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松尾潔が明かす、R&Bの歴史を“メロウ”に語る理由「偶然見つけたその人の真実も尊重したい」

2015年11月19日 18:21  リアルサウンド

リアルサウンド

松尾潔。

 音楽ライターとしてそのキャリアをスタートさせ、R&B界の大御所を次々と取材、近年は作詞家、作曲家、プロデューサーとして平井堅やCHEMISTRY、EXILE、JUJUなどを手がける松尾潔氏が、今年6月に音楽評論集『松尾潔のメロウな季節』を上梓した。90年代の華やかな米国R&B史を、自らのキャリアや取材体験とともに振り返りながら、音楽的史実を綴った新しい音楽評論本である同著について、リアルサウンドで連載『栗原裕一郎の音楽本レビュー』を持つ栗原裕一郎氏が、著者である松尾氏本人を直撃。3時間半に渡るロングインタビューのうち、前編では松尾氏のキャリアや同著を執筆した理由、R&Bに関する音楽書籍がこれまで少なかった背景などを、じっくりと語ってもらった。(リアルサウンド編集部)


――『松尾潔のメロウな日々』『松尾潔のメロウな季節』と2冊を拝読した感想を述べさせていただくと……


松尾:恐ろしいですね(笑)。


――とにかく情報量がすごいですよね。日本の音楽評論って、意外と、というかけっこう情報量の少ないものが多くて、いざ資料にしようと思うとまるで使いものにならなかったりすることが珍しくないんですが。


 それは割と歴史的に決定されてきたという印象を持っていて、60年代くらいにまずポピュラー音楽――当時は主に歌謡曲ですが――を論じ始めたのが、思想の科学だったり新左翼の人たちだったという事実があります。彼らはまあイデオロギーありきで論じていたわけです。それから『ミュージック・マガジン』と『ロッキング・オン』の時代になりますけど、90年代には『ロッキング・オン・ジャパン』のような特殊なフォーマットが一人勝ちの様相になってしまったという。


松尾:自慢ではないですが、ぼくは『ロッキング・オン』って一度も読んだことがないんですよ。


――この「リアルサウンド」の編集長は、実は『ロッキング・オン』出身なんですよ。


松尾:そうなんですか! 20年以上も前のことですが、山崎洋一郎氏と海外取材先で一緒になり、ウマが合って何度か飲みました。でもジャンルが違うから、双方ともお互いの仕事をよく知らない(笑)。同じ時代に生きていながら、ロック・ジャーナリズムとは無縁でした。だから本の書き方がよくわからなくて、我流でやったらこういうかたちになってしまったんです。いろいろな人から読後感が小説に近いとよく言われるんですが、自分は小説ばかり読んできたからしょうがないんですね。


――それがこの10年くらいでしょうか、音楽関連書の質が愕然と上がってきて、ひとつには、輪島裕介さんや大和田俊之さんなど優秀な学者のポピュラー音楽評論が出始めたことがあると思うんですね。それから、菊地成孔さんや大谷能生さんが「ジャズ・レコンキスタ」と言って、実作者、実演者の立場から批評に乗り出したことも大きかったと思います。


 松尾さんの本は、情報量も多くてポイントもきっちり抑えられていて、おまけに制作者の立場からでもあり、そうした傾向"以降"のものだなあという感想を持ちました。「小説に近い」というのは、ご自身のことを書いた部分を指しての感想だと思いますが、そういう「自分語り」が伝えられる内容と不即不離になっているのも、音楽評論やジャーナリズムには珍しいタイプですよね。


松尾:書き手であると同時に、証言者、目撃者であるということを、強く自覚しながら本を書いています。その場にいたのは自分だけなのだから、自分が書かなければいけないという義務感や宿命のようなものも感じていました。以前は人前でそういうことを語るのはいちばんカッコ悪いという考えでしたし、自分には単行本のような文化は似合わないとも思っていました。雑誌に書くことをメインにしていましたし、読み捨てられる文章であることに美学を感じてもいたから、昔の原稿や、出演した番組のビデオなども重要なものほど手元に残っていなくて。ジェームズ・ブラウンと一緒に日テレに出た映像とか。今となってはとても後悔しているんですが。


――活字はいかようにも探せると思いますけど、映像は難しいかもしれないですねえ。


松尾:探さないといけませんね。自分のアーカイブスがぜんぜん完成しないので。そのせいで、25年以上も前に行なったインタビューの文字起こしなどをもう一度やり直す羽目になったりして、効率悪いですよね(笑)。


