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SMAP・香取慎吾はなぜ“キャラと素”の区別がないのか テレビ出演歴から人間的魅力を探る

2015年11月24日 07:01  リアルサウンド

リアルサウンド

(C)タナカケンイチ

 来年2016年1月からのTBSドラマ『家族ノカタチ(仮)』に主演することが明らかになるなど、相変わらずソロとしても活躍を続けるSMAP・香取慎吾。今回は、その魅力に私なりに迫ってみたい。


 SMAPが総合司会を務めた2014年の『FNS27時間テレビ」は、記憶に残る場面が多かった。そのなかで今でも時々思い出すのが、香取と中居正広が交わした“チャック談義”である。


 事の発端は『FNS27時間テレビ』のなかでの『ワイドナショー』特別版だった。そこに出演したSMAPに対し、それまで解散危機はあったのかという質問が発せられた。まともに答えることを避けようとする他のメンバーに対し、そのとき香取が「今まで何回かあったじゃん」と発言し、場がざわついた。


 “チャック談義”があったのは、その後の同じく「【未定】企画」でのメンバー5人によるフリートーク中のことである。中居が「解散の話とかあんますんなよ、あれマジで」「なんなのあの話、どこまでチャック開けるってそれぞれあると思いますけど、あそこのチャックを開けるつもりは俺はない」「あのさ、やっぱ開けてはいけないチャックってさ、あるじゃん」とチャックの例えで話題を『ワイドナショー』でのことに向けた。そしてしばしやり取りがあった後、香取はこう返した。「チャックとか考えた事ないかな。チャックとかって良くわからないし。別にチャックがあってそれで隠してるとか、開けられるとかそういうんじゃないから」


 「チャックのない人」。キャラと素というよくある言い方を当てはめれば、香取にはキャラと素の区別がない、そういうことになる。中居や他のメンバーがキャラと素の使い分けがあることを前提に話をしていたのに比べ、香取だけは少し違っているように見えたのが私にはとても印象的だった。


 もちろんこれもテレビカメラの前のやりとりなので、すべて額面通りに受け取れるかはわからない。だが実際、香取はこれまでもそういうニュアンスの発言をしてきた。例えば、映画監督の阪本順治が、あらゆる種類の仕事に追われる香取に「自分を商品のように感じることはない?」と尋ねてみた。すると香取は、「愛される商品ならいいんじゃないですか?」と答えたという(『THE SMAP MAGAZINE』)。自分は「商品」だと言い切れる人間が、他にどれほどいるだろうか。


 1988年のSMAP結成当時、まだ11歳だった香取のこれまでのキャリアを振り返ってみると、確かにこなしてきた仕事の幅の広さに驚かされる。


 一般的なイメージとして強いのは、世代や性別を問わず親しまれる明るい「慎吾ちゃん」的な部分だろう。それを決定づけたのは、中居と組んだ『サタ☆スマ』(フジテレビ系、1998年開始)のなかでの「慎吾ママ」である。夜7時台というファミリー向けの時間帯での人気は、現在の『おじゃMAP!!』(フジテレビ系)まで受け継がれている。


 「慎吾ママ」と言えば、そのコスプレにも目が行く。『SMAP×SMAP』で毎回披露される「おいしいコスプレ」もそうだが、ドラマや映画などでも、コスプレ色の強い役柄が多い。『新撰組!』、『西遊記』、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』、『座頭市 THE LAST』、そして最新映画主演作の『ギャラクシー街道』と、作品のテイストや現代劇、時代劇に関わりなく常に何かの扮装をしていると言っても過言ではないほどだ。


 もちろん、ファンの人たちは、それだけではないと言いたくなるに違いない。影を背負い、ダークな部分を持った役どころも多く、むしろそこに香取慎吾の魅力を感じる人も少なくないだろう。『沙粧妙子-最後の事件-』での犯人役、『未成年』での知的障害者の役、『ドク』でのベトナム人青年役、『薔薇のない花屋』の男手ひとつで娘を育てる花屋役など、いずれも「慎吾ちゃん」の明るいイメージとはギャップのあるものだ。


 だが、そこに香取慎吾という人間の素の部分が垣間見えるかというとあまりそう感じさせない。やはりチャックは見つからない。いつもコスプレをしている感じがありながら、チャックがないという矛盾。そこに香取慎吾の香取慎吾たるゆえんがあるのだろう。そう考えると、香取のドラマ初主演作が『透明人間』(日本テレビ系)であったこともちょっと暗示的だ。透明人間という役柄自体、多彩なコスプレ的仕事を一つひとつ完璧にこなしてきた彼のキャリアの原点を象徴にしているように思えてくるからだ。


 この『透明人間』の第1回放送は、1996年の4月である。そう、この連載でも前にふれたように、ちょうど『SMAP×SMAP』と『ロングバケーション』がスタートしたのと同じタイミングだった。香取は、例えば「BISTRO SMAP」での料理経験がなければ「慎吾ママ」もなかったというように、歌、芝居、バラエティ、MCと自分の仕事の振り幅はすべて『SMAP×SMAP』から得たものだと語っている(『SMAP×SMAP COMPLETE BOOK VOL.5』)。そしてそのとき、『ロングバケーション』と同時に『透明人間』が始まった。その対比で言えば、香取は、木村拓哉の「カッコよさ」に対し、さまざまなコスプレを演じる「商品」としての自分自身に磨きをかけていく覚悟を決めることで、プロフェッショナルとしての自らの生きる道を切り開いていったのではあるまいか。


 ただ、それ以前にも大きな出会いはあった。「欽ちゃん」こと萩本欽一との出会いである。1994年、17歳の香取は萩本の番組『よ!大将みっけ』(フジテレビ系)にレギュラー出演、バラエティでの才能を萩本に大きく認められることになる。共演者がお笑いの大先輩ばかりで“修行”のようだったが、萩本は「やりたいようにやってごらん」と言ってくれたと本人の弁にもあるように、よほど香取の笑いのセンスに光るものを感じていたのだろう(『SMAP Year Book 1994-1995』)。その後2002年、1979年から続く長寿番組『全日本仮装大賞』(日本テレビ系)で萩本とともにMCを務めるようになったのは、周知の通りだ。また、三谷幸喜作コメディの主役を数多く務めるようになっていくのも、元をただせば萩本との出会いによるところが大きかったようにも思う。


 以前『中居正広の怪しい噂の集まる図書館』(テレビ朝日系)に出演した際に語っていたことだが、萩本は、1970年代から80年代にかけての人気番組『欽ちゃんのどこまでやるの!?』をやっていたとき、テレビのことをずっと考えるためテレビ朝日のリハーサル室に組まれた番組の家のセットに半年住んでいたことがあったという。半分はシャレかもしれないが、いかに当時萩本がテレビの世界にのめり込んでいたかを物語るエピソードだ。


 だが小学生からSMAPであった香取には、わざわざそうする必要もなかった。あるインタビューで彼は、SMAPについて「100%仕事と思いながらも「香取慎吾」という個人もそこに同時に存在する不思議な感覚」があると吐露し、「自分が“この世界でしか生きられない生き物”である」という強い自覚を語っている(『SPA!』2014年7月22・29日合併号)。


 つまり香取にとって、芸能界、そしてテレビの世界が世界のすべてだ。そしてそんな自分を客観的に見つめ、「生き物」と表現する。香取には、他にもまだまだ語りきれないほどの魅力があるだろう。しかしこの「生き物」という一語からだけでも、そのたどってきた道のりと併せ、香取慎吾という人の持つ凄みが伝わってくるように思う。(太田省一)