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80年代ハリウッドを席巻ーー『キャノン フィルムズ爆走風雲録』が描く、ある映画人の一代記

2015年11月19日 07:21  リアルサウンド

リアルサウンド

メナヘム・ゴーランとヨーラム・グローバス

 メナヘム・ゴーランって誰? きっと多くの人は、そう思うことだろう。しかし、『グローイング・アップ』(1978年)をはじめ、『地獄のヒーロー』(1984年)、『ブレイクダンス』(1984年)、『デルタ・フォース』(1985年)、『暴走機関車』(1985年)、『コブラ』(1986年)、そして『スーパーマン4/最強の敵』(1987年)など、ゴーランが製作した映画を観た記憶のある人は、少なからず多いのではないだろうか。周囲をあっと言わせる企画力とメジャースタジオには不可能なスピード感によって低予算の映画を大量に製作し、1980年代のハリウッドを席巻した映画会社「キャノン・フィルムズ」。わずか10年ほどの短い活動期間に、合計300本以上という膨大な作品を生み出したキャノン・フィルムズを、主に財務面を取り仕切る従弟のヨーラム・グローバスともども切り盛りしていた人物、それが監督兼映画製作者、メナヘム・ゴーランなのだ。


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 現在公開中の映画『キャノン フィルムズ爆走風雲録』(監督:ヒラ・メダリア)は、そんなゴーランとグローバスが率いたキャノン・フィルムズの歴史と、その知られざる舞台裏を描いたドキュメンタリー映画だ。飛ぶ鳥も落とすその勢いから、当時「GOGOボーイズ」と呼ばれていたふたりの貴重なインタビューを主軸として、ジャン=クロード・ヴァン・ダムなどキャノンにゆかりのある人物や、イーライ・ロスなどキャンノン映画の愛好家たちのコメント、そして豊富な記録映像によって描き出されるキャノン・フィルムズの全貌。彼らは、いかにしてハリウッドで成功し、そして失墜していったのだろうか。それが本作には、余すことなく描き出されているのだった。


 キャノン・フィルムズの歴史は、ある映画人の一代記であると同時に、1980年代の映画界を映し出す、貴重な記録にもなっている。彼らは、当時の映画界においては異例と言える、いくつもの斬新な施策を試みた。たとえば、従来別々の会社で行われてきた、製作、配給、興行をすべて自社で行うシステムを作り上げたこと。その試みは、やがて失敗に終わるものの、他者を介在することなく観客に映画を直接届けることは、多くの映画人にとって、ある種の理想と言えるだろう。そして、もうひとつは、今となっては普通に行われるようになった、キャストも脚本もそろっていない段階で、自社の映画を売りさばくこと。その黄金時代には、各国の国際映画祭の会場にキャンノンの巨大なブースが設置され、そこで未だ撮られていないどころかポスターしか存在しないキャノンの映画が、次々と売られていったという。無論、その背後には、雄弁な情熱家であるゴーランと資金集めに抜群の才覚を見せるグローバスの活躍があった。


 チャック・ノリスやチャールズ・ブロンソン、シルヴェスター・スタローン、そしてゴーラン自身が見出したジャン=クロード・ヴァン・ダムを主演としたB級アクション映画を大量に製作し、その一方でニンジャ映画やホラー映画など、ジャンル・ムービーの製作にも意欲的だったキャノン・フィルムズ。大衆の熱狂的な支持を背景に、低予算の作品を連発し続ける彼らの業界内での評判は、必ずしも良いものではなかった。しかし、彼らは単なる拝金主義者ではなかった。大手スタジオに干され、資金繰りに困っていたロバート・アルトマンやジョン・カサヴェテス、そしてジャン=リュック・ゴダールといったインディペンデントな監督たちに資金を提供して映画を撮らせたのは、キャノン・フィルムズの知られざる功績のひとつである。