 話が逸れましたが、1次的な情報というか、自分が目撃した情報を書き留めるということは強く意識しています。


――自分がソースであることにこだわると。松尾さんはその点ではやっぱりジャーナリストなんですよね。


松尾:直接取材とか対面取材がベースになっているから、過去に活躍したような人のことも自信を持って書けるんですね。現在の音楽シーンについて書いて欲しいという書籍の執筆依頼も来るんですが、それだと見立て、自分が体験していないことに対する見立てでしかなくなってしまうと思うんですよ。自分自身もきちんとした取材に基づいた本が読みたいですし、取材した事実にその人のイマジネーションがプラスされて語られていれば、そのほうがなお良い。出来事とともにそのときの自分の心情を書くことは、事実に付随したものとして認められますが、実際の発言ではないこととか、目撃していないことから論を構築していくことは自分には向いていないですね。


――妄想みたいな評論というのはよくあります(笑)。


松尾:妄想力が豊かな人もたくさんいますし、そういう人が活躍するマーケットもあるとは思うんですが。


――90年代から2000年代にかけてというのは、言論が全般的に妄想じみたことに説得力を持たせる方向で動いていた時代だったと思うんですよ。たとえば人文学なんかでも、理論を強調しながら、その理論自体が論者が自分勝手にこしらえた妄想の体系だったりとか。まあ、宮台真司なんかまさにそうですよね。


松尾:そもそもが虚構であると。


――虚構の理論で現実をさばいて、その切れ味をアピールするみたいな。ところが2000年代半ばくらいからかな、そういうものへの批判もあって、エビデンスや事実を重視するやり方が強くなってきます。それは各ジャンルに言えると思うんですけど、音楽言説はとりわけその傾向が強かった気がします。最近の音楽ライターに現場主義的な人が増えているのも、その流れかなと。


松尾:たしかにそういう流れに対して自分は素直かもしれませんね。エビデンスにプライオリティを置くということで。


――松尾さんは行動原理からしてエビデンス・ベースですよね。日本人でここまで取材をしてきた人って他にちょっと見当たらないです。


松尾:ただ今後はもうああいう活動は誰にもできないでしょうね。マーケットがあったからそういう取材もできたわけですし。1冊本を書くのに、どれだけ取材にカネ掛けているんだと自分でも読み返して呆れてしまいます。


――もはや音楽業界に限らず、ジャーナリズム全般で取材にカネを掛ける体力がなくなってます。


松尾:ノンフィクションの世界では、本当にお金がなくて大変な状況だとよく言われていますね。


――松尾さんのご本は、80年代から90年代にかけての、日本の景気が良かった時代のモニュメントである、とも言えますね。


松尾:それはぼくも自覚しています。ぼく自身もバブルの頃はエムザとかに入り浸っているような若者でしたが、当時から「終わりのはじまり」というのを感じていました。「今は元禄時代のようなものだな」という感じで。


――ガイのところですね(「われらの時代」『松尾潔のメロウな季節』)。


松尾:そうです。先日、とある事情でセンチメンタルな気分になったとき、これって初めてじゃないぞ、若い頃にも同じような気持ちになったぞと。そういうところは意外に変わっていないんだと気づいて、元気が出てきました(笑)。


・人間賛歌とメロウであること


――取材に関して言うと、『デスメタルアフリカ 暗黒大陸の暗黒音楽』という本が最近出版されて話題になってるんですが……


松尾:ああ、はい。知ってます。


――ハマザキカクさんという編集者が、インタビューから執筆、編集、DTPまで1人でやったというすごい本なんですが、アフリカのデスメタルバンドなんて調べるだけでも大変そうなのに、どうやってコンタクトを取ったのかと思ったら、フェイスブックなんです。フェイスブックでアプローチして、電話取材などを取り付けている。


松尾:なるほど。ぼくは“現場に居合わせる”ということにも事実と同様か、それ以上の意味を見出しているんですね。「ロスト・イン・言語化」と自分では呼んでいるんですが、どんな人でも情報を整理して言葉にするときに、何かが失われるとまでは言わないですが、それに近いことがあると思っています。


 たとえば、ホイットニー・ヒューストンとボビー・ブラウンは離婚訴訟を起こすようなことになりましたが、仲睦まじいときもあったわけです。ぼくはそういう時期に直接彼らに会ってそのさまを見ています。でも、ホイットニーが不慮の死を遂げた後に日本語で書かれた文章を読むと、不仲のイメージに合うようなものがすごく多かった。ぼくには、不仲になってからだけでなく、仲の良かったときのことも両方表現して公平性を保ちたいという気持ちがありました。それで、ホイットニーがまるでスタッフかと見紛う気取りのなさで、ボビーの仕事をサポートしながら愛娘の面倒を見ていた情景を書いたんです。


