかな。


ーー本作が、そうした問いに対する回答になっているという位置づけですね。My Little Loverは、小林さんが多くの音楽的アプローチを展開するなかで、もっとも“ポップソングをつくる”ということに特化したプロジェクトであったと思います。1stアルバム『evergreen』のリリースから20年が経ちましたが、あの作品はご自身のキャリアにとってどんな存在だと捉えていますか。


小林:音楽プロデューサーには、中長期的な計画を立てて、かなり綿密に計算した上で作品をつくっている人もいると思うんだけど、僕はわりと感覚的、衝動的に音楽をつくっている人間で。それまで、桑田(佳祐)さんやミスチルに出会ったり、よりプログレッシブな作品にも取り組んできたなかで、当時、akkoと藤井謙二君に出会って、ポップミュージックに一気に向かったんですよね。僕にとってのポップミュージックというのは、自分が生きている日常というものの延長線上にあるもので。


ーー『evergreen』は、日常と地続きで音楽に向き合うなかで生まれた作品であると。


小林:当時は、例えば“Jポップ”という言葉も普及していなかったですよね。ロックとかポップとか、邦楽、洋楽という仕切りに関しても、自分の中ではカテゴライズは曖昧だったと思う。そのなかで、“日常感”というのかな、それをつくる上でakkoとの出会いはすごく大きかったんです。


ーー日常性を表現する上で、例えば60年代、70年代のポップスがひとつの要素になっているのでしょうか。『evergreen』はリリース当時においても、どこか懐かしい響きがあり、今作も同様ですが生楽器の響きがマイラバの持ち味でもあったのかな、という気がします。


小林:そうですね。僕が子どもの頃、シングル盤みたいなものをレコードで何度も何度も聴いて、ひとつの曲が習慣、あるいは中毒のようになる、という感覚があった。今みたいにどこでも便利に音楽が聴けるという時代ではなかったけれど、一つの曲が心に染みつき、ポケットに入ったままになるような。そういうものを作りたい、という思いがありましたね。


ーーそれ以前のプロジェクトとは、また意味合いが異なる部分があったんですね。


小林:My Little Loverは、いわゆるライブ、肉体感があって、そういうところからプロジェクトとして着々と進めていける……というものとはちょっと違っていて。その分、アルバムや作品に込めたものがどうしても強いプロジェクトでしたね。そして、その時に込めたものというのは、20年後のいま聴いても、タイムカプセルのように閉じ込められたものがあるような気がするんです。多分、10年ではこういう感慨はなかったでしょうし、20年経って初めて、そこと対峙するような構想になっています。


ーー今回は『evergreen⁺』として『evergreen』のリプロデュース盤がパッケージされています。20年ぶりに本作と対峙してみてどうでしたか?


小林:もう一度“生の息吹”のようなものを入れようと考えるに至ったのは、当時はかなり生っぽいグルーヴをつくっていたと思っていたものの――それはそれでいい部分もあるんだけれど、相当なスピード感で制作していたこともあって、今ならもっとできることがあると感じたからです。それによって、20年前の作品と現在やっていることのセッションみたいなことが起こって。『re:evergreen』という新しいアルバムとの循環のようなものを感じながらつくっていました。


ーー『evergreen⁺』が、ある意味『re:evergreen』へと向かう、つなぎ目のようなものになるのでしょうか。オリジナルと聴き比べて、特にリズムパートは生の奥行きのあるものになっているという印象でした。


小林:そうですね。あとは鍵盤の音も加えています。akkoはいくつか歌い直したいという話もしていたのですが、それをやるとセルフカバーになってしまうし、新しいアルバムとしての『re:evergreen』と向き合うためにも、そこは変えないでやろうと。


ーー20年前の作品ですが、小林さん自身の今の感覚にフィットする部分も、もちろんあったということですよね。


小林:少なくとも、どの曲も“古くなってしまった”という感覚はないですね。レコーディングのアレンジにはその時のちょっとした“旬”みたいなものがあって、そういうところだけ、僕が今考える普遍的なやり方でプロデュースし直した、という感じです。


・My Little Loverの音楽には、時間に耐える強さがある


ーー『Android&Human Being』(Salyu)についてのインタビューで、日本のポップミュージックは歌謡曲の流れにあるメロディと、ビートルズなどからの流れにあるホーリーなメロディがあって、Salyuの場合は、ホーリーな部分を追求しているというお話が印象的でした。そうしたメロディの系譜でいうと、マイラバはどのような位置にあるのでしょうか。


小林:Salyuとの比較で言うと、彼女の場合は宇宙だったり、哲学だったり、日常の外側にある大きなものをイメージする部分があるのですが、マイラバはもっと日常のなかで、例えばついつい習慣的に身につけてしまうアイテムとか、昔から喫茶店で普通に出てくるハムとチーズのサンドイッチのようなものかもしれなくて。それだけに、時間に耐える強さがあるというか。ただ、とても日常的なんだけど、そのなかに解決不可能な物語もある。日常って、意外とそんなに平穏ではないんですよ。


ーー確かに。


小林:男女がいたとして、実際の関係はあまり平穏ではなかったり(笑)。けれど、安定した状態から極端にはみ出さない、という感覚ですね。当然、コンサバティブな方向性になるんだけれど、そうじゃないと音楽のバトンは渡っていかない、という面もあって。『re:evergreen』はそういう軸のあるアルバムになっていると思います。


ーー音楽的な面では、ベーシックなポップソングでありながら、生演奏によって楽曲にふくよかさ、奥行きが生まれていますね。小林さんがポップソングを作るうえで重視するものは?


