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『下町ロケット』は“現代の時代劇”だ 福澤克雄チームの必勝パターンと今後への期待

2015年11月15日 16:11  リアルサウンド

リアルサウンド

 『下町ロケット』(TBS系)が好調だ。初回平均視聴率は16.1%(関東地区)、第3話では18.6%(同)を獲得した。ドラマの視聴率は第2話以降低下することがほとんどだが、逆に伸びているということは、ドラマの面白さ自体が注目されているということだろう。


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 『下町ロケット』は、池井戸潤の人気小説をドラマ化したものだ。TBSの日曜劇場(日曜夜9時枠)で放送されており、池井戸潤原作の大ヒットドラマ『半沢直樹』(TBS系)を手掛けたスタッフが結集している。


 本作は、宇宙科学開発機構の元研究員で、今は父親の後を継ぎ、精密機械工場・佃製作所の社長となった佃航平(阿部寛)を中心とした社会派エンターテイメントだ。物語は佃製作所がライバル会社のナカシマ工業から特許侵害で訴えられる場面からはじまり、倒産の危機の中で、神谷修一(恵俊彰)弁護士の助言で佃製作所が逆訴訟に打ってでることになる。それと同時進行で帝国重工のロケット開発と絡んで、佃製作所が制作していたロケットエンジンのバルブシステムの特許使用をめぐる物語が展開されていく。
 
 第6話からは2015年の10月に朝日新聞で連載され、11月に単行本化された『下町ロケット2 ガウディ計画』を原作とした物語も展開されることとなっており、原作小説が本放送中に発売されるというメディア展開も話題となっている。


 現在、池井戸潤の小説はテレビドラマの原作にひっぱりだ。転機となったのは『半沢直樹』だが、実はそれ以前からドラマ化はされていた。『下町ロケット』も2011年にWOWOWでドラマ化されていて今回が二度目。NHKの土曜ドラマ枠では、『鉄の骨』、『七つの会議』がドラマ化されている。


 これらの作品は、企業の内幕を硬質なタッチで描いたハードな社会派ドラマで、玄人筋には高く評価されていたが、決してヒット作ではなかった。転機となったのは、やはり『半沢直樹』だろう。チーフディレクターの福澤克雄を中心とするドラマスタッフは、本作で池井戸潤の小説の印象を大きく変えた。


 福澤克雄はインタビューで、池井戸潤の原作小説は活劇だ。と語り、『半沢直樹』のドラマ化にあたって黒澤明の『用心棒』を意識したと語っている。つまり、変な言い回しとなるが、池井戸潤・原作ドラマは、“現代の時代劇”として作られているのだ。


 だから、敵はいつも大手企業の社員や銀行員や官僚で、彼ら悪代官に苦しめられている零細企業に務める貧しい庶民たちを、正義の銀行員や弁護士といった“現代の侍”が懲らしめるという構造になっている。そのため、悪い奴は根性がねじ曲がった嫌な奴として描かれ、主人公サイドは優しい人間として、これでもかと、描かれている。


 そんな、悪くて嫌な奴をみせる時に、福澤克雄の過剰な演出は実に生き生きとしたものとなる。『下町ロケット』で言うと第4話の、帝国重工から監査に来た社員が佃製作所の社員を問い詰める場面がそうだ。最初にねちねちと嫌味を言った悪役は、後半必ず主人公サイドから反論され、最後には徹底的に言い負かされる。こういった勧善懲悪的要素と、困難なプロジェクトを実現するという『プロジェクトX』(NHK)的な中小企業の夢を描くことが、福澤克雄たちが作り上げてきた必勝パターンだと言える。


 しかし、現在の池井戸潤原作ドラマの多くがスマッシュヒットはしているが、『半沢直樹』のようなメガヒットに至っていないという現実も見逃せない。


 『半沢直樹』が、他の池井戸潤の原作ドラマと較べて、どこか異常に見えるのは、バンカー(投資銀行家)の半沢直樹(堺雅人)の行動が、時に勧善懲悪を逸脱する瞬間があったからだ。復讐のために出世を目指す半沢は自分と対立するバンカーを次々と倒していき、最後には宿敵である大和田常務(香川照之)を土下座させるまでになるが、堺雅人の怪演もあってか、半沢の制裁には痛快さだけでなく、そこまでやっていいのか? という暴力が持つ不快感が存在した。それが、人間の暗部を刺激する見世物的な面白さとなっていたからこそ、多くの視聴者を引き付けたのではないか。と、今は思う。『半沢直樹』の時に感じた、快楽と不快感が同時に存在する感覚は、今のところ『下町ロケット』には存在しない。


 物語もテンポがよく、一つ一つのエピソードやキャラクターがさっぱりしているので、後味の悪さは残らない。現代の時代劇と考えればそれで正解なのだろうが、どこか淡泊で物足りなく感じる。


 同じようなことは現在放送中の『あさが来た』(NHK)や『偽装の夫婦』(日本テレビ系)にも言えるのだが、露悪的な表現をフックにして物語を見せるという炎上商法的な演出に対して作り手自体が歯止めをかけはじめているのかもしれない。それがある種の健全性をドラマに持ち込んでいて、そのスタンスに好感を持つ一方で、「人間の心は、そんなに簡単じゃない」という思いも、見ていて感じる。


 福澤克雄たちが、ポスト『半沢直樹』を生み出せるかどうかは、そのあたりにかかっているのではないかと思う。(成馬零一)