 だから、エビデンス的な動かぬ証拠だけでなく、偶然見つけたその人の真実も尊重したい、大袈裟に言うと、一瞬のなかに一生があるという人間賛歌の気持ちも強いんです。そういう考え方はちょっとロマンチックすぎるかなと逡巡する気持ちもあったんですが、1冊目の『メロウな日々』の評判が割と良かったので、2冊目の『メロウな季節』ではそういう部分をもっと出して……


――さらにメロウにしたわけですね。


松尾:よりメロウにしたんですよ(笑)。 


――そのあたり割と、松尾さんと菊地さんには似ているところがあるかなと思いました。決め所の決め方と言いますか、衒いを怖れない見栄の切り方と言いますか……。


松尾:彼もぼくも、どうしてもペダンチックになるきらいはあると思います。


――世代的なこともあるかもですね。


松尾:古典的な教養主義の最後の世代くらいじゃないですか。


――ある世代以下の人は、こういうメロウな文章はあまり書かない、というか書けないですね。


松尾:インターネットではもはやオジサンのブログだけですね。音楽を語っているブログではこういうメルヘン・タッチなものを見つけるのは難しいかも(笑)。


――過剰にデータ主義的か、でなければ感情過多か、極端に振れがちなのかな。松尾さんも『スペインの宇宙食』で菊地成孔という人に興味を持ったとおっしゃっていましたが(菊地成孔&大谷能生『アフロ・ディズニー2』)、あのエッセイ集が出たあとのいち時期、菊地エピゴーネンがわっと現れましたよね。あれは、ああいうペダンチックな文章が当時は珍しくなっていたがゆえの現象だったと思うんですよね。我々の世代にはどこか懐かしいテイストに感じられたけど、若い人たちには新鮮に映ったんだろうなと。


松尾:菊地さんもそうですが、ぼくが読み手として惹かれてきたのは、主観を過剰に出すわけじゃないんだけど、出すことを厭わないタイプの書き手ですね。たとえばぼくが2000年に出した『東京ロンリーウォーカー』は、開高健の『ずばり東京』(1964年)がインスピレーションです。


 自分の書いた本について「小説っぽい」とか「音楽にかぎった本ではない」という感想をよくもらうんです。そういう人に「ではどういう本を連想されますか」と質問したことがあるんですが、吉田修一の小説を髣髴させるという答えが複数ありました。具体的にはおそらく、『横道世之介』のような彼自身の体験を反映した青春小説のことだと思うんですが。


――ああ、なるほど。


松尾:吉田さんとは面識がありますが特に意識したことはないですし、彼の作品よりは常盤新平さんの『遠いアメリカ』などの、好きな文化に食らい付きながら自己を実現していく小説のほうが似ていると思うんですけどね。


 司馬遼太郎の『街道をゆく』という紀行集の中に、歴史的な場所を訪ね歩いているときに若い頃の意識が突然蘇るという場面があります。そういう描写というか手法は嫌いではないですね。


 ぼく自身はまだ読んでないですが、ソマリランドについて書いていらっしゃる早稲田大学探検部出身のノンフィクション作家・高野秀行さんの本の読後感に似ているというのも何人かに言われたなあ。肌の色が違う人の住む場所に潜入して得た希少な体験を書いているという点で似ていると思われるようです。


――「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それを面白おかしく書く」が高野さんのモットーだそうです。松尾さんもある意味で冒険家ですものね。


松尾:おしゃれな言い方をすれば、ぼくの場合は「都会で冒険した」ということになりますか(笑)。アーバン・アドベンチャーです。


 ちなみに「アーバン」という言葉は、アメリカの音楽業界や放送業界では「都会的」という意味ではなくて、「アフリカンの」という意味合いで使うことがほとんどなんですね。たとえばレコード会社で「アーバン・セクション」と言った場合、R&Bやヒップホップの担当を指します。


・小説というフォーマット


――西寺郷太さんの『プリンス論』なんかも、自分の経験を主体的に交えながら対象を論じているという点でちょっと似た感じがあるかなと思いました。あの本も書き手が作り手だから成立している面があって、評論家だとちょっとできない。評論家というのは基本的には観客の立場だから、主観を重ねるのには無理があるんですよね。


松尾:90年代に『bmr(ブラック・ミュージック・リヴュー)』という雑誌に連載していたときも同じようなタッチで書いていたんですが、評判はあまりよくなかったです(笑)。最近になって「愛読してました」とおっしゃる方がたに出会うことも増えましたが、当時は「また自分のことを書いている」という悪評ばかりが耳に届いてましたね。


 でも、音楽プロデューサーという立場になると、同じようなことを書いているのに、「松尾さんの作る音楽の源はこれだったんですね!」と言われる。それは先ほど栗原さんがおっしゃった通りかもしれないですね。


