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食人ブームの真打『グリーン・インフェルノ』に見る、イーライ・ロス監督の恐怖の原点

2015年11月09日 07:01  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2013 Worldview Entertainment Capital LLC & Dragonfly EntertainmentInc.

 人が人を食う…「食人」は文明社会最大のタブーのひとつであり、それゆえにフィクションにおいてキャッチーな題材である。食人は見る者を惹きつけるフックとして、昨今の人気ドラマや超大作映画でよく見かける。超A級の予算でゾンビ映画が作られ、トップスターによる食人ドラマが制作される昨今の状況を省みれば、むしろ食人モノは昔よりカジュアル(?)になったとも言えるだろう。


参考:イーライ・ロス監督作『グリーン・インフェルノ』にスカイ・フェレイラ出演 主人公の親友役演じる


 そんなちょっとした食人ブームの真打が、本作『グリーン・インフェルノ』だ。過激かつ傲慢な環境保護活動を行う若者たちが、ひょんなことからジャングルで食人族に捕まってしまい、1人ずつ食われていく…。これ以上ないほどシンプルな粗筋ながら、ショッキングなシーンと素晴らしいユーモア、そして様々なツイストを加えて最後まで飽きさせない。怖いシーンは本当に怖く、爆笑させるシーンは本当に爆笑させる。このバランス感覚は、さすが『ホステル』で知られる残酷映画の若き雄であるイーライ・ロス監督、見事な手腕といえるだろう。


 本作の見どころと言えば、人間が生きながらにして文字通り食肉加工されるショッキングなシーンや、どこか牧歌的でユーモラスな食人族の描写、往年の食人族映画へのさりげないオマージュなど、枚挙にいとまがない。しかし、それらは既に多くのメディアで語り尽くされている点であろうから、今回は敢えて詳しくは言及しない。その代わり、本稿では劇中で存在感を発揮するあるキャラクターを通して、イーライ・ロスが作り出す恐怖の源流に迫ってみたい。


 本作には、「大義を達成する為なら、手段は問われない」という危険な思想を持った大学の環境保護サークルが登場する。主人公はこのサークルと出会った為に、緑の地獄=グリーン・インフェルノに向かうことになるわけだが、このサークルのリーダーであるアレハンドロ(アリエル・レビ)こそ、実はもう1人の主人公と言っていいだろう。アレハンドロはカリスマ性溢れる男であり、主人公は崇高な思想と、高い行動力を持つ彼に魅了されていく。しかし、話が進むにつれて、徐々に「彼がただの善良な理想家ではないのではないか?」という違和感が高まっていく。そして、彼らが食人族に捕まる段になると、彼が単なる悪人であることが露呈する。しかし、物語はここで終わらない。そこから監禁生活が進むにつれて、アレハンドロが単なる悪人を超えた、とんでもない異常者であることが判明するのだ。明日には生きたまま食われるかもしれないという切迫した状況の中、アレハンドロが「ストレス解消だ」と、ある行為を始めるシーンは、筆者としては本作最大の見どころだと断言しよう。そして、このアレハンドロというキャラクターの扱いにこそ、ロス監督の作家性、そしてロス監督が演出する恐怖の源流があると言える。


 我々はフィクションにおいて、「善い人」が「善い目」に、「悪い人」が「悪い目」に遭うことを期待しがちだ。因果応報、勧善懲悪、そこにはカタルシスがある。しかし、ロス監督はそこを意図的に外してくるのだ。ロス監督のスタンス、それは端的に言うならば「人間、死ぬ時は死ぬし、生きる時は生きる。運があるかどうかであって、そこに本人が善良であるかどうかは関係ない」というものだ。これは現実では当たり前のことである。どれだけ善良に生きていても、不幸には見舞われる。逆に悪の限りを尽くしていても、特に何事もなく平和に…むしろ充実した人生を過ごす人間もいる。因果応報は現実では機能しない。このことは、誰もがそうは分かっていても、そう思いたくない本当の意味で残酷な事実だ。


 しかし、ロス監督はその点を容赦なく描いてくる。この点こそ、ロス監督の映画の恐怖の原点であろう。多くの人間が抱える「善良に生きよう」という当たり前のことを揺さぶって来るのだ。『ホステル』の運よく脱出する被害者たちも、特別善良な人間だったわけではない。単に運が良かっただけだ。このロス監督のドライな視点は、本作『グリーン・インフェルノ』でも一貫している。最後の最後に用意された大ドンデン返しこそ、ロスの真骨頂だと言えるだろう。人間、生きるときは生きるし、死ぬときは死ぬのである。そこに道徳や人間性による補正は一切入らない。この点を容赦なく描くから、ロスの映画はシッカリと恐ろしく、どれだけユーモラスなシーンを入れながらも、完全なギャグにはならずに「ホラー」として成立しているのだ。


 そして、この洒落にならないほど重いスタンスを持っていながら、それを絶妙なバランス感覚によってエンターテイメントとして成立させてしまうからこそ、ロスは残酷映画の雄になりえたのであろう。『グリーン・インフェルノ』は、そんなロスの手腕がキラリと光る快作である。(加藤ヨシキ)