「起きて半畳、寝て一畳、天下取っても二合半」と言われますが、極論すれば人は結局、自分の半径3メートル以内が世界のすべてです。いくら大企業の社長でも内閣総理大臣であっても、近くにいる人々との関係性が悪ければ、ふつうの人と同じようにストレスにさらされて、日々悩ましい日々を過ごすことでしょう。
そして自分の職場の状況に最も影響を与えるのは、その部署の管理職、マネジャーです。一番近くにいる権力者であるマネジャーの良し悪し(もしくは自分との適不適)により、自分にとってその職場が働きやすいかどうかが決まるわけです。
つまり会社単位で語られることが多い「働きやすさ」とは、個々人にとって目の前にいる「マネジャー次第」なのです。それでは「働きやすい」職場を作ることができる有能なマネジャーの条件とは、どのようなものでしょうか。(文:曽和利光)
有能なメンバーが無能なマネジャーになるのはなぜか
マネジャーになるような人は、基本的には有能な人です。部下から見て「働きやすい職場」を作ってくれないマネジャーは無能に見えますが、企業は人が思うより合理的ですから(そうでない会社は潰れていきます)、無能な人を昇格させることは多くありません。
ただし、メンバー(プレイヤーの社員)としての有能さと、マネジャー(管理職)としての有能さは異なり、それに適応できる人とできない人がいます。そして有能なメンバーが無能なマネジャーになってしまうのは、その多くの場合が「メンバーとしての有能さ」ゆえというところが悩ましいのです。
メンバーは組織にとって、顧客やマーケットとの最前線において全速力でベストソリューションを届ける役割の人です。その強みである「速い判断力」や「問題解決志向」が、「働きやすい職場」を作るマネジャーにとっては逆に弱みになってしまうことがあります。
業界や職種にもよりますが、有能なメンバーは判断が速い。変化の激しい現代においては、スピードが何よりも重要という局面が多いからです。しかし、組織を管理するマネジャーになると、時にそのスピードが邪魔をしてしまうのです。
正確な組織認識をするには「積極的判断停止」が必要
組織とは単なる物理的な「人の集まり」ではなく、組織を構成する人々の相互の「関係性」の集まりです。生物としての人の個体はもちろん目に見えますが、関係性は見えません。関係性は組織構成員の頭の中にある「心理的事実」であり、「物理的事実」ではありません。心理的事実は個々人の解釈が混入するためにブレが生じ、多様なものになります。
つまり、マネジャーが組織の現況を認識しようと、ある人に「今のうちのチームをどう思うか?」と尋ねて何かを聞いても、別のある人に同じ質問をすれば全く正反対のことが返ってくることがあるということです。
ある人を激賞する人もいれば、こき下ろす人もいる。みんな仲良く雰囲気が良いと思う人もいれば、危機意識や向上心がなく、競争の少ないダメなぬるま湯組織だと感じる人もいる。これが組織の常態です。しかも両方とも「心理的事実」ですから、どちらが正しいということもありません。
したがって、少ない情報で何かを決めつけてしまっては判断を間違うことになります。組織はできるだけ多面的に見る必要があり、その情報収集の間は何も決めつけず「積極的判断停止」することが重要なのです。
組織の問題は拙速には解決できない
多面的に組織を見て、組織の問題がようやくきちんと認識できたとしても、次のハードルがあります。それは組織には「慣性」があり、問題や解決の方向性が見つかったからといって、すぐには変われないということです。
上記のように組織は構成する個々人の「頭の中」にあり、直接的に触れることはできません。取り出して強制的に修正を加えて戻すことなど不可能です。マネジャーは日々の言動や会議体でのメッセージ、チーム構成やチーム内のルールなど、間接的に人々の心に影響を与えるものを徐々に修正しながら、組織を変えていくことしかできません。
ところが有能なプレイヤーだった「解決志向」のマネジャーは、理想像が見つかったらすぐに実行したい。例えばケンカして気まずい関係になっている2人を呼び出し、お互いに手を出させて無理やり握手させて、「な、これからは仲良くするんだぞ。はい、これで今までのことは終わりだ」というようなことをやったりします。
しかし、このように形だけ握手させても本質的な問題が解決されなければ、両者の仲が本当に回復したりはしません。むしろ無理にそのような「外科手術」をすることで、せっかくの小康状態を崩してしまい、大問題に発展していくことさえあるでしょう。
過去の自分を封印する「感情労働」を乗り越える
ここまで述べたことを一言で言うならば、「働きやすい職場」を作ることができる良いマネジャーになるためには、あえて「愚鈍」になろうということです。
メンバーなど他人の話は予見なく「バカになって」「話半分」で聞き、鵜呑みにしない。そして多くの人に話を聞く。組織の理想像を定めても、すぐに実現しようと思わずに、一つひとつスモールゴールを超えていく。何か仕掛けをしたのであれば、後は急がずに人が変わっていくのを気長に「待つ」。変に自分で解決しようと、必要以上の介入をしない。
これらのことは、如才ないハイパフォーマンスなプレイヤーであった過去の自分を封印し、浮き上がってくる自分の判断を押しのけたり、自分の「のろさ」に耐えたりすることが必要です。精神的にはかなり難しいことで、まさに「感情労働」です。しかし、これを乗り越えてこそ、良いマネジャーになっていけるのではないでしょうか。
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