――内容の善し悪しがすべてってよく言いますけど、実際は、話す人の立場や来歴って判断にすごく影響してきますよね。


松尾:そういうことはありますよね。かつて平井堅さんをプロデュースしたときに、メイズという黒人コミュニティ御用達バンドの中心人物、フランキー・ビヴァリーをイメージ・サンプリングしました。平井さんの『gaining through losing』(2001年)というアルバムです。


 メイズは黒人コミュニティのシンボルだから、ヒップホップでも盛んにイメージも含めてサンプリングされているんですが、そんな作品が世に溢れてくると、元ネタが何だったのかだんだんわからなくなってしまうんですね。


 『gaining through losing』の表題曲は、「流星雨」というタイトルで台湾のF4というグループにカバーされました。ありがたいことに大変なヒットになって、今では中華圏の定番的な曲になっているんですが、彼らのほとんどは原曲が平井堅だということを知らないんだそうです。この曲がフランキー・ビヴァリーへのオマージュであるなんてことは当然ますます知る由もないでしょう。


 でも、それでいいんじゃないかと。どれがオリジナルでどれがカバーかサンプリングか渾然としてわからないような、どれもがオリジナルであるかのような音楽のあり方があってもいいんじゃないか。今の自分がクリエーターの立場からそういうことを語れば読み物として成立もすると思い、実際『メロウな日々』でも日本人のオリジナル信仰について言及しました。でもほぼ同じ内容を音楽プロデューサーの肩書きがなかった20代で書いたときには、調子に乗るなという批判が多かったことを鮮明に記憶しています。


――やはり説得力に違いは出てきますよね。


松尾:以前、ぼくが好きなライターの山崎まどかさん、長谷川町蔵さんとお食事していたときに、創作とは?みたいな話題になったことがあって。ぼくは「たとえば〈創作〉の代表的形式である小説よりも面白い読みものがある。おふたりの『ハイスクールU.S.A.』のように」と忌憚なく伝えたんですが、おふたりともご謙遜もあるのか「松尾さん、いろいろな見方があるんですよ」というお返事でした。


――それはぼくもわかりますね。


松尾:そういうものですか。でもたとえば、川端康成の小説よりも、吉田健一の評論に心が惹かれたときに、後者のほうに進みたいと思うのも自然なことだと思うんですが。


――個人の資質や嗜好という問題もあるとは思うんですが、単純にフィクションとノンフィクションを並べたとき、やはり売れ方とか訴求力がヒトケタくらい違うんですよね。


松尾:扶桑社の『en-taxi』という文芸誌も、連載されていたリリー・フランキーさんの『東京タワー』が売れたからそのおかげで寿命が10年延びたというシニカルな見方をされるときがありますね。立川談春さんの『赤めだか』もベストセラーになりました。そういったヒットを生み出すことに、責任編集として関わっておられる文芸評論家の福田和也さんは自覚的なんだろうと思うんですが、でも自分がやることではないと見極めてもいらっしゃいますよね。


――どうでしょう、難しいところですよね。ベストセラーは狙って出せるものではないですし(栗原注:この収録後『en-taxi』の休刊が発表された)。福田さんも、評論なんだけど小説じみたものに挑戦していたこともありますし。佐々木敦なんかも、批評でありながら小説のように読まれること、というのに実はけっこうこだわっているんですよ。


松尾:栗原さんも、ご自身でそういうことを考えますか。


――考えますね。


松尾:実際いろいろとお書きになりますよね。


――小説も、各方面から書けとは言われます。自分でも、アウトプットの形態として小説というのを考えないではないんです。ぼくなんかの仕事は、ある事象なり事実なり人物なりについて調べたことを、あるまとまりのある視点で読者に差し出すことですが、それを普通に表現すれば評論というノンフィクションの体裁になるわけです。でも、その「まとまり」を「物語」と捉えれば別に小説でもいいといえばいい。たとえば松本清張なんかは、やってることは本質的にはノンフィクションですけど、アウトプットは小説なんですよね。


松尾:たしかにそういうかたちに落とし込んで広い読者を獲得していますね。


――山崎豊子も近いと思うんですが、そう考えると、フィクションという表現形態の力はやはり大きいんですよね。そこはけっこう悩みますね。才能の問題もありますし。


松尾:ぼくも、ディスクガイドの機能を、いわゆる類型的なディスクガイドではないスタイルで書いてみたというところもあるんです。


――ディスクガイドってなぜか売れるんですよね。ディスクガイドしか売れないというべきなのかもしれないんですけど。松尾さんの狙いは、物語的なディスクガイドだったということですか。


松尾:ディスクガイドと対立するような概念ではありますが、できるだけ一筆書きのように書いて、一筆書きのように読んで欲しいということは心掛けています。


――一筆書きのように読むには情報量が多い(笑)。


松尾:知らない名前が多くて引っ掛かるということはないですか。「松尾さんの本は、PCを前にしてYouTubeで逐一確認しながら読まないといけないので大変」と言われることがあります。