 本作の公開に合わせて来日した、イスラエル出身の映画監督ヒラ・メダリアは、今回のドキュメンタリー映画にまつわるエピソードとして、次のようなことを語っていた。「最初にふたりと会ったときに驚いたのは、こちらの質問に対して、ふたりがまったく違う答えを返してくることでした。しかも、それについて、私のことはそっちのけで、延々議論し始めたりする(笑)。非常にオープンな性格で楽観的な情熱家ゴーランと、人間関係も含めてすべてが慎重な沈思黙考型のグローバス。ある意味、水と油とも言えるふたりのバランスこそが、キャノン・フィルムズを成功に導いていったのでしょう」。さらに、映画のなかでゴーランが怒り出すシーン……「失敗作はありますか?」という監督の質問に対して、ゴーランが頑なに返答を拒むシーンについて、彼女はこんなふうに語っていた。「結局彼は、失敗については何も応えてくれなかったわ。というのも、彼の辞書には“失敗”の文字がないから。それは“成功”についても同じで……『お気に入りの映画はどれですか?』という私の質問に、彼は常にこう応えていました。『私の最高傑作は、今私が作っている映画だ!』ってね。80歳を越えてもなお、彼は常に前を向いている。未来のことしか頭にない人なのよ(笑)」。


 しかし、今回のドキュメンタリーでも描かれているように、年を追うごとに資金面で窮地に立たされるようになったキャノン・フィルムズは、『スーパーマン4/最強の敵』の興行的な失敗によって、実質的な倒産状態に陥ってしまう。そして、それを契機にゴーランはグローバスと袂を分かち、キャノン・フィルムズを去ることになってしまうのだ。以来、数年前にニューヨークで行われたレトロスペクティヴの会場で言葉を交わすまでの数十年間、ふたりは一切連絡を取り合うことがなかったという。いわばふたりは、ある種の緊張関係にあったのだ。しかし、今回のドキュメンタリーの製作を通じて、再び言葉を交わすようになり、本作のお披露目となった昨年のカンヌ映画祭には、ふたりそろって仲良く登壇。そう、本作はキャノン・フィルムズの歴史を描いた作品であると同時に、かつて志を同じくして、苦労と喜びを分かち合いながらも、やがて袂を分かってしまったふたりの男たちの再会の物語でもあるのだ。過去を語ることによって、次第に融和してゆくふたりの関係性。その意味で、本作のラストシーンは、実に感動的なものだった。貸し切りの試写室で、かつて自分たちが作った映画をポップコーン片手に観るシーン。ここでもまたふたりは喧々諤々意見を交わし合うのだった。ちなみに、先述のカンヌ映画祭の3ヶ月後、メナヘム・ゴーランは85歳で、この世を去ることになる。その意味でも本作は、貴重なドキュメンタリーと言えるだろう。


 現在、シネマート新宿とシネ・ヌーヴォ(大阪)で同時開催している「メナヘム・ゴーラン映画祭」では、『キャノン フィルムズ爆走風雲録』のほか、「メナヘム/キャノン」関連の映画が数多く上映されている。日本でも大ヒットした青春グラフィティ映画『グローイング・アップ』(1978年)、ジョン・カサヴェテス監督晩年の傑作『ラヴ・ストリームス』(1984年)、ショー・コスギを一躍アクション・スターに押し上げた『ニンジャ』(1984年)、トビー・フーパー監督による異色SFホラー『スペース・バンパイア』(1985年)、ミッキー・ロークが主演したブコウスキーの自伝的映画『バーフライ』(1987年)、ジャン=クロード・ヴァン・ダムの初主演作『ブラッド スポーツ』(1988年)などなど。「これもキャノンだったのか!」と思わずにはいられない脈絡のないラインナップではあるものの、このヴァラエティこそが、「メナヘム/キャノン」の醍醐味なのだろう。正直、必ずしもすべての映画が名作とは言い難いけれど、『キャンノン フィルムズ爆走風雲録』を観たあとならば、きっと新たな発見や感じるところが多いであろうそれらの映画を、是非ともこの機会にスクリーンで堪能することをお勧めしたい。1980年代を猛スピードで駆け抜けていった男たちの「映画愛」が、そこに刻み込まれているから。(麦倉正樹)