小林:僕にとって納得のいく究極のポップミュージックを追求する上で、やっぱり演奏やアレンジはきちんとしていなければならないんだけれど、そのなかにしっかりグルーヴしていくエモーショナルなものがなければつまらない。akkoも、淡さや滲む感じを持ちながら、エモーショナルな方向性もしっかり出せる人なんですよね。かわいらしいけれど、声にそういう“動き”というものを持っている。スピード感やパワーがまず出るように気をつけて、最終的には編集段階で、今のテクノロジーもフルに使いながら、きちんとした領域にまとめ上げました。生演奏でも、昔のスティーリー・ダンみたいに徹底的にストイックにつくっていくという、演奏哲学のようなプロセスもあるけれど、そこまでは追い込んでいなくて。エモーショナルな方向で進んで、僕はプロデューサーとしてその熱を損なわずに、きちんとバランスを取っていく。そういうことをコツコツ繰り返しました。


ーーなるほど。一曲、一曲ということですね。


小林:まずは人間の息吹のようなものをドカンと入れて……曲作りのところから、全部そうでしたね。完全にエモーショナルなところから始まって、そのなかでメロディを響かせていく。僕の中では、定番の作り方ですね。自分の中で、今回の曲はすべて、その時期のローテーションにずっと入る曲になり得ると思っています。リフレインにも耐えられるメロディというか、一筆書きで行ったきりという楽曲はもちろんあってもいいんだけれど、それはポップミュージックとはなかなか言い難い。とは言え単純すぎたらつまらないし、そういう一つひとつの積み重ねですね。


ーーエモーションのあり方について、akkoさんの歌声が持つ“淡さ”というのも、今作の魅力になっているのでは。


小林:そうですね。自分のなかにマニュアルのようなものは全然ないんですけど、やっぱりベタにならないというか、絶えず相反する要素のなかで、動きを内包している、というのがポイントかもしれませんね。


ーー歌詞もある意味ではオーソドックスで、情景描写があって、そこからさまざまな思いが伝わるものになっていますが、20年の時間を経たなかでしか出てこない部分も、もちろんあると思います。小林さんは今作における時代性について、どうお考えでしょうか。「夏からの手紙」の歌詞などが印象的でしたがーー。


小林:ああ、まさに今、その曲について言おうかと思っていました(笑)。akkoは男性、女性、少年性や少女性というさまざまなものを映し出せるボーカリストで、そんな彼女が今、どういう座標軸を取っているのか、というところで、20年という時間を経た時代性というものが見えてくると思います。僕としても、もちろん年齢を重ねたからという部分も大きいと思いますが、当時見えなかったものが見えてきたところもあって。当時は人間関係も男女関係も、もう少しシンプルなところで成立していた気もするし、今は社会システムの複雑さも顕在化していますね。


 そして、話に出た「夏からの手紙」はわかりやすい。ap bankというプロジェクトをやっていることもあり、震災後に東北に何度も通ったんです。akkoも(岩手県)野田村というところに縁があり、「贈る図書館」という活動やボランティアで歌いに行っています。被災地がどういうふうに復興していくのか、ということを考えるなかで生まれた曲ですから、やはり時代性というのは出ている。


 最近よく言うことなのですが、社会のシステムが複雑になっていくなかで、時間がどんどん圧縮されて、そのなかで生きていかなければならなくなっています。そして、常に「何が正しいのか」ということを選択しなければいけない。それは人間にとって都合のいい面も、悪い面もあって。そういう窮屈なところを、もう少し解き放っていいんじゃないか、という思いもあるんです。時間の感覚とか、心のありようもそうかもしれないけれど、人間同士の関係性について考えることも多くなっていて。ただ、メッセージとして強く訴えるというより、それは日常的な会話のなかにこそ存在する思いというか。


ーーなるほど。日常のあり方というのは、この20年間で変化したと感じますか。


小林:今は言いたいことも、目指すものも、情報として“はっきりとした点である/核がある”という感じになりがちですよね。だから、最近は“気配”という言葉をよく使うんです。つまり、どこに核があるかというものでなく、さまざまなものが共鳴していくような日常感というものが、生き物としての僕らに相応しいと思う。そもそも、僕らは命を授かって、細胞を生まれ変わらせながら生きていて、どこに生き物としての核となる座標があるか、というとそれは難しいでしょう。