――それは松尾さんのご本に限らず、最近の充実した音楽書はおしなべて読むのに時間が掛かるようになってきていて。長谷川町蔵&大和田俊之『文化系のためのヒップホップ入門』も、音源をざっと確認しながら読んでいたら、読了するのに1週間くらい掛かりました(笑)。


松尾:「遅読を強いられる」とぼくはよく言うんです(笑)。


――高橋健太郎さんの『スタジオの音が聴こえる』も、書評するつもりがあったのでちょっと丁寧に音を聴きながら読んでいたらものすごく時間が掛かってしまって。忙しかったせいもあったんですが1カ月くらい掛かったかな。それで書評のタイミングを逃してしまうという。松尾さんの前著『メロウな日々』も、書評する気満々で買ってきたのに、やはり音源首っ引きで読んでしまってタイミングを逃したケースでした。


 これやってると、良い本ほど書評ができなくなっちゃうので、ちょっと考えないとまずいんですが。


松尾:あるインタビューで「この本は何を書いたものですか」という質問をされたとき、「〈時間〉を書きました」と答えました。音楽が流れる時間の豊かさを、ぼくなりの表現で書いたという意味ですが、そのときに「読むのにも時間がかかる本ですね」と皮肉まじりに返されたのを、今思い出しました(笑)


――タイトルの「日々」や「季節」も、「時間」に掛けて付けたわけですか。


松尾:そうです。「時間」と書いて「とき」と読ませるとかいろいろな案が出たんですが。このまま巻が続いていったら、最後は「メロウな世紀」とかになっちゃうかもしれません(笑)。


――どんどんスパンが大きくなって(笑)。とりあえず次巻が出るとしたらどんなタイトルに?


松尾:そうですね……、箸休めということではないですが、このシリーズで出すとしたら、次は、あえて正統派のディスクガイドをやってみてもいいかと考えています。


 装丁の色にちなんで、『日々』のほうは「赤メロウ」、『季節』は「青メロウ」と呼んでいるんですが、そうしたら次は「黒メロウ」かな、なんて話は出てますね。他に「黄メロウ」という案もあります。ぼくは、アメリカやヨーロッパなどを行き来していたライターの時代を経て、軸足を日本にしっかり置いて音楽制作をする立場に進んだわけですが、日本というものに向き合うのなら「黄色」をイメージカラーにするのがいいだろうということなんです。


――日本版の構想というのは最初からあったんですか。


松尾:当初はあったんですが、生々しくて書けない話ばかりで……。逆に言えば、『日々』も『季節』も外国のアーティストのことだからこういう形式で書けたのかなと。だから先ほどお話に出たみたいに、小説というかたちに落とし込んでフィクションということにしてしまえば、出版できるかもしれません。それでも読む人が読めば、誰のどういうことを書いているのかわかってしまうかもしれませんが(笑)。


――モデル問題はこじれるとやっかいですからね……。純粋な小説の打診はないですか。


松尾:ええ、以前から出版のお誘いはいただいています。でもぼくのほうからこれ(『メロウな日々』)を先に出版させてくれと頼んだんです。それなのに続編まで出しちゃったものだから、先方は「話が違うんじゃない?」と気を悪くされてるかもしれません(笑)。予定では小説は今年のうちに完成していなければいけなかったんですが、間に合わせるのはちょっと無理そうです。


――モデルと言えば、直木賞を受賞した西加奈子さんの『サラバ!』の主人公、あれ、モデル、松尾さんじゃないですか!?(笑)


松尾:ディアンジェロの宣伝ポップを書くフリーライター(笑)。周囲からも「あれ、松尾さんじゃないの?」と言われまして、意識して読むと「そうかな?」とは思いました。あの主人公の、いつでも自分らしくあることに忠実に生きているようなところも、何となく自分に似てなくもないですね。まあ何より西さんの分身なんでしょうけど。


――世界を股に掛けてVIPたちに会いに行くフリーライターなんてそうそういないですから(笑)。西さんとご面識はあるんですか。


松尾:ないです。ただ、ディアンジェロ『Brown Sugar』のことを書いていらっしゃるからには、ぼくがあのアルバムに寄せたライナーノーツ(『メロウな日々』に収録)も読んでくださった可能性はあるな。どうでしょう。


――文芸の人たちは意外と気づいていないみたいで。


松尾:栗原さん、ツイッターで呟かれてましたよね(笑)。


・R&Bが語られてこなかった理由


――この2冊は、R&Bシーンについてのジャーナリスティックな記録であると同時に、R&Bの歴史を叙述した本でもあると言えると思いますが、日本ではこれまでR&Bに関する書籍って少なかったですよね。R&Bに関する言説自体が少ない。


