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『嵐が〈崖っぷち〉アイドルだった頃』完結編 卓越したセルフプロデュース力を読み解く

2015年11月23日 07:01  リアルサウンド

リアルサウンド

(C)タナカケンイチ

 『嵐が〈崖っぷち〉アイドルだった頃』と題した三部作を本コラムで書いたのは、今年の初め。「もう1本だけ完結篇を書きます」などと予告しておきながら、気がついたら半年も経っていた。すまん。


 私が特に頻繁に取材で逢っていたデビュー5周年前後の2004~06年の嵐は、いまでこそ〈ブレイク前夜〉と美化できるけれど、その当時で見れば既に〈崖っぷち〉という危険水域に差しかかっていた。だって後発のKAT-TUNには瞬殺で追い抜かれたし、事務所サイドの嵐に対する関心というか熱意も、私にはNEWSとどっこいどっこいに映ったものだ。


 だからあの頃の嵐にはもはや、なんとなくだが厭戦感が漂っていたような気がする。言い方はまことに失礼なのだけども――「このままV6みたいになっても、それはそれでいいんじゃないの?」的な。私も実はそう思っていた。


 ある意味のほほんとしていたのは、「辞めたい」を連発してたリーダーと動物相手の仕事に十二分満足の相葉ちゃん。そもそも大野が呼ばれてた〈リーダー〉とは単なるニックネームなのだから、その停滞感はハンパない。当時から私はヴォーカルもダンスも大野のスキルはジャニーズで一、二を争うと公言してたので、なんとももったいなかった。


 また、心に作った棚に嵐をひとまず置いた風情の二宮は二宮で、自作の舞台台本を書いたりと自分磨きに励んでいるフシがあった。


 それでも、何の他意もなくただひたすらジャニーズ・アイドルとしての成長を夢見る、〈100%天然の向上心〉松潤と、「このままフェイドアウトじゃ恰好悪いし、プライドが許せない」的な〈自尊心こそ最大の原動力〉櫻井の二人は、おのおの自分なりの意地は張ってたように思う。いまだから書くけれど、あのころの櫻井は単純明快な上昇志向の松潤をかなり意識していた。ライバル視、というやつだ。でも相手の松潤がなーんも気づいてないから成立しなかったとこがまた、嵐らしいと改めて思う。あはは。


 だってあの仲のよさはミラクル! だったのだ。備忘録を久々にめくろう。


――――――――――


市川「24時間テレビ(←2004年の初司会バージョン)における相葉ちゃんのメンバーに向けた手紙コーナーが、一般音楽ファンの間で話題になってる。嵐の異常な仲のよさが露呈しちゃったもんだから、『嘘ぉーっ』とか『こんなに純粋な人たちがまだ地球上にいたとは!?』みたいな」
櫻井「いやらしい話ですけどね……どうしても評判よくなりますよね(不敵笑)」
市川「ばはははは!」
二宮「やっぱ素が出ちゃう」
相葉「隠してるのに、仲いいとこ」
市川「グルで嘘つくのやめろ」
松潤「上手く見せられたね?」
二宮「……『うっせーなー』みたいな顔してんなよリーダー」
大野「大野でぇーす♡♡♡(満面笑)」
市川「(無視)にしても最近、TVでも雑誌でもやたらメディアで嵐の〈仲のよさ〉ばかりが露出されてるような気がするよ?」
松潤「多いっスよね。でも俺らはそれが普通だから――なんか気まずいよね?」
大野「嘘ぉ」
二宮「なんか悪かったのかなと思うもん、雑誌に書かれると」
市川「なかよしですいません、みたいな」
全員「あはははは」
櫻井「じゃなかよしエピソードを一つ、駄目押しで入れとくと――この前メンバー全員でメシに行ったんですよ。そしたら相葉ちゃんが、『歌唄いてー!』と言い出して」
相葉「そしたら皆、最初すごい退いてんですよっっ」
櫻井「でも1時間後には皆、肩組んで合唱! になっちゃって(失笑)。しかも『今日は何の打ち上げだったっけ?』みたいな」
大野「しかも自分らの曲しっかり入れて」
市川「俺この仕事20年以上やってるけども、ここまでとことん和気藹々な連中に初めて遭遇しましたわ」
相葉「本当ですか!?」
松潤「ちょっとキモいですよね?(不安笑)」
市川「うん(←きっぱり)。こころなしか松潤だけ若干退き気味のような」
松潤「俺そのときあまり呑んでなかったから退き目に見てたんですけど……不思議な光景でしたよ。というか僕が、体調が悪くて盛り上がれなかっただけなんですけど(苦笑)」
大野「一人熱いお茶飲んでましたから、『寒い』つって」
松潤「風邪ひいてたので。で『皆で愉しそうにしてるなー♡』という印象ともう一つは――店員さんが入ってきても誰も気にしてないんだけど、その店員がマジ退いてて(失笑)」
市川「そりゃ退くよ、カラオケBOXで自分たちの持ち歌唄って異常に盛り上がってるアイドルに遭遇しちゃったらさあ」
大野「SMAPさんが♪おんりーわん! とか唄ってたら俺も退くもんなー(←他人事)」
櫻井「前に俺だけいなくて四人でカラオケに行ったらしいときは、翌日その四人が各々ソロで唄ってる曲が入ったCDを記念品で貰ったんですけど(苦笑)」
相葉「おみやげはちゃんとしないとね」
市川「だから作るなよそんな変なスーベニア」
全員「あはははは!」
松潤「むしろネタにしてますからね、仲いいのを(愉笑)」
櫻井「ちょっと幼なじみみたいなとこもあるから、滅多なことじゃ喧嘩になんないですし」
二宮「殴り合えないでしょ?」
相葉「そういうことなんだよねそういうことなんだよね(←身悶える相葉ちゃん)」
櫻井「気持ち悪い(失笑)」


