東京都心から横浜方面に向かって東急東横線に乗ると、多摩川駅を出た直後に多摩川を渡る。進行方向に向かって右側の車窓を眺めると、新丸子側の河川敷に、コンクリートで出来た構造物を見ることができる。これが、日本最古の常設サーキットの面影である。
このサーキットは、多摩川スピードウェイ。鈴鹿サーキットが出来上がる30年近く前の1935年末(一部には1936年との説もあり)に完成した、日本最初の常設サーキットである。レースの初開催は1936年6月、第1回全日本自動車競争大會と銘打たれたこのレースには、本田宗一郎ら後に日本の自動車産業の基礎を作り上げることになるそうそうたるメンバーが出走していた。
来年は多摩川スピードウェイでレースが初めて開催されてから80年という節目の年。これを記念した『多摩川の歴史遺産 モータースポーツ発祥の地 多摩川スピードウェイ回顧展』が11月21日と22日の2日間にわたって、田園調布せせらぎ公園集会室・多目的室で行われる。これに先立ったトークイベントが行われた。
1周1200m、総工費8~15万円(当時)をかけて建設された多摩川スピードウェイ。最初のレースには、ひとり1円という当時としては高額の観戦料だったにも関わらず、実に3万人もの観客が訪れたという。そして本田技研工業を立ち上げる前の本田宗一郎が浜松号で、その他にも簗瀬自動車(現在のヤナセ)がレーシングカーに改修したインヴィクタ、日本の自動車産業黎明期に活躍したオオタ自動車(現在レーシングカーのパーツを多く手がけるタマチ工業は、オオタ自動車創業者の三男である太田祐茂氏が立ち上げた会社)、現在の日産自動車のルーツであるダットサンらが参戦していた。レースに勝利したのはオオタ号で、敗北を喫したダットサンは、第2回のレースでの必勝を期して、開発に勤しんだという。まさに現在の日本の自動車産業の基礎ともなった人物・企業が参戦していたレースだと言え、今回の回顧展の主催者が「多摩川スピードウェイなくして、日本の自動車産業の発展はなかった」と言うのも頷ける。
しかしその多摩川スピードウェイは、不遇とも言える運命を辿る。当時は戦争の足音が聞こえ出した時期。この影響を受け、同スピードウェイは数回のレースを開催しただけで消滅してしまう。戦中は耕作地として利用され、戦後は数回のオートバイレースが行われ、オートレース場への転身を図ったもののこれが認可されず、結局は自動車教習場やプロ野球の東急フライヤーズの練習球場などを経て、現在は草野球場になっている。
とはいえ、現在もその遺構が残っている。当時使われていたスタンドのコンクリート部分が、ほぼそのまま土手の一部として残されており、手すりを差し込んでいた穴なども確認することができる。残念ながら、ここがかつて多摩川スピードウェイだったことを示す表示は何もなく、近隣に住んでいる人も、ほとんどそのことを知らない。ただ、数年前に多摩川スピードウェイの遺構と確認され、一部新聞などで報じられてから注目を浴び、“多摩川スピードウェイの会”が様々なイベントと保存を計画。その第一弾として、今回の回顧展が開催されることになった。
この活動には、多くの地元関係団体も支援を表明している。大田区観光協会会長の田中常雅氏は「ものづくりの大田区のルーツは、多摩川スピードウェイにあったかもしれない」と語れば、大田区長の松原忠義氏は「多摩川スピードウェイをどう伝えていくのかを考えるのが重要。川崎市とも行政連携を図り、活用方法を検討していく」と語った。
またこの日のイベントには、今年のスーパーフォーミュラ王者に輝いたばかりの石浦宏明選手も出席。「まだチャンピオンを獲った実感が湧いてない」と言う石浦だが、実はこの地は石浦が生まれ育った地域。つまり、日本初の常設サーキットが存在した地で生まれ育ったドライバーが、日本国内最高峰のフォーミュラカーレースのチャンピオンとなったわけだ。「多摩川スピードウェイの存在を知ったのは、4~5年前。お世話になっているタマチ工業さんに教えてもらいました。自分が自転車で走り回っていた所に、こんな歴史があったなんて嬉しい。縁を感じます。日本の自動車産業のためにも、モータースポーツの歴史としても、ぜひ残していって欲しいです。いつかデモランが出来るようになればいいですね」と石浦は語ってくれた。
多摩川スピードウェイの会は、2016年に記念碑を建て、そして当時のレースを走った実車(3台が日本国内に現存しており、うち2台はホンダ・コレクションホールに収蔵されている)を招いたイベントを行いたいとしている。
『多摩川の歴史遺産 モータースポーツ発祥の地 多摩川スピードウェイ回顧展』は、田園調布せせらぎ公園集会室・多目的室(東急東横線/多摩川線『多摩川駅』下車すぐ)で11月21日と22日の2日間にわたって開催されている。また、多摩川スピードウェイの遺構は、いつでも訪れることが可能。日本のモータースポーツ発祥の地とも言える場所をぜひ訪れ、思いを馳せてみて欲しい。