松尾:その理由は簡単だと思います。ジャズやロックに関しては長い歴史があり、「あの人はジャジーだね」とか「あの人はロックな人だから」などの言葉でキャラクターを定義できますが、R&Bについては、その人のキャラクターを表す言葉になりえないところがあると思うんです。アメリカではR&Bと言えばもはや「黒人の歌もの」というイメージしかないでしょう。「R&B」という言葉自体は、その中に「ファンク」や「ソウル」なども含まれてくる総称なんですよね。だからR&Bをジャンルと捉えて語っても、エモーショナルな内容にはなかなかならないんですよ。


――概念について語る体になってしまう……。


松尾:そういうことです。ぼくは80年代の終わり頃から学生ライターとしてR&Bに関わってきましたが、当時の日本では「R&B」という言葉を使う人はまだ少なくて、「ブラック・ミュージック」という呼称が使われていたものです。


――当時は「ブラコン(ブラック・コンテンポラリー)」って言われていましたね。


松尾:「ブラコン」には揶揄のニュアンスも入っていますね(笑)。


――ボビー・ブラウンの『Don't Be Cruel』が88年に大ヒットして、「ボビ男」と呼ばれる若いのが現れてきます。ちょうどその頃、菊池桃子が突如ラ・ムーというバンドを結成し「ロック・バンドです」とアナウンスして物議を醸しましたが、ラ・ムーって今聴くとファンクなんですよね。


松尾:ラ・ムー! 覚えてます。「ロック」でいうと、マイケルが亡くなったときにも「ロック歌手のマイケル・ジャクソンさん」という紹介をされていました。


――久保田利伸さんが86年にデビューしていたのに、ラ・ムーについて、当事者も批判する側もどちらも「ロックだ」「ロックじゃない」と言い合っていたという。そのへんに日本におけるR&B受容の混乱が象徴されていたのかもなあと最近考えるんですよね。


松尾:ロックではない何か、という程度の認識だったんですね。なぜR&Bが語られることがなかったか、それはつまり、語られるべき対象と見なされていなかったということに尽きると思います。


――菊地さんと大谷さんの、マイルス・デイヴィスの再評価をはじめとする一連のジャズ・レコンキスタで、30年くらい時間が止まっていた日本のジャズ批評が再起動したわけですよね。大和田&長谷川の『文化系のためのヒップホップ入門』もその流れの上にあると思います。


 そこに今回、松尾さんの本が出たことで、日本のブラック・ミュージック受容に長らく空いていたブランクがだいぶ埋まったんじゃないかと思いました。


松尾:R&Bはもともと夜の遊び場と密着していたので、語られなかったというよりは語るのが野暮とされていたかもしれません。


 たとえば「今回のアルバムはドライブのBGMにぴったり」という評価は、ロックだとディスるのに近いニュアンスがあるかもしれません。でもR&Bの場合は最高の褒め言葉のひとつなんですよ。機能性が重視される音楽なので。海外の人と話しているとよく聞く言葉に、「dine with wine」というのがあります。つまりR&Bはワインつきのディナーを食べるときなど、ちょっとおめかししたようなシチュエーションに似合う音楽だということです。


 ぼくとしては「芳香剤のような」という表現を採りたい。音楽がちょっと上質な雰囲気を演出するという意味です。ボビー・ブラウンの「Rock Wit'cha」に<Let's hear some Marvin Gaye>というフレーズがあります。<マーヴィン・ゲイでも一緒に聴こう>というのは、「アロマを炊くから一緒にくつろごう」というのとまったく一緒なんですね。機能性食品があるように、雰囲気作りのための「機能性音楽」というものもあるんです。


――リスナーが精神性を仮託したり、アート性を期待するような音楽ではないということですね。


松尾:今でこそいろいろなジャケットがありますけど、R&Bのアルバムって、80年代くらいまでは同じような構図のジャケットばかりだったんですよ。


 アイズレー・ブラザーズは、ファンクの世界では大物中の大物なのに一般的な知名度がほとんどなかったんですが、それはアルバムジャケットにも一因があると思います。カジノテーブルを前にメンバーがにこやかに並んでいる写真を見て(『The Real Deal』)、誰が自分の大切な青春を賭けようという気持ちになるでしょうか(笑)。


 ぼくはそういうナイトライフが楽しそうだと思ってお客さんになってしまったクチで。R&Bファンというのは大体似たような嗜好のお客さんばかりなんですが、その中にたまたま書いたり語ったりするのが好きなのがいたというだけなんですよね。突然変異です。アメリカ黒人音楽でもジャズやブルースはまた違いますけど。