ーー確かにそうですね。


小林:気に入るか気に入らないか、白か黒かではないし、マニュアルで決まったやり取りで決まるものでもない。そういう“振り幅”が日常なんだと思う。


・My Little Loverとして共鳴、共振を起こしたい


ーーなるほど、そのお話は小林さんの音楽に通じるものがありそうですね。たとえばYEN TOWN BANDが顕著ですが、楽器同士、プレイヤー同士が生み出す相互作用、生々しい音のやり取りというものが浮き上がっている部分があると思います。バンドサウンド、楽器が生み出す音というものに対して、今は小林さん自身の関心が深まっている時期と捉えていいでしょうか。


小林:そうですね。96年にリリースしたYEN TOWN BANDの『MONTAGE』というアルバムは、制作に際して初期衝動というものをものすごく取り入れようとしてやっていて、60年代、70年代のレコーディングのやり方を真似たというか、そのときに一番良かったものに入り込んで作ったアルバムでした。その延長線上でやろう、という感覚はありますね。もちろん、いろいろと不便ではあるので、あまりマニアックにはならないんですけど、そういうことの大切さを感じていて。単純に、エレキギターだったら鉄の弦が6本張られているのをかき鳴らす、というのが僕にとっての初期衝動的な醍醐味だし、ベースも一気に低域から共鳴させる響きが醍醐味なんですよね。そういうものを取り入れて音楽をつくる、というのがものすごく楽しい。


 今回、参加してくれた山口(寛雄)くんというベーシストが、古今東西なかなかいないんじゃないかと思うくらい、音数が多いというか、歌うベースなんです。ファンクやロックだったらそれなりに歌うんですけど、すごく極端なベーシストで、それをポップ・ミュージック、日常のなかに入れるのは難しくもあり、面白かったですね。結局はバランスを考えてエディットした部分もありますが、このアルバムには、そういうちょっといびつな要素が入っているかもしれない。


ーー編集段階でも、小林さんがあえて残した尖った部分もあると。


小林:そうですね。でも、やっぱり日常の中にも、そういうちょっと変なモノはあるんだよね。変なオッサンが町にいる……というのは、少し違うけれども(笑)。


ーー確かに、世の中にはいろんな人がいるし、それを完全にならしてキレイにしてしまうと、現実とは違うものになりそうです。


小林:そう、日常ってそんなにキレイなものではないですから。変な人、やっぱりいてほしいよね、という(笑)。


ーーakkoさんの声が持っている、良い意味での揺らぎも、確実に今作の魅力になっていますね。


小林:そういう意味でも、akkoは肉体的なパワーがあって、そこのけそこのけでやっていくような万能型のアーティストではないけれど、稀有な魅力とバランスの上にいるシンガーだと思います。My Little Loverには、リアルタイムの世代じゃなく、若い世代の中にもすごくハマってくれる人がいて、僕が日常の延長のポップミュージックをつくるときに、やっぱりakkoというシンガーが相応しいと思う。そして、今作は自分のなかで、そのことを確認するためのアルバムでもありました。ある時期は曲数もそれなりにつくったけれど、途中からは量産できるような感じではなくて。20年の月日が経って、今回は自分でもどうしてもつくりたいものだったんだな、と途中で気付きました。


ーーなるほど。


小林:とても個人的なことで、ある種の“節”みたいなものを確認したい、という小さな作業もあったけれど、それが目的ではなくて、単純にMy Little Loverとして共鳴、共振を起こしたかったんだろうと思います。僕の中では新しい発見もあったし、akkoもどこかでそういうことを少しでも感じてくれてるとうれしい。すぐにではないかもしれないけれど、どこかでまた、こうやって一つひとつつくっていくことが僕の役目でもあると思いますね。もちろん、akkoが考えていくことが中心でいいんですけど。


ーーさて、このところ小林さんの音楽活動が活発化していて、創作のペースという点でもかなり熱い時期に入っていると思います。大量に作曲もされているし、プロデュースもされていますが、今ご自身の音楽に対するモチベーションはどんなところにあるのでしょうか。


小林:自分のアイデアで動き出すのも、誰かのリクエストに応えるのも、基本的に自分を“触媒”のようなものとして、何かを映し出したり、繋いだり、響かせたり、ということをとにかくやっていこうというだけですね。それは音楽のために……というと大きく捉えられてしまうかもしれないけれど、それくらいの思いはあります。音楽をつくることを通じて、小さな出会いとか、つながりを確かなものとして感じたり、愛おしいものとして感じたりすることの連鎖でこの世界を捉えたい、というか。世界を貫くイデオロギーとか、大きなパワーとか、そういうものにあまり頼らないほうがいいと思うところもあるんです。もちろん、科学や宗教を始め、世の中を貫こうとするようなこと、そもそものベースにあるようなことを学んだりするのは好きなんですけど、僕は音楽人ですから。そこは全然迷いがないですね。ただ、すごく忙しい(笑)。


ーーソロのアーティストだったら……と仮定したら、年に何枚ものアルバムを出しているくらいのお仕事の量です(笑)。


小林:ただ、これがソロだったら、自分の生き方もいちいち問われなくちゃいけないから、なかなかこうはできないんだと思うんですけどね。僕の作品だと捉えてくださるなら、そこはご自由に、という感じです(笑)。
(取材=神谷弘一/構成=橋川良寛/撮影=神藤 剛)