今年5月、大分県で生まれたサルの赤ちゃんに「シャーロット」と命名したことで、「英国王女と同じ名前では失礼」と批判が殺到した。香川県が白米のイメージガールに「色白でスタイルの良い方」と募集したところ批判をあび、性別や容姿に関する条件を外す騒ぎもあった。
このように思わぬ形で激しい批判が突然沸き起こり、会社や団体が対応に追われるケースが多くなっている。11月6日放送の「特報首都圏」(NHK総合)では、「過剰反応社会~どこまで配慮しますか」と題して危機感を伝え、その対処法について考えた。
自己効力感が快感になり、再び落ち度を探すクレーマー
いま会社側は、騒動を未然に防ぐために「少しでも気に入らない人がいればやめる」というスタンスを強めている。大手ビールメーカー各社は、CMで喉を鳴らして飲む「ゴクゴク」という効果音を自粛すると発表。未成年者やアルコール依存症の人への配慮を求められたためだ。
教育現場の例も紹介された。「塾の宿題が大事」と親から言われて夏休みの宿題をなくした中学校や、「うちの子が主役でないなら欠席させる」と複数の親が主張したことで桃太郎が16人の学芸会になった小学校もあった。
心理学者の榎本博明さんは、この背景にはネットを介して衝動的に批判を発信する人が多くなったことをあげ、クレーマーの心理をこう分析した。
「クレームが通ると自己効力感が快感になり、再び落ち度を探すようになる。見つければ鬼の首を取ったようにクレームをつけ、自己誇大感が増幅していく」
会社側が過剰に対応するほど、ますますクレーマーを増やしてしまうというわけだ。特に接客サービス業が中心となった社会で、病院や学校でも「顧客第一主義」となり、自分を抑圧する辛い労働を誰もが強いられている。すると今度は、ストレスが爆発して「自分が客になったときにクレーマーとなる」悪循環に陥るという。
組織には「常識的な世論を形成する」責任がある
クレーム対応のコンサルタント援川聡さんが最も重視しているのは、「100パーセント相手を納得させようとしない」という原則だ。
「それをしようとすると、すべて相手の言いなりになる。ボーダーラインを越えて無理な対応をしてしまうと、従業員のモチベーションが下がり、本来の会社活動が良い方へ行かない」
クレームからニーズを探る、とはよく聞くが、要求が「顧客ニーズ」なのか「ストレス発散」なのか線引きは難しく、現場は疲弊してしまう。あまりに理不尽で度を越した要求に対して、一律に「お客様は神様」とする精神は考え直すべきだ。
榎本さんも「組織側は過剰反応しない。常識的な世論を形成する。個人は物事を多面的に見る。決めつけない」とクレーム対応の原則を示す。
著作物がネットで批判の的となることもあるコラムニストの小田嶋隆さんは「表現の場、出版物やテレビ番組などでも、苦情を恐れるあまり企画の幅が狭まってしまう。これは表現の自殺です」と深刻さを表し、批判を受けた時の原則をこう。
「当事者以外には絶対に謝らない。世間を騒がせことにお詫びするなど、『世間』みたいなモヤっとしたものに謝ってはいけないと思う」
「世間」を代表したつもりのテレビ局に通用するか
大分県のサルの例では、英国王室へ直接確認したところ「ノーコメント」との回答だったため、名前はそのまま採用された。当事者が苦情を言ってもいないのに、先回りして沸き起こったクレームであり、小田嶋さんはこれを正しい対応だったとしている。
視聴後の感想としては、このような「事件」を報じるメディアの責任も大いにあるのではないかと思った。小田嶋さんの「当事者以外には絶対に謝らない」は、ツイッター上では正しい対応と思うが、「世間」を代表したつもりのテレビ局のカメラマンや記者たちには通用しないだろう。
ジャポニカ学習帳の表紙から「昆虫が消えた」ときも、まるで「モンスタークレーマーがいた」かのような報道の取り上げ方もあったが、最近のインタビュー記事によると本当は「クレーム」はなかったという。新聞の社会面をはじめとするメディアには、正義のような顔をして「過剰反応社会」を無用に煽るような取り上げ方はくれぐれも避けてもらいたい。(ライター:okei)
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