――コルトレーンが深刻に受け止められたのは、ジャケットのコルトレーンが深刻そうに見えたからだという説を聞いたことがあります。『Blue Train』のジャケ、あれ実はアメしゃぶってるんだけど、とか(笑)。


松尾:マーヴィン・ゲイがR&Bの世界で別格視されていることの背景には、『What's Going On』のアルバムジャケが、雨に打たれて思索に耽るような表情だったことも影響していると思います。それくらいジャケットの影響というのは大きいんですね。


――そうは言っても、先ほどおっしゃったように、書き残さなければいけないという使命感もあったわけですよね。


松尾:いろいろな人から煽られているうちにというのもあるんですが、40歳を過ぎたこと、それから震災後にふたりの子供を授かったことが大きかったですね。読み捨てられる雑誌のようなものでいいと考えていたのが、タイムレスという考え方へ移っていったのは明らかに子供が生まれた影響です。


 そもそも「時を超えて残るもの」という考え方は、商業音楽を作る立場としては不潔だと思っていました。でもタイムリーであることを一義として世の中に送り出した「商品」でも、ものによっては未来へ残っていく「作品」になるということが、プロデューサーとして仕事をするうちに実感としてつかめてきたんですね。自分自身も、流行として生み出された音楽を20年、30年と聴き続けているわけですから。


――歌謡曲も聴き捨てられるものとして作られて、長らく低俗だと蔑まれてきたわけですが、残るものはちゃんと残ってますからね。大衆文化というのはそういうものですよね。その一方で、残るべきものであるという理念で書かれたはずの純文学なんかのほうが意外と残らなかったりする。戦後派文学なんてもはやほとんど読まれていないし、書店でも手に入らないです。


・好きだからこそやれたこと


――松尾さんの書く仕事についてもう少しうかがいたいと思います。まず音楽ライターとしてスタートして成功されて、途中から音楽制作へ軸足を移しそちらでも成功された。


松尾:ありがたいことです。


――ひょんなきっかけから音楽プロデュースを始められたわけですが、制作に手を染めた当初はライターを辞めることは考えて……


松尾:考えていませんでした。具体的な数字を紹介すると少し嫌らしいですが、自分がプロデュースしたCDが200万枚、300万枚と売れてからも、イニシャル700枚くらいの音楽DVDの解説なんかも書いていました(笑)。10年前くらいまでは依頼があれば解説などを書かせていただいていましたね。


――でも依頼が減ってきた?


松尾:ぼく自身が周りから、文章を書く仕事をする人間とは思われなくなったということはあると思います。


 でも、自分としては、プロデュースの仕事は成り行きで始めたようなものだから、いまだにフリーライター気質というようなものはあるんです。昨日も某ライブ・レストラン用にコメント原稿を書いたんですが、執筆料がわりにライブにご招待しますと言われて大喜びしたり(笑)。


――ぼくは松尾さんのような立場じゃぜんぜんないですけど、安くても書く原稿というのはたしかにあります(笑)。「青メロウ」によると、ライター業から制作へ重心を移すきっかけになったのは『BRUTUS』で酷い目にあったことだったとか。


松尾:あくまできっかけのひとつではあるんですが、すごかったですね、あのときの脱力感は。だって、ブルックリンまで行って大変なスケジュールの中でスパイク・リーに取材をして、原稿も誌面に収まるよう苦労に苦労を重ねて仕上げたのに、出来上がった雑誌には自分の署名がどこにもないんですから! 栗原さんもそういう理不尽はいろいろご経験だと思いますが……


――ありますね(笑)。昔は「なぜこれをおれに?」というのも請けちゃってたのでよくありました。


松尾:ぼくは、エンターテインメントと経済の関係を常に意識しながらやってはきましたが、Jポップの記事のほうが儲かるからと勧められても、いや、こっちのほうが好きだからと洋楽の記事を書いていました。音楽の制作者という立場になっても、自分の好き嫌いで仕事をジャッジするということは変わってないと思います。


――ライター時代も、意に染まない仕事をやることはあまりなかった?


松尾:ないですね。たとえば、20年くらい前に首都圏のFM局で、ぼくの名前を冠したダンスミュージックの番組ということで請けた仕事があったんです。元MUTE BEATのDUB MASTER Xさんが番組専属DJという触れ込みで。ところが次第にJ-POPも増やしてくれとか、挙げ句にはお笑い芸人さんたちをレギュラーに加えて番組をトークバラエティ化して欲しいとか、その種の要望が局から出始めたので、区切りの3カ月で辞めさせてくださいとこちらから申し出ました。そういうことは昔から我慢できなくて。


