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水曜深夜に出現した“心のオアシス”ーー『おかしの家』の面白さと中毒性に迫る

2015年11月12日 17:11  リアルサウンド

リアルサウンド

水ドラ!!『おかしの家』公式ホームページ

 オダギリジョー主演の深夜ドラマ『おかしの家』が、静かな人気を集めている。というか、何を隠そう、筆者も毎週観るのを楽しみにしている者のひとりである。しかし、正直な話、その面白さに最初は気がつかなかった。なぜか? 本稿ではその理由と、このドラマが持つ面白さ、そしてその中毒性について書いてみたいと思う。


 TBSが10月期より新設したドラマ枠「水ドラ!!」。そのシリーズ第一作としてスタートした本作の注目度は、事前段階では、かなり高いものだった。(参考:『コウノドリ』『オトナ女子』『おかしの家』・・・・・・この秋スタートする連続ドラマへの期待)。まず、「深夜帯ならではのエッジの効いた企画への挑戦や、TBSの次世代クリエイターの発掘と育成を目的に創設」されたという、「水ドラ!!」枠のコンセプトに対する注目と期待。そして、その記念すべき第一作を託されたのが、史上最年少でブルーリボン賞を受賞、『舟を編む』(2013年)で日本アカデミー賞最優秀作品賞に輝いた若手監督・石井裕也という事実。これを見逃す手は、どう考えてもないだろう。


 とはいえ、他のドラマがいっせいにスタートするなか、やや遅れて始まった(10月21日~)本作の内容は、少々意外なものだった。もっと言うならば、なかなかどうして結構地味なものだった。これのどこか「深夜帯ならではのエッジの効いた企画」なのだろう? 第一話を観終えたあと、正直そう思ったものである。しかし、第三話を終えた現在、自分がこのドラマを観ることを毎週楽しみにしていることに気づいてしまったのだ。そんな『おかしの家』の内容は、ある意味とてもシンプルなものとなっている。


 物語の舞台となるのは、東京の下町にある駄菓子屋「さくらや」。両親を早くに亡くした主人公・太郎(オダギリジョー)は、祖母・明子(八千草薫)が営む「さくやら」の店主をしながら、その裏庭に集まって来る常連客たち……太郎の幼馴染である三枝(勝地涼)、後輩の金田(前野朋哉)、近所で銭湯を経営する島崎(嶋田久作)と、駄菓子を食べつつおしゃべりしながら日がな一日過ごしている。そんな、都会の「エアポケット」のような「さくらや」に、毎回意外な人物が訪れる……というのが、このドラマの基本的な構造だ。


 本作のヒロインである、太郎のかつての同級生・礼子(尾野真千子)もまた、本作の初回で、そんなふうにして登場した。離婚を機に、息子を連れて地元に帰って来た礼子。その彼女も含めた「さくらや」の面々のもとに、第二回では、今や年収一億のIT社長となった同級生・武田(藤原竜也)がやって来る。そして、第三回では、「さくらや」を訪れこそしないものの、太郎たちの小学校時代の同級生だった女の子・清美(黒川芽以)の現在が話題となる。


 しかし、「恋と恐怖」、「意味」、「後悔」……それぞれのエピソードにつけられた副題は、思いのほかシリアスだ。そう、実はこのドラマ、その見た目ほど、お気楽な話ではないのだ。シングルマザーを取り巻く現状に疲弊しつつある礼子、30歳を過ぎても脚本家の夢をあきらめきれない三枝、実は元ひきこもりであるという金田。そして、主人公である太郎は、実は深夜の工事現場バイトをしながら、日々の生活費を稼いでいるのだった。陽だまりのように温かなトーンの画面とは裏腹に、このドラマで描きだされる「30代の現実」は、なかなかにして甘くない。


 このドラマは毎回、太郎のこんな独白からスタートする。「この駄菓子屋はいずれ確実に潰れる。売り上げは月に4万円程度。諸々の経費を引いた純利益は……恥ずかしくて言えない。でも、この駄菓子屋が、ただ無意味で無駄なものとは、どうしても思えない」。彼は、自らを取り巻くシビアな「現実」を、十分に理解している。そして、その「現実」に対して、彼なりのやり方で抗おうとしているのだ。しかし、そのやり方は、具体的にはまだ分からない。太郎は、自分の周囲にいる人間たちとの交流を通じて、さまざまことに思いをめぐらせながら、自分にとって「本当に大切なこと」を見つけ出してゆく。それは恐らく、他の登場人物たちにとっても同じことなのだろう。


 そこで、ひとつ大きなテーマとなっているのは、「おとな/こども」の問題である。人は何をもって「おとな」になるのか。「こども」時代とは、本当に楽しいだけの時代だったのか。そして、そのふたつを繋ぐものとは、果たして何なのか。このドラマが、再会した小学校時代の同級生たちが、いたずらに過去を懐かしむような、いわゆる「ノスタルジーもの」ではないのは、この点からも明らかだろう。そして、毎回それらのことに思いをめぐらせながら、このドラマはある曲とともに静かに終了する。RCサクセションの知られざる名曲「空がまた暗くなる」だ。「テーマソング」とは言い得て妙。実は、この曲こそが、本作のテーマを何よりも雄弁に語っているのだった。〈おとなだろ 勇気を出せよ〉、〈おとなだろ 知ってるはずさ〉……今は亡き忌野清志郎が、あの独特な歌声で、聴く者を諭すように、励ますように歌い上げるこの曲のメッセージは、ある意味とても明快だ。〈Yeah 勇気をだせよ〉。


 「こども/おとな」。言葉にするのは簡単だけど、「こども時代」にだって痛みはあったし、もちろんいろいろ厳しいけれど、「おとな」だって何も悪いことばかりじゃない。それぞれの登場人物たちが、自らの過去に、夢に、痛みに改めて向き合いながら、「本当に大切なもの」とは何なのかに思いをめぐらせ、それぞれの「現実」と折り合いをつけてゆく物語。それが『おかしの家』なのだ。監督・石井裕也が、脚本・演出にも名を連ねていることをはじめ、陽光差し込む温かな画面設計、細やかなカット割り、ていねいに作られた「さくらや」の美術、要所要所で効果的に響く音楽、そして何よりもオダギリジョーをはじめとする役者たちのアンサンブルなど、このドラマで注目すべき点は数多い。もちろん、「さくらや」の存続、太郎と礼子の恋の行方など、連続ドラマとしての面白さだって一応ある。しかし、基本は一話完結の物語。というか、本作の最大の魅力は、『おかしの家』という作品世界に没入しながら、登場人物たちともども、観る者がそれぞれに思いをめぐらせることができる点にあるのだ。


 ウィークデイのど真ん中、水曜日の深夜に立ち現れる、「心のオアシス」としての『おかしの家』。劇中の台詞にもあるように、それは見ようによっては、ある意味「ぬるま湯」なのかもしれない。しかし、熱くも冷たくない「ぬるま湯」だからこそ、冷静に考えられる「思い」だって、きっとあるはずなのだ。けっして派手さはないけれど、昨今のドラマ界にあって、逆説的にエッジィな試みを行っているようにも思える『おかしの家』……やはり、これを見逃す手は、どう考えてもないだろう。(麦倉正樹)