――――――――――


 そんな〈一般人以上アイドル未満〉な嵐になぜか後ろ髪をひかれ、彼らから目が離せなくなった。当時〈創意工夫二世代住宅〉V6も頻繁に取材しており、この2組を〈代々木第一体育館担当ジャニーズ〉略して《代ジャニ》と秘かに呼んで応援していた、マニアックな私なのだ。いま思えば、単なる判官びいきだったような気がしないでもないでもないでもないでもない。


 でまあ言うまでもなく、いまではその嵐が日本最強のスーパーアイドルの座に君臨し続けている。それを最近最も実感したのが、《キリン午後の紅茶》のCMだった。


 本人出演はないのに、07年のヒット曲「Love so sweet」が8年後のCMで流れるのだ。しかも洋楽や日本のロックではなく、アイドルの楽曲が。一時は明日すら見失いかけていた、あの嵐の歌がである。つくづく感慨深い。


 というわけで、あえて《崖っぷち三部作》を書くことで嵐の本質を論じてみたのだが、時期も同じ今春、〈あの頃〉の嵐を元側近スタッフ一同が匿名で語った非公式本『嵐、ブレイク前夜』が、出版された。おもいきりカブってるじゃんコンセプト。しかも向こうは15万部を超えるベストセラーになっちゃうのだから、笑うしかないけども。


 ちなみにこの本の版元は主婦と生活社。同社発行の『週刊女性』がジャニーズ系の私生活を容赦なくスッパ抜くため、そのとばっちりで『JUNON』は現在に至るまでジャニーズ出禁の憂き目を見続けている。2001年夏、SMAPの記事の裏ページがDA PUMPの広告だったのが直接的な契機だが、要は「国家安康 君臣豊楽」――大阪冬の陣における方広寺の鐘銘みたいなもんだろう。


 とはいえ『JUNON』自体は《ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト》の強化や非ジャニーズ系アイドル、男優、スポーツ選手へとイケメン枠を拡げて新たなイケメン金脈を開拓できたのだから、素敵な怪我の功名だったに違いない。そして『JUNON』1誌に限ったことではなく、00年代中期にアイドルやミュージシャンを凌ぐイケメン俳優ブームが世間を席巻したことを考えれば、歴史的意義も兼ね備えたとばっちりなのであった。


 さてそんな因縁の主婦と生活社が〈とんでも嵐本〉を出したうえに、かの『週刊女性』誌上でも度々紹介しつつ嵐絶賛記事を載せ続けている。「背に腹は代えられない」の一言で片付けると身も蓋もないが、こんな便乗話ですら嵐の圧倒的な存在感の裏返しなわけで、まさに戦意喪失というやつだ。


 考えてみたら、当リアルサウンドも同時期に〈嵐本〉を発売してるのだから、目くそが鼻くそを笑ってはいけない。こうして好きに書いてる私だって耳くそだ。なので完結篇はお蔵入りさせる気でいたのだが、最近の嵐に少し想うことあってもう一度だけ書くことにする。


 〈和洋折衷=歌謡曲=日本〉のコンセプト・アルバム『japonism』といい、櫻井&松潤主導による布袋寅泰とのコラボ曲“心の空”といい、20周年以降の嵐は急速にアーティスト性が増している。これまでの「徹底的にカジュアル」な嵐から「圧倒的なまでにスタイリッシュ」な嵐へと、シフトチェンジした観がある。無論、悪いことではない。アイドルとしてここまで巨大化してしまったからこその、〈必死のオトシマエ〉なのだ。