 あまりに理不尽を感じるときは番組の中で来週からもう来ませんと宣言して一方的に辞めてしまったこともあります。番組関係者はぼくがいっとき感情的になってるだけだろうと思ったみたいですが、以後8年くらいその局には足を向けなかった。長い絶縁状態のあとに先方から詫びが入ったら、それまでの反動で以前より懇意になったという恋愛みたいな話です(笑)。


 自分ではわりと穏やかな人間だと思っていますが、好きなものを守ることに関しては頑固ですね。音楽プロデューサーになってからも、意に沿わない仕事のときはプロジェクトを降りますし。


――フリーランスにはなかなかできないんですよね。


松尾:そうなんですよ……。それでもプロジェクトを降りるときは自分なりに相当の覚悟を決めるわけですが、後になってみればそのジャッジは大抵間違っていなかったと思います。


――その踏ん切りを支えているのは、何かしら失うことになってもかまわないという気持ちなのか、何とかなるだろうという自信と読みなのか、どちらですかね。


松尾:両方ですね。強い意志もありますが、それを裏付けているのは根拠のない楽観なんですね。


――これまでの成功体験が決意を支えているというのはないですか。


松尾:それほど成功の実績がないときから肝は据わってました(笑)。


――ライターとしてもとんとん拍子で成功されてきましたよね。


松尾:少なくとも経済的には。先駆者と呼ばれる方が多くはいなかった業界でしたし、正しい言葉かどうかわかりませんが、90年代の日本ではR&Bという音楽ジャンル自体がベンチャービジネスのようなものだったのかもしれません。


――それも才能ですよね。そういう領域を選んだというか選ばれた運命やセンスというのも。


松尾:この6年ほどやらせていただいているNHK-FMの冠番組(『松尾潔のメロウな夜』)でも、好きなもんですからずっと構成や選曲を自分でやってるんです。CDやレコードも全部ひとりで用意して。四半世紀前からずっと同じことをえんえんと。


 好きなことを仕事にするのはリスキーなことでもあるんだよと、音楽とは関係なく、これから社会に出る若い人たちにも話します。好きだから冷静なジャッジができないことがあるかもしれませんし、趣味を仕事にすることで趣味を失うのでは、という恐怖が自分にもありました。でも、好きだからこそやれたことがあり、その積み重ねでだんだん大きくなってきたんだと感じます。それが今では揺るぎない気持ちですね。逆に言えば、好きだと言えなくなったらやめるというのも勇気だと思います。好きでないことをずっと続けて失敗したら、それこそ自己嫌悪の元になるでしょ。


 好きで続けていれば失敗したとしても、割と素直に反省できるんです。失敗しても、好きだったということだけで十分元は取れているじゃないかと思えるんですよ。


――うーん、難しいところですね。それも松尾さんが社会的成功者だから言えることだという面がありますから……。


松尾:もちろん経済的なことも関わってきます。もともと大好きなことでなくても、報酬が大きければ「オレ、これ好きかも!」と思えるくらいの軽さはあります。こう言うと人としての重みはないですが(笑)。


――まあ、魂を売りますよね(笑)。


松尾:売るというか、本当に好きになってしまうという、めでたいところもあります。


――売ると言っても、本当にまったく嫌いだとできないんですよね、これが。


松尾:できないのは無関心なときですね。嫌いというのは、好きの亜種でしょう? たとえば、自分は福山雅治という人に長らく関心がなかったんですが、2、3年前に「あれっ、この人って少しクセがあるな、苦手かも」という「発見」があり、彼の名前を口にすることが増えてきた。つまり好きになってきた。で、最近になって結婚というニュースがあったでしょう。結果、ぼくは今、躁状態なのです(笑)。少しでも好きになりそうな芽を見つけると本当に好きになってしまうのは、子供の頃から転校が多かったせいもあるかもしれません。


――能動的に働きかけると、大抵のものは何かしら美点が見つかりますからね。


松尾:そうなんです。美点を見つけられるくらいの目はあるんです(笑)。おもしろがりっていうのかな。


――本当にダメなものも、歳を食ってくると少なくなってきますよね。許容範囲が広がるというか。


 女性に関してもそうじゃないですか?(笑) 童貞の頃は、身の程も知らないで非常に狭いゾーンで選り好みしていたわけですが、この歳になると、もう大抵の女の子は可愛い(笑)。


松尾:おっ、色っぽい話に行きますか?(笑)


――いやいや(笑)。


松尾:でも、たしかにそうですね。若い頃は何に対しても確固とした理想像というものがありましたしね。


 音楽の話に戻すと、ぼくはR&Bの曲で嫌いなものはないんです。「好き」と「大好き」という区別しかない。「退屈」と言われる曲は、ぼくに言わせると「安定している」曲なんです。食べものに関しても、人に対する趣味も、たしかにそうなってきているかもしれない(笑)。


(取材・文=栗原裕一郎)


【後編へ続く】