 そんな「成長」にまだ慣れてないこっちはこっちで、実は面映かったりもする。しかし、セルフプロデュース力の標準装備が要求されるジャニーズ勢の中でも、嵐のセルフプロデュースは飛び抜けて的確だった。〈崖っぷちアイドル〉時代が長かった分、自分たちをとことん客観的に捉えられたのだ。そんな素敵な副産物が、嵐の可能性を最大限活かしきったといえる。


 そしてこれからはトップアイドルに相応しい〈特別なアーティスト〉感が求められるし、実際そちらに舵を切った。それだけにやはり、彼らの原点にもう一度触れておきたいと思った次第なのである。


 そんな嵐の優秀なセルフ・プロデュース力の一つの発露が、〈新兵器エンタテインメント〉だ。まだ立派な〈崖っぷちアイドル〉時代だった2005年7月、代々木第一体育館に出現した《ジャニーズ・ムービングステージ》、通称ムビステは衝撃的ですらあったと言える。


 唄い踊るメンバーたちを搭載したまま、床が透明ガラスの巨大な移動式ステージが、観客のすぐ頭上を通過するのだから斬新だ。なにせ大切なお客様の脳天をガラス越しに踏みつけまくるとは、不遜きわまりない。それでも推しジャニの股間の最接近を、女子たちは無上の悦びとして身悶える――これでいいのだ。


 ちなみに重ねる歳月と共に巨大化したり、出現した複数基が合体・分離を繰り返したりと、ムビステはメカニックとして進化を遂げ続けた。たしか2014年の年末ドームツアーでは165㎡、要は50坪まで巨大化したはずだ。『劇的ビフォーアフター』でおなじみの狭小住宅ならば、余裕で7棟は建つ。おお、ムービング町内会。


 さてこのムビステを考案したのが、松潤だ。その完成度に満足したジャニーさんから「ユーの好きな名前をつけていいよ」とお墨付きをもらった松潤は、堂々《ムービング嵐》と命名。しかし「他の皆も使うから」と舌の根も乾かぬうちに一蹴され、ムビステなる極めて凡庸な名称に落ち着いたのであった。ほとんど小学生男子のように悔しがってた松潤の姿が懐かしい。


 いつの間にか「嵐といえば新兵器エンタテインメント」な今日この頃。ムビステに象徴されるように当初は〈崖っぷちアイドル〉だからこそ、いろいろ試すのに最適モデルだった。しかし超スーパーアイドルな現在もなお、新兵器投入が止まらないのだ。


 《ドリームエーバルーン》は08年のドーム&アジア・ツアーだったか。地上30mに浮かぶ気球から吊り下げられた5人が、クルクル回転しながら唄っていた。映画『ヤッターマン』の撮影でワイヤー・アクション漬けだった櫻井の憔悴ぶりが、懐かしい。


 最近では昨年のドーム・ツアーで販売された、2500円の《うちわ型ARASHIファンライト》か。観客が持つうちわの裏面についた9個のLEDライトを無線制御システムで作動させるもので、ステージ上の演出に呼応して客席も瞬時に色が変わるという大袈裟さがいいじゃないか。「開発に3年掛かった」と胸を張る松潤が可笑しい。


 今年春のポール・マッカートニー49年ぶりの武道館公演では、装着を義務づけられた無料配布のリストバンド型LEDライト《フリフラ》が、やはり楽曲に応じてさまざまな色に染まった。アリーナ席が日の丸、スタンド席がユニオンジャックになるなどかなり頑張っていたが、明らかに松潤のおかげなんだろうなぁ。


 ここまでくると今年9月の宮城復興公演における、客のはるか頭上の青空を飛びまくる《ARASHI 3Dフライング》もきっと松潤発案に決まってる。そもそも〈世界初5点吊り5人乗りフライングシステム〉って、ここまでくると何が世界初なのかよくわからないが、たぶんきっと偉い。


 でも「皆を悦ばせよう」の一心でこれだけ新兵器を開発し続ける松潤は、もはやバイキンマン並みの天才発明家として讃えられねばなるまい。これもまた、卓越したセルフプロデュース力の一端だ。だがしかし、私は知っている――。


 例によって〈崖っぷち〉アイドル時代、読者からの「これから何か勉強したいことはありますか?」の質問に、松潤がおそろしく切実な表情で訴えてくるではないか。


「俺、絵を普通に描けるようになりたい。超本気で、切に願ってるいま。超下手くそなんですよ!」


 そこで急遽、馬だか犬だかの絵を即席で描かせてみる。松潤以外の四人は揃ってうつむき笑いをかみ殺し、私は「……悲惨だ」とおもわず呟いた。


「失礼な奴だな! あのね……『もっとこうしたい』というセットや衣裳のデザインを、表現する画力がないわけですよ。なので口頭で伝えてるから、手間がものすごい懸かるんですよ!(心叫泣笑)」


 あれから10年――松本潤のアイディアスケッチはスタッフに無事伝わっているのだろうか。ふ。(市川哲史)